うらをみせ おもてもみせて 散るもみぢ
良寛辞世の句といわれている。
天保2年の正月、先年から重い病に伏していた良寛はいよいよ死期の訪れを覚悟した。最後まで師である良寛を看病し、見守った貞心尼は、師が遠からず逝ってしまわれるのだと思うと悲しくなって、
いきしにの さかいはなれて すむみにも さらぬわかれの あるぞかなしき
と呼びかけた。その返句が冒頭の句である。生き死にを超越した世界に住んでいる身ではあるが避けられない別れがあるのは悲しいことだ、と貞心尼は嘆いている。
出家した良寛ではあったが、諸国行脚で修業に出向く先々で権力闘争に明け暮れる堕落した教団に嫌気が差し、妻子や弟子も持たず、生まれ故郷の越後の山中に粗末な庵を結んで乞食をして生涯を過ごした。詩歌に優れ、脱俗至純の人柄は多くの人々から親しまれたといわれている。
良寛は辞世の句のごとく裏も表もありのままに見せてきた生涯であった。時に74歳。多くの人に見とられた最期であった。
良寛辞世の句といわれている。
天保2年の正月、先年から重い病に伏していた良寛はいよいよ死期の訪れを覚悟した。最後まで師である良寛を看病し、見守った貞心尼は、師が遠からず逝ってしまわれるのだと思うと悲しくなって、
いきしにの さかいはなれて すむみにも さらぬわかれの あるぞかなしき
と呼びかけた。その返句が冒頭の句である。生き死にを超越した世界に住んでいる身ではあるが避けられない別れがあるのは悲しいことだ、と貞心尼は嘆いている。
出家した良寛ではあったが、諸国行脚で修業に出向く先々で権力闘争に明け暮れる堕落した教団に嫌気が差し、妻子や弟子も持たず、生まれ故郷の越後の山中に粗末な庵を結んで乞食をして生涯を過ごした。詩歌に優れ、脱俗至純の人柄は多くの人々から親しまれたといわれている。
良寛は辞世の句のごとく裏も表もありのままに見せてきた生涯であった。時に74歳。多くの人に見とられた最期であった。