たそがれ縁側日記

ボケ老人の独り言

自転車は歩道を走ってもいいのか

2006-07-30 07:41:09 | Weblog
 歩道を歩いていると後ろから勢いよくすり抜けてゆく自転車にヒヤッとさせられることがよくある。現に自転車が歩行者にぶつかって人身事故となるケースも多くなっている。また、後ろから邪魔だといわんばかりにベルを鳴らし、我が物顔に通り抜けて行く者のいる。
 一体自転車は歩道を走るものなのかと道路交通法を調べてみた。同法第17条には車両(自動車、バイク、自転車など)は歩車道の区別がある道路では、車道を通行しなければならないとしている。だから自転車が歩道を走ることは原則としてできない。それではどんな場合に歩道を走ることができるか。第63条の4に特例があり、道路標識等により通行することができることとされている歩道は通行できるとしている。従って、そうした道路標識のない歩道は走ることができないはずである。この標識はよほどの市街地でなければ見当たらない。だから厳密に言えば多くの自転車は道交法違反で歩道を走っていることになる。
 自転車が一般の自動車に混じって車道を通行するのは双方にとって大変危険であるのは分かるが、だからといって歩道を我が物顔に走られたのでは歩行者がはまったものではない。自転車が歩道を走るときは歩行者に気を配りゆっくり走るべきだ。そういえば酒に酔って自転車を運転していた男が警察に摘発された記事が出ていた。この道交法違反には3年以下の懲役または50万円以下の罰金が科せられる。

タックス・ヘイブン

2006-07-28 19:30:56 | Weblog
 タックス・ヘイブンとは税の逃避地のことで、企業などが税制上特に有利な国などへ拠点を移し、日本より低い税金で済まそうとする方法をいう。
 ハリー・ポッターの翻訳者・松岡佑子さんが日本より税率の低いスイスへ住居を移し、現地で税務申告をし、日本で申告をしていなかった。しかし、東京国税局の税務調査を受け、3年間で35億円以上の申告漏れを指摘されたことが現在大きな話題となっている。
 日本とスイスとでは税率に10%の差があり、単純計算で35億円の10%は3億5千万円となり、スイスで税金を払った方がかなりの節税となる。何十億という所得金額は庶民とって縁遠い話で実感が湧かないが、節税分3億5千万円といえば、仮に年収600万円とした場合の約50年分である。東京国税局は、生活の本拠が日本にあり、申告が必要と判断。追徴課税は過少申告加算税を含め7億円を超えるといわれる。
 日本の最高税率が他国と比べて高いため、有能な人材が日本から海外へ出るともいわれているが、どうも高額所得者としてはけち臭い話ではある。定年退職者が年金を有効に使うため、為替レートの安い国へ移住し、少ない年金で、日本と比べてかなりゆったりと生活することができる方法を選ぶのとは事情が違う。

残念だった

2006-07-25 11:32:12 | Weblog
 千秋楽、大関白鵬は横綱朝青龍を46秒の大相撲の末、寄り倒しに破った。まれに見る熱戦で、実に迫力のある試合であった。これで横綱昇進間違いなしと思ったがそうはならなかった。
 先場所優勝し、綱取りのかかった今場所、初日の取組で露鵬に破れいやな感じがした。中盤でまた雅山に痛い2敗目を喫し、綱が遠のいた。そしてその間に横綱朝青龍の独走を許してしまった。しかしその後は磐石の相撲で上位陣を総なめにし、千秋楽でも全勝の横綱朝青龍を倒した。しかし前日には朝青龍の優勝が決まっていた。
 大関白鵬も内心では横綱を手中にしたと思ったろうが、今場所は横綱昇進見送りの情報にがっくりした様子が報道されていた。未だ若いのに風格、安定感ともに抜群であり、よほどのアクシデントのない限り、来場所の横綱昇進は間違いないだろう。そうなると2横綱ともにモンゴル出身ということになる。
 日本の国技である相撲も今やグローバル化し、力士の出身地も青森、茨城、東京、愛知、福岡、大分など日本の各県、モンゴル、ブルガリア、ロシア、エストニア、グルジア、韓国と多彩になっている。番付表で出身地を見るのが楽しみなほどだ。

セミの声が聞こえない

2006-07-23 11:08:14 | Weblog
 例年だと近くの公園の雑木林からセミの声が聞こえてくる頃なのに、今年は未だ聞いていない。そこで日記を調べてみたら、一昨年は7月8日、去年は7月15日だった。天候の影響なのだろうか。そういえば今年は長雨で7月には入ってもカラッと晴れ上がった夏空をあまり見かけない。
 そんなことが漠然と頭の中にあったのか、昨日の夕刊(中日新聞)に“セミの初鳴き「まだ」”との見出しの記事が目についた。それによると、平成に入ってからこの地方(名古屋)で最も遅い記録の「7月21日」を更新したとあった。初鳴きの平年値は7月13日だそうだ。それからするともう10日も遅れていることになる。原因の一つとしてやはり天候不順による日照不足があるようだ。7月1日から20日までの日照時間は平年の56%にとどまっているという。
 セミの声といえば照りつける夏の暑い日ざしを思い浮かべるほどだ。夏の暑さは身にこたえるが、夏の風物詩であるセミの声が聞こえないのも寂しいものだ。

惜しいことをした

2006-07-22 10:40:06 | Weblog
 ポスト小泉の候補の一人として目されていた福田康夫氏が自民党総裁選に立候補しないと明言した。安倍晋三氏に次ぐ有力候補とされており、国民的人気も安倍氏に次いで常に二番手につけていた。もっとも彼は最初から一度も立候補について語ったことはなかったが、周辺では安倍氏の対抗馬として担ぎ出そうとする動きは高まっていた。
 小泉首相とは対照的なタイプの福田氏が総理になれば、小泉路線に新たな要素が加わってシナジーが期待されたが、残念なことだ。かりに総裁選で敗れたとしても、それはそれで党内に大きな影響を残すことができたのではないか。出馬しない大きな理由は70歳という年齢だという。歳が理由なら最初から分かっていたはずで、当初から不出馬を明言しておけばよかったとも思われるが、やはり情勢を読んでいたのだろうか。
 大衆迎合的な政治が受ける昨今、マスコミに対して必要最小限に振舞い、淡々と行動する福田氏のようなタイプの政治家には主体性と安定性を感ずる。国民の意向に沿った政治をすることは勿論大切だが、国際的視野から国民をリードしてゆくことは政治のトップに立つものの使命でもある。
 次の総理は小泉改革路線の継承発展に加え、停滞している対アジア外交をドラスティックに進めてもらいたいものだ。

やっぱりそうだったのか!

2006-07-21 06:52:00 | Weblog
 昭和天皇が靖国神社参拝を中止されたのはA級戦犯が合祀されたからだと言われてきたが、報道によるとそれを裏付ける資料が発見された。
 資料は当時の宮内庁長官が手帳に残したメモで、そこには昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を示す発言が記されている。祀られているA級戦犯やそれらを合祀することにした靖国神社宮司の考え方に強い不満があったことが分かる。
 戦前の軍国主義の下で、軍部が満州事変を起こし、その後なし崩しに中国へ攻め込み、泥沼の大東亜戦争へと突入していったことに対し、昭和天皇は心の内では苦々しい思いをしていたといわれている。その間軍部はことごとに天皇陛下の名を使って反対を押さえ込み、その結果敗戦をもたらした。そして無条件降伏を決断したのは昭和天皇であった。また時のGHQに対し敗戦の責任を潔く申し出たのも昭和天皇であった。
 こうした辛酸を舐め尽くしてきた昭和天皇にとってA級戦犯が靖国神社に祀られるのは極めて不快であったに違いない。しかしそうした心を知ってかしらずか、靖国神社はA級戦犯の合祀を決めた。時の宮司の判断にはそれなりの考え方があったのだろうが、その際、昭和天皇の心の内を思い浮かべることがあったのだろうか。それともその心を読み違えたのだろうか。
 靖国神社参拝がポスト小泉の大きな関心事の一つとなっているとき、こうしたメモが関係者から出てきた背景には何があるのだろうか。関係者とはどんな人なのか。疑問は尽きない。

自衛隊サマワ撤収完了

2006-07-18 12:21:51 | Weblog
 延べ5500人が2年半にわたりイラクのサマワにおいて復興支援活動に従事した自衛隊が任務を終え撤収した。戦争で破壊されたサマワにおいて給水活動、道路補修、学校施設の修理、医療活動など数々の復興支援に当たって来た。その評価は「よくやってくれた」との高い評価から、「期待はずれだ」との評価までまちまちであった。しかし日本の立場からすれば、武力を行使しないなど厳しい縛りの中で可能な限りの任務を果たして来たといえる。
 心配された犠牲者を一人たりとも出すことなく、2年半活動できたことは幸運であったとともに、装備された多国籍軍による防護によるものでもある。しかし、安全確保のためとはいえ、撤収に当たり、サマワ市民の見送りもなく、密かに立ち去らざるを得なかったのは残念だ。なんだかこそこそと夜陰に紛れて逃げ出したようにも見える。
 自衛隊のイラク派遣は憲法違反だとの見解は現在もあり、それを押し切る形で事実上なされた。派遣された自衛隊員は国内においても、イラクにおいても、なんとなくすっきりしない気分で任務に就いていたことだろう。北朝鮮のミサイル発射で自衛隊の重要性は増してきた。自衛隊の憲法上の位置づけをあいまいなままにしておいてはならない。

芭蕉句碑

2006-07-17 10:31:09 | Weblog
     ~星崎の闇を見よとや啼く千鳥~ 芭蕉
 貞享2年(1685)4月、芭蕉は旅の途中鳴海の地を訪れた。以来、鳴海の俳人達は芭蕉の指導を受け交流を深めていった。貞享4年(1687)11月7日、この「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」の句を発句とする歌仙が興行された。千鳥塚は、この俳諧の一巻が出来たことを記念して建てられたものである。塚は天王山の山上にあり、年を経た榎木の根本に建てられている。一帯は見晴らしの良い公園として整備されている。山の北側は緒畑稲荷社の森になっている。
 句碑の表には、右に「武城江東散人」左に「芭蕉桃青」とあり碑文は芭蕉の直筆である。裏には知足はじめ鳴海蕉門の名前が刻まれている。
 名古屋市教育委員会解説「この碑は 貞享4年(1687)冬11月、寺島安信宅での歌仙「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」の巻が、満尾した記念に建てたもので、文字は芭蕉の筆、裏面は連衆の名、側面には興行の年月が刻んである。これは、芭蕉存命中に建てられた唯一の翁塚であり、俳文学史上希有の遺跡といってよい。昭和52年名古屋市史跡に指定された。」
 千鳥塚は山王山の高台にある。この場所から星崎方面を眺めると名古屋港まで市街地となっているが、当時はこの山の近くまで海が迫っていたという。

泣く子と地頭、拒否権には勝てぬ

2006-07-16 06:58:10 | Weblog
 日本が提案してきた北朝鮮制裁決議案は中ロの厳しい反対に遭ってなかなか採決に持ち込むことができないまま推移してきた。その間中国は北朝鮮とミサイル発射の凍結、六カ国協議への復帰を求めて精力的に協議を重ねてきたが物別れに終わった。北朝鮮の説得に失敗した中国は、今までの強硬な姿勢を転換し、北朝鮮に対する制裁措置を含まない非難決議案を中ロ共同で提案した。
 これに対し日本は、あくまで拘束力のある制裁措置の削除は呑めないと突っぱねてきたが、中国は第7章による拘束力のある制裁措置の文言が入っている決議案が採決に持ち込まれれば拒否権を行使すると明言してはばからなかった。
 早朝のニュースによると、米英仏各国も両者の妥協点を見出すよう努力してようやく決議案が全会一致で採択される運びとなったようだ。今回は非常任理事国でありながら、日本が毅然とした態度で終始したが、最終的には中国の拒否権に屈する形となった。今回の一連の経緯を見ていると、日本に対する中国の反発が如何に大きいかがよく分かった。

ジダンの頭突き、しつこい報道

2006-07-13 17:36:52 | Weblog
 TVニュースの度ごとにジダン選手がマテラッツィ選手の胸に頭突きを食らわす場面が繰り返し映し出される。それも局によってはアナウンサーがしゃべっている間中その場面だけを繰り返して映し出している。今回の事件はサッカーファンの子ども達に対しても悪影響を与えると非難されている中で、これほどしつこくあの場面を放映するとかえって悪影響を増幅させる。最初は多くの人が関心を持ってその場面を見たが、2~3回見れば十分状況を把握することができる。あれほど繰り返して見せる必要はない。
 ジダン選手の釈明が報道されている。「マテラッツィ選手がとても不快な言葉を何度も繰り返した。それも母や姉を侮辱するものだった」という趣旨のようだ。挑発に乗って頭突きを食らわしたことは後悔しないが、見ていた子ども達やファンには謝りたいとも言っている。
 今回の問題をめぐって、国際サッカー連盟が調査に乗り出すと言明しているので、真相究明は連盟に任せ、マスコミが興味本位の憶測にもとづく関係者の言葉を報道するのは控えるべきだ。