たそがれ縁側日記

ボケ老人の独り言

辞世の句

2008-10-12 18:06:50 | Weblog
      「露とをち露と消へにしわが身かな 浪速のことは夢のまた夢」
 一介の足軽から身を起こし、猿と呼ばれながら出世を重ね、ついに天下人となり栄耀栄華の晩年を送った豊臣秀吉が臨終を迎えて詠んだ辞世の句である。
 栄耀栄華、権力をほしいままにした秀吉も、寿命には逆らえず、死期が迫る中、わが身の儚さを感じたのだろう。日が昇るにつれてたちまちにして消えてしまう露をわが身になぞらえ、また、浪速おける絶頂の人生を思い返し、それも今では夢のような出来事に思えたのに違いない。淡々とした心境で死期を迎えたのか。それともこの世に対する未練と執着心が衰えぬまま死んだのか。
 秀吉は実子秀頼が生まれると、これを跡継ぎにするため、後継とされていた甥の秀次をむりやり自害に追い込んだ。死に臨んで唯一心残りなことは秀頼を大老や家臣たちが支えてくれることであり、このことをよろしく頼むと主力の大老に遺言していた。しかしそれも空しく、数年後には天下は徳川家康のものとなった。


徒然草に書かれた死

2008-10-09 11:25:46 | Weblog
 徒然草の中には死について書かれた段が何箇所も出てくる。その中の一つ、155段の後半に「・・・ 生・老・病・死の移り来る事、また、これ(四季)に過ぎたり。四季は、なお、定まれる序あり。死期は序を待たず。死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。 ・・・」という箇所がある。現代語で訳すと、「(四季は春夏秋冬と順番にやって来るが、)人の死ぬ時は、順序を待たないで、突然やってくるものだ。その死は、前方からと限ってやってくるものではなくて、それよりさきに、人の背後に接近しているのだ。人間はみな、自分に死があることがわかっていながら、それほどにも、死を待ち迎えることが切迫していない状態でいる時に、死は不意に到来するのだ。」(安良岡康作訳)
 在原業平の歌「ついに行く道とはかねて聞しかど 昨日今日とは思はざりしを」がこのことを端的に言い表わしている。
 死が訪れるのは未だ先のことだと漠然と考え、漫然と時を過ごしている者に対する警告でもある。死期が眼前に迫った時にうろたえないようにと。


緒形拳さん逝く

2008-10-08 13:30:03 | Weblog
 俳優の緒形拳さんが亡くなった。71歳だった。「楢山節考」などの映画や演劇における彼の素晴らしい演技に感動していたのと、年齢が同じであったという以外、特に私とは縁もゆかりもない。しかしこの死が妙に身近なに感じられた。
 70歳になるまでは知人や縁者の訃報に接すると悲しみは湧くものの、死そのものに対しては心のどこかで他人事として感じていた。しかし70歳に入ってからはそれが他人事とではなく、わが身のこととして感ずるようになって来た。考えてみれば「死」は遅かれ早かれ全ての人に必ず訪れるものである。そんな当たり前のことを再認識するようになったのはやはり歳のせいかもしれない。
 伊勢物語で有名な在原業平が重い病に罹りこのまま死ぬのではないかと感じた時に詠んだ歌に、「ついに行く道とはかねて聞しかど 昨日今日とは思はざりしを」という歌がある。誰しもいずれ死ぬことは分かっていても、それはまだ先のことと漠然と考えていたのに、突然現実のものとなるかもしれない事態に遭遇し、戸惑いと恐れを感じたのだろう。
 死に対する予めの覚悟はあくまで観念的なものだと思われる。