「露とをち露と消へにしわが身かな 浪速のことは夢のまた夢」
一介の足軽から身を起こし、猿と呼ばれながら出世を重ね、ついに天下人となり栄耀栄華の晩年を送った豊臣秀吉が臨終を迎えて詠んだ辞世の句である。
栄耀栄華、権力をほしいままにした秀吉も、寿命には逆らえず、死期が迫る中、わが身の儚さを感じたのだろう。日が昇るにつれてたちまちにして消えてしまう露をわが身になぞらえ、また、浪速おける絶頂の人生を思い返し、それも今では夢のような出来事に思えたのに違いない。淡々とした心境で死期を迎えたのか。それともこの世に対する未練と執着心が衰えぬまま死んだのか。
秀吉は実子秀頼が生まれると、これを跡継ぎにするため、後継とされていた甥の秀次をむりやり自害に追い込んだ。死に臨んで唯一心残りなことは秀頼を大老や家臣たちが支えてくれることであり、このことをよろしく頼むと主力の大老に遺言していた。しかしそれも空しく、数年後には天下は徳川家康のものとなった。
一介の足軽から身を起こし、猿と呼ばれながら出世を重ね、ついに天下人となり栄耀栄華の晩年を送った豊臣秀吉が臨終を迎えて詠んだ辞世の句である。
栄耀栄華、権力をほしいままにした秀吉も、寿命には逆らえず、死期が迫る中、わが身の儚さを感じたのだろう。日が昇るにつれてたちまちにして消えてしまう露をわが身になぞらえ、また、浪速おける絶頂の人生を思い返し、それも今では夢のような出来事に思えたのに違いない。淡々とした心境で死期を迎えたのか。それともこの世に対する未練と執着心が衰えぬまま死んだのか。
秀吉は実子秀頼が生まれると、これを跡継ぎにするため、後継とされていた甥の秀次をむりやり自害に追い込んだ。死に臨んで唯一心残りなことは秀頼を大老や家臣たちが支えてくれることであり、このことをよろしく頼むと主力の大老に遺言していた。しかしそれも空しく、数年後には天下は徳川家康のものとなった。