たそがれ縁側日記

ボケ老人の独り言

男女差別

2006-01-29 10:17:07 | Weblog
 米国アリゾナ州トゥーソンで昨年開校した高等学校では、生徒にノート型パソコンを配り、通常の本形式の教科書を全く使わないこととし、宿題などはオンラインで提出するとの記事が出ていた。ペーパーレスもいよいよ教育現場まで及んできたとはいかにもアメリカらしい。
 さて男女機会均等は当たり前のことされて久しいが、当時を振り返ると感慨深いものがある。当時の会社における女性の役割は女性としての特性がフルに活用されていた。職場にはセクションごとに女性社員が1~2人いて午前と午後の2回みんなにお茶を出す。また来客があれば仕事を中断してお茶出しをする。仕事の中身も文書の整理、計算、コピー焼き、浄書など事務補助的な業務が多かった。当時、女性社員は在職4~5年で結婚し寿退職するケースが多く見られた。従って彼女たちにとって会社は結婚までの「腰掛」だとの認識があったようだ。また、そうしたコースが女性にとっては一番幸せだとも考えられていた。そんなことからか、女性には責任ある仕事は任せられないとの雰囲気が社内にはあった。

終身雇用

2006-01-28 11:26:04 | Weblog
 今朝の新聞に、トヨタ自動車労働組合が4年ぶりに春闘で1000円の賃上げ要求することを正式に決定したとの記事が出ていた。ここ数年デフレ基調が続き、他メーカーとの国際競争も激しさを増す中、賃上げに向けた環境の好転は確信できないとしてベアを見送ってきたが、ここへきてようやく環境が整ったと判断したのと、今春闘でもベア見送りになると、組合内部の不満を抑えきれない恐れが出ていることも背景にあるようだ。
 さて、思い起こせば当時の会社は今と較べると全ての面で人間性豊かな運営をしていた。社員は全て終身雇用であった。そして社員は全て正式社員であり、社屋を清掃する作業員、自動車の運転手、守衛などの身分も同様であった。終身雇用制度は社員の緊張感をなくし、活力の低下につながるとも言われているが、反面、この会社に一生を託すという気持ちから、会社への忠誠心が高まり、会社のために全力を注ごうという気持ちになる。また、安心して働くことが出来る点は何物にも替え難い。会社の空気は家族的で、お互いにフォローし合う良い慣習ができていた。そのため生産性も高かく、気持ちも充実していた。

春闘

2006-01-27 11:19:53 | Weblog
 今朝の新聞を読むとパレスチナ議会選挙でハマスが過半数を制したとの記事が報じられていた。これで再びイスラエルとパレスチナの関係が悪化し、中東和平が遠のくのではないか。心配なことだ。
さて今年も春闘の時期が近づいてきた。春闘も以前とは随分様変わりした。当時は総評、同盟がそれぞれ傘下の組合を代表して経営者団体との中央交渉が始まる。3月頃になると鉄鋼労連、電機労連、自動車労連など基幹産業の産別労組が労使交渉によりその年の賃上げ相場を形成し、その後企業ごとに単組が中央指令に基づいて労使交渉を行い具体的な賃上げを決定してきた。産別ごとに定昇込みで何千円などと相場が出ており、その辺りで賃上げが妥結成立していた。
 現在では個々の社員の給料は成果主義によって決定されるところが多いので、当時のような一律ということは困難になっている。当時は分かりやすかった。

年功序列

2006-01-26 10:30:20 | Weblog
 今朝の新聞を見るとライブドアの株が7営業日ぶりに売買が成立した。買う人が結構いるのだ。株価137円。安いのか高いのか。
 昨日に続いて今日も思う。
 我々が会社に入った頃は給料や地位はよほどのことがない限り、年齢とともにほぼ一律に上がっていった。仕事のできる者も、そうでない者も給料はほとんど変わらなかった。それでも仕事の良くできる者ができない者をフォローして組織全体としての成果をあげていた。また、職種が異なっていても、年齢が同じであれば給料はそんなに違わなかった。だから雑役の中年女性の給料が事務系係長の給料より高い場合も往々にしてあった。もっとも雑役のその人は息子が東京の有名大学に入ったので仕送りが大変だと言っていたが。当時は誰も不平も言わず「和をもって尊しとなす」の精神でやっていた。よき時代であった。

護送船団

2006-01-25 14:50:37 | Weblog
 縁側のソファーに座って、ガラス戸越しに差し込む冬の日を浴びながら、今日も厳しい競争社会の記事を読んでいる。以下は定年退職者の独り言です。

 今から20年ほど前まで、各業界は護送船団を組んでいた。船団は一番足の遅い船に速度を合わせ進んでいた。業界は規制の壁に守られており、安心して企業活動ができた。経済は右肩上がりに成長を続けていた。
 今から思えばあの頃までは夢のような良き時代だった。
 しばらくはあのよき時代を思い起こしてみよう。