たそがれ縁側日記

ボケ老人の独り言

辞世のことば(その3)

2008-11-21 09:26:31 | Weblog
 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る(芭蕉)
 この句は辞世の句ではない。芭蕉の最後の句である。病の中でこの句を詠み、4日後の元禄7年10月12日に芭蕉は逝った。51歳だった。
 芭蕉は29歳のとき江戸へ出、その後俳諧の宗匠として活躍した。しかしその大半は各地を遍歴する旅で過ごした。まさに「旅をすみかとして」いた。東海道を何度も往復し、中山道、関東一円、東北、北陸と歩き続けた人生だった。その間二十数年。あっという間の人生であったに違いない。
 井本農一著「芭蕉入門」によれば、9月8日、芭蕉はしばらく郷里の上野に滞在した後、門人たちと大阪に向った。もうこの頃健康がすぐれず、夕方奈良に近づいたころには1キロ余も歩くと、疲れて休まなければならないほどだった。9月9日大阪の門人の家に着いたが、翌10日の晩から熱が出て寝込んでしまった。それでも門人たちの招きで連句の会に病をおして出席し、句を詠んでいる。有名な句、「秋深き隣は何をする人ぞ」は9月28日、翌日の連句会のために用意された発句である。そして10月8日、病中吟と前書をつけ冒頭の句を詠んだ。
 人生50年。最後まで頭の中では旅の風景がかけめぐっていたのだろうか。

辞世の句(その2)

2008-11-07 09:51:51 | Weblog
 「限りあれば吹かねば花は散るものを 心短き春の山風」
 これは蒲生氏郷がこの世を去るときに詠んだ辞世の句と言われている。風が吹かなくても花はやがて散る運命にあるのに、短気な春の山風が花を散らすことよと嘆いている。
 蒲生氏郷は安土桃山時代の武将で13歳のとき信長への人質となり、翌年初陣。長じて文武兼備の武将として名をはせた。信長・秀吉に認められ、数多く戦役で武勲を立て、最後は会津90万石に封ぜられた。高山右近の影響でキリスト教に入信、終生敬虔な信者であった。しかし、39歳で下血症により没した。
 人はみないつかは死ぬ運命にある。だから寿命が尽きるまでほっておいてもらいたいのだが、そうはさせじと病が襲ってくる。そのため若くして死んでしまうことが多い。
 氏郷も39歳で90万石の大名となり、これからという時に病にかかって死んだ。さぞ無念であったに違いない。その心境を「花を散らす山風」に託して歌に詠んだのだろう。
 天寿を全うするのはなかなか難しい。