奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

元気ハツラツ

2007年10月21日 | 中村天風語録

えびの高原

 相手のない喧嘩はできぬ
       =相手になる者がいなければ喧嘩にならない。
        喧嘩は売られても相手になるなという戒め=

  
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「元気ハツラツ」

日頃私が「元気か」というと、中には「元気です」と言う人もあれば「ハイ」と答える人もあるが、時には「元気だと言いたいが、元気と言える状態でないから俺は言わない」というような顔をしている人もあるが。健康や運命に関係なく、いつも元気でいられるのが人間である。

今後はこの真理を絶対に貴重な悟りとして、たとえ我が身に何事が生じようと、またいかなる事態に会おうとも、完全に生きるための根本基礎となる心の状態を、断然消極的にしてはならない。いつも「清く、尊く、強く、正しく」という積極的態度で終始しなければならない。そうすれば、自分でも不思議なほど、元気というものが湧きだしてくる。

そしてその元気、つまり元の気が、ただちに「先天の一気」を呼び寄せ、つまり原動力となり、健康的にも、運命的にも、すべてのことが完全に解決されてくる。元気という気が出たときに、人間と大自然が完全に結びついたことになるからである。事実、元気が出たときには、何ともいえない爽快さを感じるものである。

とにかく、元気ハツラツたる状態で生きることこそ、最も必要かつ大事なのであるから、心の置き所を常に積極的にするために、「自分は力だ」ということを、断じて忘れてはならない。 

 

 
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写真:鹿児島・霧島・えびの高原
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写真は拡大して楽しんでくださいね!

 

 

「運動会」

 

今から50年前の話。

あれぇ~もう50年も経つんだ。ビックリだね!

tomo小学一年生。ピカピカの・・

今日は、初めての運動会!

母は私に「ほら・・生卵ば飲んで行かんね」

当時は娯楽も何もない時代、運動会が唯一の娯楽と言っても
過言ではないような時代でした。
だから、運動会といえば、村民が全員見に来るのです。

tomoは四人兄弟の一番下・・・・末っ子
今だに、tomo家では、運動会で誰一人として
一等賞を取った事がありません。

当時の運動会は運動靴などありません、
裸足か、地下足袋を履いて走っていました。

tomoは足には自信あり。
やんちゃな子で、母に怒られるから、逃げ足が速かったのです。

80メートル走、tomo家始まって以来の一等賞を取りました。

 

次は、リレーの選手に選ばれていたから・・・
児童数が少ないから、よその学校と対抗戦があったのです。
一年生から六年生までで6校の小学校との対抗戦です。

一年生のtomoがスタートです。

「ヨーイ・ドン」

tomoは一番で

母ちゃんが、手を振って喜んでいる姿を見ながら・・・

そしたら、母ちゃんが、

張ってあった縄を飛び越えて

 

「tomoほら・・・走れ」

走っているtomoの目の前に来て応援

 

これには、、tomoも一瞬足が止まって
抜かれる

二年生にバトンを渡したのは二番で!ウン・・モォー

 

運動会で余所行きのモンペをはいてきたからとはいえ

小学校時代に運動会で一等賞を取れなかった、
唯一の運動会が一年生の時なのであります。

えぇ~勉強・・勉強はドンベーェです。

 

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