奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

視野を広く

2007年05月31日 | 松下幸之助「道をひらく」

                 阿蘇望橋(波野村)

精神一到、何事不成
            =精神を集中して努力すれば、どんなことでもできない
      ことはないということ=

 
    とんかち  「危険だから真似しないでね」 

   ★=========★★★★★=========★

                 「視野を広く」
                          松下幸之助「道をひらく」

世の中は広い。その広い世の中を、狭い視野ですすめば行き詰る。人生は長い。その長い人生を、狭い視野で歩めば息が切れる。

視野の狭い人は、わが身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。だから、おたがいの繁栄のために、おたがいの視野の角度を、グングン広げなければならない。十度の視野は十五度に。十五度の人は二十度に。

もっとも、百八十度までひろげてみても、それでようやく、ものごとの半面がわかっただけだから、ほんとうは、グルリと三百六十度を見わたさなければならない。それが、真の融通無碍、つまり解脱というものではなかろうか。

だが、なかなかにこうはいかない。百八十度も広がればたいしたもので、普通は、せいぜいが十五度か二十度ぐらいの視野で、日々を歩んでいるのではなかろうか。

だから争いが起こる。悩みが起こる。そして繁栄がそこなわれる。

視野を広く。どんなに広げても広げすぎることはない。おたがいの繁栄と平和と幸福のために、だれもが、広い視野を持つようにこころがけたいものである。


    投げあい   「食べ物で遊ばないでね」 

 

                写真:旧波野村(阿蘇)
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阿蘇、波野村の「マディソン群の橋」です。「阿蘇望橋」といいます。初秋の波野村のソバの花です。あたり一面にソバの花が咲きます。

 


引きつける

2007年05月30日 | 松下幸之助「道をひらく」

    旧波野村「阿蘇望橋」 

 花は根に鳥は古巣に
        =咲き終わった花はその木の根元に落ち、飛んでいる
         鳥はやがて古巣に帰る。物事はすべてその根源に
         戻っていくということ=

    メリークリスマス!(ダルメシアン)  「宜しくお願いします」 

   ★==========★★★★★=========★

                「引きつける」
                         松下幸之助「道をひらく」

磁石は鉄を引きつける。何にも目には見えないけれども。見えない力が引きつける。しぜんに鉄を引きつける。

人が仕事をする。その仕事をする心がけとして、大事なことはいろいろあろうけれども、やっぱりいちばん大事なことは、誠実あふれる熱意ではあるまいか。

知恵も大事、才能も大事。しかし、それがなければ、ほんとうに仕事ができないというものでもない。たとえ知識乏しく、才能が劣っていても、なんとかしてこの仕事をやりとげよう、なんとしてでもこの仕事をやりとげたい、そういう誠実な熱意にあふれていたならば、そこから必ずよい仕事が生まれてくる。

その人の手によって直接にできなくとも、その人の誠実な熱意が目に見えない力となって、自然に周囲の人を引きつける。磁石が鉄を引きつけるように、思わぬ加勢を引き寄せる。そこから仕事ができてくる。人の助けで、できてくる。

熱意なき人は描ける餅の如し。知識も才能も、熱意がなければ無に等しいのである。おたがいに一生懸命、精魂こめて毎日の仕事に打ち込みたい。

 

    メリークリスマス!(ダルメシアン)     「宜しくお願いします」 

               写真:阿蘇旧波野村
  
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    シロアザミ     カキツバタ     ショカッサイ   オキナグサ

阿蘇、旧波野村の原野では、さまざまな野の花が咲きます。初秋はソバの花が高原を覆う、この美しい自然に触れようと毎年多くの人が訪れます。トップの写真は「阿蘇望橋」と言います。まるで「マディソン郡の橋」を思わせます。れっきとした車道に屋根付きの橋で、橋のたもとから西方に阿蘇の山が望めます。

 


けじめが大事

2007年05月29日 | 松下幸之助「道をひらく」

                                          天草

 
縁の目には霧が降る
      
縁あって結ばれる者の目には、互いに霧がかかった
       ように、相手の欠点が見えないばかりか、かえって
       美しく見えるということ=


 

            出窓 「宜しくお願いします」 

    ★=========★★★★★=========★

 

               「けじめが大事」
                          松下幸之助「道をひらく」

朝起きて顔を洗ったら、まず仏前にすわって手を合わす。一家もそろって手を合わす。たとえ線香の一本でもよい。これで朝のけじめがつく。

夜ねるときも同じこと。夜は夜で、キチンとけじめをつけねばなるまい。別に形にとらわれる必要はないけれど、一日のけじめはこんな態度から生まれてくる。

何ごとをするにも、けじめがいちばん大切で、けじめのない暮らしはだらしがない。暮らしがだらしなければ働けない。よい知恵も生まれない。ものを失う。

商売も同じこと。経営も同じこと。けじめをつけない経営は、いつかはどこかで破綻する。景気のよいときはまだよいが、不景気になればたちまちくずれる。

立派な土手も蟻の穴からくずれるように、大きな商売も、ちょっとしたけじめのゆるみからくずれる。

だからつねひごろから、小さなことにもけじめをつけて、キチンとした心がけを持ちたいもの。

そのためには何と言っても躾けが大事、平生から、しっかりした躾けを身につけておかねばならない。自分の身のためにも、世の中に迷惑をかけないためにも。

おたがいに、躾を身につけ、けじめのある暮らしを営みたい。

 

        洗濯干し 「宜しくお願いします」 

 

        写真:緒方弘之「素晴らしい自然」天草
 
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天草と聞いて、キリシタン、海水浴場、温泉、新鮮な魚、エビ、天草五橋を連想する。青い海をただぼんやり眺めながユッタリした時間を過ごしたいと思う。

 


今日一日の枠の中で生きよNO2

2007年05月28日 | D・カーネギーに学ぶ

                 熊本市健軍・自衛隊通り

 明日のことは明日案じよ
      =明日のことは今日から心配せずに、明日になってから
       考えればいい。先のことをくよくよ考えるよりは、今現実
       を充実させて生きることが大切だということ=

 

      おねだり(とんすけ) 「宜しくお願いします」 

   ★=========★★★★★=========★

                    「今日一日の枠の中で生きよ」
                        D・カーネギー「道は開ける」

われわれにとって大切なことは、遠くにぼんやりと存在するものに目をやることではなく、手近にはっきりと存在することを実行することだ。

昨日の重荷まで今日のうちに背負うとしたら、どんな強い人でもつまずいてしまうでしょう。

過去と同様、未来もきっぱり閉め出せ・・・・・未来とは今日のことです・・・
明日など存在しないのです・・・・人間救済の日は今日をおいてありません。精力減退、心痛、神経衰弱は、未来のことを気づかう人に歩調を合わせながら、ついてまわります・・・・・そこで、前と後ろの大防水壁をピタリと閉ざして『今日一日の枠のなかで生きる』習慣をつけるように心がけるべきでしょう。

明日の準備をする最良の手段は、諸君の全知全能を傾け、あらゆる情熱を注ぎ、今日の仕事を今日中に仕上げることである、これこそ、未来に対して準備を整える唯一の方法である。

『だから、明日のことを思いわずらうな。あすのことはあす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労はその一日だけで十分である』

『あすのことは思いわずらうな』とは、明日のことは配慮すべきである。細心の注意を払って計画し、準備すべきである。だが、心配すには及ばないということである。 


      ダンス 「宜しくお願いします」 

          写真*熊本市健軍・自衛隊(東町)
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コンクリートの道に力強く咲いていた小さな花を見つけました。人が通り過ぎる中勇気を持って撮りました。病気で入院している母の病状が安定していることもあって一時退院しました。曾孫がお祝いに駆けつけてくれて大喜びの母です。だけど、人見知りして懐いてくれません、母親から一時も離れません(^_^.)、最後は私の大好きな阿蘇のススキの風景です。

 


若葉の峠

2007年05月27日 | 松下幸之助「道をひらく」

                熊本県宇土市・船場橋 

 両方聞いて下知をなせ
       =争い事に判断を下す場合は、両方の言い分をよく聞
        いてからにせよということ=

    ゴーゴー!(ピグレット&プー) 「宜しくお願いします」 

   ★=========★★★★★=========★

                「若葉の峠」
                          松下幸之助「道をひらく」

峠から峠に移る旅路かなーーーいつ聞いたのか、どこで読んだのか、もうすっかり忘れたしまったが、このことばだけは今も忘れずに、時折の感慨にフト頭をかすめてゆく。

一つの峠を越えてホッと息をついたら、また次に峠が控えていて、その峠を越えると、やっぱり次にまた峠がつづいていて、だからとめどもなく峠がつづいて、果てしもない旅路である。

これもまた人生の一つの真実である。真実であるかぎり、これは誰も避けられない。避けられなければ、やはりただ懸命に歩むほかないであろう。

高い峠、低い峠、荒れた峠、のんびりした峠、さまざまの起伏の中に、さまざまの人生が織りこまれて、それで一筋の歩みのあとがついてゆく。

時には雨に降られ、風に吹かれ、難渋の重い足を引きずらねばならぬこともあろうが、また思わぬ暖かい陽射しに、チチと鳴く小鳥の声をなつかしむこともあろう。

それでも元気で懸命に、越えられるだけの峠を越え、歩めるだけの旅路を歩みたい。

若葉の峠に、また新しい意欲をおぼえるのである。 

 

        おままごと(ミニー) 「宜しくお願いします」 

 

                写真:熊本県宇土市
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  御輿来海岸(熊本県宇土市網田)            船場橋        船場橋界隈

船場橋付近は、小西行長が船着場として開き、江戸時代、川のほとりには宇土細川藩の蔵屋敷が整備されました。今も武家屋敷跡や井戸などが残っていて、江戸時代当時の名残りをとどめています。

 


心を通わす

2007年05月26日 | 松下幸之助「道をひらく」

                                 江津湖で遊ぶカモ

 剛毅朴訥は仁に近しごうきぼくとつはじんにちかし
        =意志が固く、飾り気がなくて口数が少ない人は、 
         仁の美徳み最も近いということ=

     ぶちゅっ! 「宜しくお願いします」 

   ★=========★★★★★=========★                

 

                     「心を通わす」
                           松下幸之助「道をひらく」

故人曰く、人生はあざなえる縄の如し。まことにこの世に中、長い人の歩みのなかには、よいこともあればわるいこともある。うれしいこともあれば悲しいこともある。

そして、よいと思ったことが実はわるくて、わるいと思ったことが実はよくて、つまりあれこれと思いまどうことは何もなくて、はじめから素直に謙虚に歩んでおればそれでよかったと、人の知恵の浅はかさ、いまさらのように胸打たれることがしばしばである。

はじめからしまいまで徹底的にわるいということもなければ、また徹底的によいということもないのである。

それでもなお人は、わるいと思うときに自分で自分の心を閉ざし、よいと思うときにはまたおごりの心で人をへだてる。

心を閉ざし、人をへだて、心と心が通い合わぬ姿からは、おたがいに協力も助け合いも生まれてはこない。心ひらかぬ孤独の人びとばかりになるであろう。

有為転変のこの世の中、よいときにもわるいときにも、いかなるときにも素直に謙虚に、おたがいに心を通わし、思いを相通じて、協力し合ってゆきたいものである。   

     えへっ 「宜しくお願いします」 

 

         写真:熊本市 <江津湖に咲く花たち>
 
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  ツモツケ      キキョウソウ   センダン       アジサイ 

熊本市江津湖で見つけた自然です、花の名前が分かるのが、紫陽花だけです。5月24日撮影しました。野鳥を撮影したかったのですが、カメラ初心者でシャッターを切ったら野鳥は・・・写っているのは木だけです。あぁ明日のブログに載せる写真がない・・・足元を見たら綺麗な花たちが、花を撮るといつもボケていたのですが、今日はチャント撮れてるでしょう。自信がつきました。ヽ(^o^)丿
      
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生かし合う

2007年05月25日 | 松下幸之助「道をひらく」

                   菊池渓谷 

 麻の中の蓬(よもぎ)
         =まっすぐに伸びる麻の中で育てば、曲がりやすい
                      蓬もまっすぐに伸び育つもの、人間も周りが善人
          ならおのずと感化されて善人になるということ=

  キラキラ(デイジー) 「クリックお願いします」 

    ★=========★★★★★=========★

                 「生かし合う」
                           松下幸之助「道をひらく」

人間の生命は尊い。尊いものは誰もが尊重しなければならぬ。

ところが、自分の生命の尊いことはわかっても、他人の生命もまた尊いことを忘れがちである。ともすれば私心に走り私利私欲が先に立つ。つまり、自分にとらわれるということで、これも人情としてやむえないことかもしれない。

しかし、これではほんとうに、おたがい相互の繁栄は生まれないであろう。人間本来の姿は生かされないであろう。

やはり、ある場合には自己を没却して、まず相手を立てる。自己を去って相手を生かす。そうした考えにも立ってみなければならない。

そこに相手も生き、自分も生きる力強い繁栄の姿がある。尊い人間の姿がある。

自己を捨てることによってまず相手が生きる。その相手が生きて、自己もおのずから生きるようになる。これはいわば双方の生かし合いではなかろうか

そこから繁栄が生まれ、ゆたかな平和と幸福が生まれてくる。

おたがいに、ひろく社会の繁栄に寄与するため、おたがいを生かし合う謙虚なものの考え方を養いたい。


   たんぽぽ  「宜しくお願いします」 

 
         写真:緒方弘之「素晴らしい自然」菊池渓谷
 
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今日、熊本は気温が30度を超えました。暑い一日でした。一雨毎にこれから暑くなります。そんな時、ここ菊池渓谷は天然のクーラーで、身も心も癒してくれます。別世界です。春には新緑、秋には紅葉、冬は樹氷、夏は県内外から涼を求め、家族連れで賑わいます。マイナスイオンを体一杯に浴び静かに万葉集を読みたいと思います。

 


理性はあてにできない

2007年05月24日 | 中村天風語録

                     熊本城

 居は気を移す
        =居場所は人の気持ちを変化させる。地位や環境に
                    によって、人の考えや人柄が変わるということ=

 

    ピクニック 「宜しくお願いします」 

   ★=========★★★★★=========★

        「理性はあてにできない」
                       中村天風「ほんとうの心の力」

理性という心は、人間だけに与えられたもので、ものの善悪、是非、邪正、曲直というものを分別してくれる心です。

世の多くの人々は、理性だけを標準として、ああでもねえ、こうでもねえと考えて、心のもつれの一切を解決しようとする。また、そういう力を理性がもっているがために、人生の一切はこの理性に任せて生きることが、また生きてこそ一番安全だというふうに思い違いをしてるんです。

理性というのは、一日一分といえども、同じ状態でいないんです。つまり、昨日の理性と今日の理性は違うんですよ。よくあるだろう?
おととい考えたことを、今日考えてみたら、ああ、あれよりはこのほうがいいな、というふうに考え直すことありゃしない?

それは結局、理性というものは向上し、発達し、変化するからなんです。だから、今日、自己の理性で判断して、是なりと思ったことも、明日になって、さらに理性の発達にともなって、あるいはそれが全然反対に非となる場合だって往々にしてあるんです。

だから、変転変化極まりなき発達性をもっている理性のみ標準にして生きようとする計画は、狂っているコンパスをあてにして航海をするよりまだ危険なんです。

 

      ウキウキ(プー&ピグレット) 「宜しくお願い致します」 

                 写真:熊本城
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日本三名城の一つに数えられる熊本城は、天正16年(1588)、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正によって築かれました。築城は慶長6年(1601)に始まり、同12年(1607)に完成したといわれています。
城郭は周囲9Km(築城当時)、広さ約98万平方メートルで、その中に天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構えです。なかでも「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名です。また自然の地形を巧みに利用した独特の築城技術がみられます。この城は以後、加藤家2代(44年)、細川家11代(239年)の居城となりました。


一休さんの工夫

2007年05月23日 | 松下幸之助「人生談義」

                      熊本県:黒川温泉

  昨日は人の身今日は我が身
       =昨日他人に降りかかった災難が、今日自分のものに
        になるかもしれない。人の運命は、いつどのように
        変わるかもしれないということ=


     家族旅行 「宜しくお願いします」 
 

   ★==========★★★★★=========★

                               「一休さんの工夫」
                                                      松下幸之助「人生談義」

それは、一言でいうと、“人を見て法を説く”ということ、つまり、相手の人の性格や好みやそのときの気持ちをよくわきまえて、その人にあった言い方をするということです。

もちろん、自分の考え方を受け入れてもらおうと思えば、その考え自体が的を射たものであることが大切なのはいうまでもありませんし、熱心に熱意を持って伝える努力をすることも必要でしょう。しかし、それだけでは十分でない、やはり相手によって、言い方、説得の仕方を変えなければならないと思うのです。

そうでなければ、いくらいい考えを持っていたとしても、熱心になればなるほど相手の人の心を閉ざし、受け入れてもらえないということになりかねません。

あの有名な一休さんの若い頃の話に次のようなものがあります。

一休さんは若い頃から才知がすぐれていて、しばしば人を教え導いていました。しかし、中にはそんな一休さんの姿を見て、若僧のくせに生意気だ、と思う人もいたらしく、そんの人の一人が、ある日一休さんに質問しました。

「聞くとことによると、地獄とか極楽というものがあるそうですな」
「ありますよ」
一休さんはにこやかに答えます。
「しかし、その地獄や極楽へは行くのは、死んでからでないといけないといいます」
「そうです」
「人が生きている間に悪事をすれば、死んでから三途の川、死出の川などという難所を越して、そしてようやく地獄に入るといいます。そして極楽浄土というのは、ここより十万億土というはるか遠く離れたところにあるといいます。非常に遠い道のりを行かねばなりません。私たちのような体の弱い者は、極楽はともかく、地獄へも行きにくいと思うのですが、どうでしょう」

こういう質問を受けて、一休さんは静かに答えて言いました。

「地獄というのは、別に遠くにあるものではありません、目の前のこの世の中にあるのです。浄土もまた、ここから遠いところにあるわけではないのです」

するとその人は
「いやいや、あなたそのように目の前に地獄や極楽があるとおしゃるが、実際にあらわれて見えないのですから、私は納得できません。あなたのように若い坊さんとしては、やはりくわしく、わかるように示してくださることはできないのでしょうね」
と言ってあざ笑いました。バカにされて腹を立てたのが一休さんです。

「さてはあなたは、私を若年ものとあなどられるのですか!」
一休さんは、一本のナワを持ってその人のうしろへまわり、そのナワを首にかけて、ギュッと締めつけました。

「さあ、これでどうだ!」
締めつけられてはたまりません。
「苦しい!わかった、わかった。これは地獄だ。まさに地獄だ。助けてくれ!」
それで一休さんはそのナワをといてまた、たずねました。
「さあ、こんどは、こういう状態ではどうだ!」
ホッとして息をついたその人は答えました。
「やれやれ、これはほんとうに極楽だ。浄土だ。よくわかりました。いや、あなたはまだ若いから実際は大したことはないと思っていましたが、私が間違っていました。あやまります。あなたの才知はほんとうにすばらしい!」

一休さんは、口で言ってもわからないので当意即妙に身体でわからせようとした。そうすると、相手はたちまちのうちに理解したというのです。

これは、実際にあった話かどうかはわかりません。また自分の考えを相手に伝える方法としては非常に極端な例だとは思います。けれども、人に自分の考えを理解してもらおうとする場合には、この一休さんのような工夫がやはり必要なのではないでしょうか。

人はさまざまです。短気な人もいれば気の長い人もいる。緻密な人もいればおおざっぱな人もいる。理論派もいれば人情家もいる。というように、それぞれの持ち味がみな異なります。

しかも、それだけではありません。同じ人でもその心というものは刻々に動いていて、いわば千変万化の様相を呈しています。ですから、同じことを言っても、ある人は反発し、ある人は喜んで聞いてくれるといったことがあるでしょうし、同じ人でもそのときの心の状態のいかんによって、受け取り方はさまざまに変わってくると思うのです。

 

    洗車 「何卒・宜しくお願いします」

             写真:阿蘇・黒川温泉
 
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田の原川沿いに旅情あふれる旅館やお土産屋やお食事処が軒を連ねる。各旅館のそれぞれに趣向を凝らした露天風呂を下駄と浴衣姿で巡る。小さな温泉地全体がしっとりとした雰囲気に包まれている。

 

 


人との関わりを大事にしたい

2007年05月22日 | 松下幸之助「人生談義」

  佐座家屋敷(五家荘)

禍福は糾える縄の如し
      
=幸・不幸は、より合わせた縄のように巡り巡ってやって
        くる。不幸を嘆いているとそれがいつの間にか福に
        変わり、幸せを喜んでいると、それが次は災いに変わ
        るということ=
           <沈む瀬あれば、浮かぶ瀬あり>

  風船(ティモシー)  「宜しくお願いします」 

  ★=========★★★★★★=========★
 
 

    「人との関わりを大事にしたい」
                         松下幸之助「人生談義」

私たちは日頃。さまざまな人間関係の中でいきています。そして、そうした人と人とのつながりはとかく個人的な意志でできたものと考えがちで、だからそれらのつながりは、自分一人の考えで、いつでも断てるかのように思っている一面があります。

しかし、“袖ふり合うも他生の縁”と昔からいわれているように、人と人とのつながりには、やはり個人の意志を超えた、縁という深い力が働いている。

夫婦の間にももちろん、友人の間にも、また会社の上司や同僚、隣人との間にも、個人的は意志の力を超えた縁の力が働いていて、その力によってお互いが結びつけられていると考えられるのではないでしょうか。

とするならば、私たちは、職場でといわず、隣近所でといわず、いまそれぞれに持っている人と人との関わりを、もっともっと大事にしていく必要があるのではないかと思います。

日頃何気なく受けとめているあの人、この人とのつながりも、実は世界何十億という人の中から、深い縁の力によって選ばれ、結ばれた結果である。そう考えて、お互いの心もよりスムーズに通いあって、ほんとうに力強い真の人間関係が育まれてもくるのではないかという気がするのです。

縁などというと、若い皆さんには、古くさいことばのように思われるかもしれませんが、日々人間関係に、わずらわしさを感じたときなど、一度この縁の力の不思議さについて、考えてみてはどうでしょうか。きっと新しい勇気がわいてくるのではないかと思います。

 

  ごきげん(ダンボ)  「宜しくお願いします」 

          写真:緒方弘之「素晴らしい自然」五家荘
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 五家荘(新緑)  せんだん轟の滝    五木の里        平家の里

最後の秘境と言われる五家荘、今でも手付かずの自然が残っている。この五家荘は広く知られるように平家の落人の里である。五家の荘の紅葉は言葉では言い表せないほどの美しさである。
       写真の上にマウスを当てクリックしますと写真は拡大されます。

 


一陽来復

2007年05月21日 | 松下幸之助「道をひらく」

                  阿蘇:白糸の滝

  移木の信
       
=約束したことを実行すること=

 

        ダンス(ピノキオ) 「クリックお願いね!」 

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           「一陽来復」          
                            松下幸之助「道をひらく」

ひろい世の中、長い人生、いつも心楽しいことばかりではない。何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、これはこれでまことに結構なことであるけれど、なかなかそうは事が運ばない。ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。

しかし、それまたよし。悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、窮境に立って、はじめて世間の味わいをまなびとることができるのである。

頭で知ることも大事だが、身をもって知るということが何よりも大事。塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。知るということにも、いろいろあるのである。

窮境に立つということは、身をもって知る尊いチャンスではあるまいか。得難い体得の機会ではあるまいか。そう考えれば、苦しいなかにも勇気が出る。元気が出る。思い直した心のなかに新しい知恵がわいてくる。そして、禍いを転じて福となす。

つまり一陽来復、暗雲に一すじの陽がさしこんで、再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくると思うのである。


 

        ウソ(ピノキオ) 「クリック・宜しくね」 

      写真:緒方弘之「素晴らしい自然」阿蘇・白糸の滝
   
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高さ約20mの岩肌を滑るように流れ落ちる滝。霧のような水しぶきが陽射しにあたって光り輝く姿は、ため息が出るほど美しい。下流には池があり、歩道やベンチを設置。


紙一重

2007年05月20日 | 松下幸之助「道をひらく」

                                   山田日吉神社の藤

 刎頚の交わり(ふんけいのまじわり)
       =決して変わる事のない深くて堅い交わり。
        生死を共にし、友人のためなら首を刎ねられても
        悔いがないという関係=
        そういう相手を「刎頚の友」と言う


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                 「紙一重」
                                松下幸之助「道をひらく」

天才と狂人とは紙一重というが、その紙一重のちがいから、何という大きなへだたりが生まれてくることであろう。たかが紙一重と軽んじてはいけない。そのわずかなちがいから、天才と狂人ほどの大きなへだたりが生まれてくるのである。

人間の賢さろ愚かさについても、これと同じことがいえるのではないだろうか。賢と愚とは非常なへだたりである。

しかしそれは紙一重のちがいから生まれてくる。すなわち、ちょっとしたものの見方のちがいから、えらい人と愚かな人との別が生まれてくるのである。

どんなに見ようと、人それぞれの勝手である。だからどんな見方をしようとかまわないのではあるけれど、紙一重のものの見方のちがいから、賢と愚、成功と失敗、繁栄と貧困の別が生まれてくるのであるから、やはりいいかげんに、ものの見方をきめるわけにはゆくまい。

考えてみれば、おたがいの生活は、すべて紙一重のちがいによって、大きく左右されているのではないだろうか。だからこの紙一重のところをつかむのが大切なのであるが、これにはただ一つ、素直な心になることである。

素直に見るか見ないか、ここに紙一重の鍵がひそんでいる。

 

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写真:熊本県玉名市・玉名温泉・日吉神社
 
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  しらさぎの足湯    山田日吉神社        <山田の藤>

山田の藤は、山田日吉神社の境内にある。樹齢は200年超とされ熊本県指定天然記念物である。ここ玉名市は温泉街としては有名ではあるが、肥後菖蒲で有名な高瀬裏川水際緑地公園、「石貫ナギノ横穴群」「石貫穴観音横穴」などもある。

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忍耐の徳

2007年05月19日 | 松下幸之助「道をひらく」

                                  フラワーヒルズ菊池

 大海は芥(あくた)を選ばず
         =海は川から流れ込んでくるごみをすべて受け
          入れる。大人物は度量が広いから、どんな
          人間でも受け入れるということ=  

 

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                「忍耐の徳」
                         松下幸之助「道をひらく」

何事においても辛抱強さというものが大事だが、近頃はどうもこの忍耐の美徳というものがおろそかにされがちで、ちょっとした困難にも参って悲鳴をあげがちである。

そして、事志とちがった時には、それをこらえてさらに精進をし、さらに力を蓄えるという気迫がまるで乏しくなり、そのことの責任はすべて他にありとして、もっぱら人をののしり、社会を責める。

これは例えば、商売で品物が売れないのは、すべて世間が悪いからだというのと同じことで、これでは世間は誰も相手にしてくれないであろう、買うに足る品物であり、買って気持ちよいサービスでなければ、人は誰も買わないのである。

だから売れなければまずみずからを反省し、じっと辛抱をしてさらに精進努力をつづけ、人々に喜んで買っていただけるだけの実力というものを、養わなければならないのである。

車の心棒が弱ければ、すぐに折れてガタガタになる。人間も辛抱がなければ、すぐに悲鳴をあげてグラグラになる。

おたがいに忍耐を一つの美徳として、辛抱強い働きをつづけてゆきたいものである。


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              写真:熊本県菊池市
 
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    菊池渓谷     竜門ダム    菊池神社   わいふ一番館

熊本県の北に位置する菊池市は、平安時代の後期より菊池一族とともに発展したところです。熊本のオアシス「菊池渓谷」や、湯量の豊富な「菊池温泉」、また栄枯盛衰の余韻を今に伝える「菊池神社」「菊池歴史資料館」などみどころがいっぱいです。

 


無理ということ

2007年05月18日 | 松下幸之助「人生談義」

                     阿蘇:草千里 

天に口なし人を以って言わしむ
         =天はものを言わないが、その意志は人の口を借りて
                      伝えられる。大衆の間意に自然に広がる世評こそ
          天の意志の表れだということ=  

      レイブガール 「昔を思いだして踊りたいね」 

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        「無理ということ」
                        松下幸之助「人生談義」

仕事がうまくいかない、人間関係がうまくいかない、あるいは、その他の何かがうまくいかないという場合、一度静かに無理をしていないかどうかを考えてみることも意味あることではないでしょうか。

         「天地自然の理」

無理をしないということは、理に反しないということ。言いかえると、理に従うことです。

春になれば花が咲き、秋になれば葉っぱが散る、草も木も。芽を出すときには芽を出し、実のなるときには実をむすび、枯れるときには枯れていく。まさに自然の理に従った態度です。

人間も自然の中で生きている限り、天地自然の理に従った生き方、行動をとらなければなりません。といっても、それは、別にむずかしいことではない。言いかえると、雨が降れば傘をさすということです。

雨が降れば誰でも濡れる。これは自然の理ですね。しかし、傘をさせば濡れないですむ。これも自然の理に従った姿です。そのことは誰もがごく当たり前に行っている。おかげで、雨にも濡れませんし、風邪もひかない。

しかし、もし、雨が降っても自分は絶対傘をささないんだ、と意地を張って歩き出せば、たちまちずぶ濡れになってしまいます。

悪くすれば、病気になるかもしれない。無理をするからですね。
もちろん非常の場合には、そうしたことも、ときに必要かもしれませんが、いずれにしても傘をささなければ濡れてしまう。所詮は自然の理にはかなわない。かなわなければ、従うほかないのです。

そこは誰でもわかっている。ところが、実際の生活はもっと複雑ですから、ともすれば判断がこんがらがってくる。そして、雨の中を傘もささずに歩くような考え方をしたり、不自然な行動をとったりする。そこから、いろいろな間違いが起こってくるのですね。

 


   ちょうだい!(ジョック&スキャンプ) 「ねぇ~遊んでよ!」 

           写真:緒方弘之写真集から 阿蘇の四季
  
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阿蘇の季節ごとの写真を抜粋してみました。春は一心行の桜、高森の千本桜を始めとして阿蘇には色んな花が咲きます、秋のススキがあたり一面の景色は個人的には大好きです。阿蘇をドライブするだけで気分が爽快になります。阿蘇の大自然に抱かれるだけで、悩みが吹き飛んでしまします。秋の景色の阿蘇の涅槃像アップしてみてください。

 


本当に大切なもの

2007年05月17日 | 中村天風語録

                    芦北町:野坂の浦

 命あっての物種
      =何事も命あってのことで、命がすべての根源となる。
       死んでしまっては何の意味のないから、生命にかかわる
       ような危険なことはするなという意味=

 

    ガーデニング 「水を与えてください」

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           「本当に大切なもの」
                 
中村天風「ほんとうの心の力」

ここに面白い話があります。古代神話です。

昔、悪魔がある町に現れて、「今日から、お前たちのものをすべて俺は奪い取ることにする。しかし悪魔にも情けはある。明日までに残しておいてほしいものを一つだけ書き出せ。それ以外のものは一切、俺が奪い去るからな」と言い残して、悪魔はひとまず立ち去った。

さあ、町の人はてんやわんやの大騒ぎ。「俺はお金だ」「俺は食い物」「私は家」「いや、私は名誉だ」「私は宝石よ」と、それぞれいろいろなものを書き出した。

あなた方だったらどうする?悪魔はたった一つだけしか見逃してくれないんだぜ。

さてさて、一夜明けてみると、その町にはなんと、たった一人の人間だけしかいなくなっていたとさ。

もう、わかったね。金だ、屋敷だ、やれ宝石だ、やれ何だと書き出した人々は、もっとも肝心な「命」を忘れていたんだね。たった一人だけが「命」と書いていたので生き残ったというお話です。

金だ、家だ、仕事だ、名誉だ、愛だ、って、確かにみんな大切なものではありますが、命あってのものでしょう。それ以外は所詮は人生の一部でしかないんですぜ。

罰当たりな現代人よ、人生の一部が手に入った入らないで、悩んでいないか・・・・・・



   ミュージック  「波の谷間に命の花が♪」

        写真:熊本県葦北郡芦北町・野坂の浦
 
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芦北町は、万葉のロマンが漂う歴史のまち。「日本書紀」によれば、古代、景行天皇が熊襲征伐の折に芦北から八代の水島に向けて船出されたことが記されています。
 その後、持統天皇の時代に九州・太宰府に派遣されたは、芦北の地にも足をのばしました。そのときに長田王が景行天皇をしのんで詠んだ歌は「万葉集」におさめられています。
 
芦北の野坂の浦ゆ船出して
    水島へ行かむ波立つなゆめ

 歌の大意は「芦北の野坂の浦から船を出して、景行天皇が行かれた水島へ自分も行きたいと思う。だから波よ荒れないでおくれ」