奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

無礙自在(むげじざい)

2007年10月18日 | 中村天風語録

 五家荘の紅葉

 妻の言うに向こう山も動く
       =動くはずのない向こうの山でさえ、妻が言えば動く。
        家庭の中で妻の意向が絶大であることのたとえ。
        日頃人の言う事には耳を貸さない人でも、妻が言えば
        従ってしまうということ=


      居眠り     日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

     ==================================================

「無礙自在(むげじざい)

常日頃、気を散らさないで物事を行う心がけを実行してますと、習うより慣れろで、どんな複雑なことに出会っても、いつもはっきりと住みきった気持ちで何の渋滞もなく、片っ端からぱくぱく片付けていけるようになる。

また、そういう気持ちをもっている人間には、どんなことがあっても面倒くさくいってことはないんであります。つまり、トラブル、騒ぐという気持ちはどんな場合であっても感じません。することなすことがすべて楽しみに振りかわっていく。お経に書いてある「無礙自在」というのはこれなんです。何にもとらわれていない。

よい習慣をおつけなさいよ。日にたとえ一時間でも二時間でもいいから、この時期だけはと、何の汚れも濁りもない澄みきった心でやろうぞ、という習慣を、そういう習慣の生活をするようになると、心の状態に何ともいえない余裕が出てくるんですよ。どんな場合にも慌ても驚きもしない。どんな用事の多いときでも、忙しくてたまらない、なんてことは言いませんよ。

はっきりした気持ちでいくと、心が物にとらわれないで、心の前に現れたものをみんな心のなかに受け入れる。これがコンセントレーション(集中)なんだ。

 

 
    腹筋   日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」


写真:五家荘の紅葉
 images images images images

 

「散髪屋さんで」

男も五十の半ばになると、髪も薄くなるのは仕方のないことなんですかね。
長い~~~友と書いて「髪」というのに、
五十年で去っていくとはチョッと悲しい限りではあります。

tomoも最近は額が広くなりました。

然しながら、以前の生え際から抜けないでいる長い~~~友が
二本可愛いのであります。

鏡を見るたびに、抜こうか、そのままにしていようかと悩みでもありました。

 

先月、行き付けの散髪屋さんで

 

マスターがいつものようにカットしてくれました。

すっきりしました。

髪を洗ってくれた奥さんが、仕上げにセットしてくれるんですが。

 

「アラ・・・この髪抜きましょうね」

すると、マスター

「馬鹿 貴重な髪を抜くな」
「ネェ tomoさん、大事にしていたんでしょう」

「本当に頭が薄くなった男の心理が分からん奴で・・・」

 「******はぁ~」

命拾いをし二本の髪


繊細なtomoの心にはヒビが・・・

 

で・・・自宅に帰り鏡と睨めっこ。

抜こう・・・いや・・このままでもいい

結局、長い~~~友ともお別れしました。

 

日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」