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奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

一に看病二に薬

2007年03月24日 | 膠原病

一に看病二に薬
       =病気の治療には薬も大切だが、心のこもった
        看病がなによりも重要だということ=
              枕 

母は相変わらず入院生活を送っております。
今は退院に向けて一生懸命にリハビリに励んでおります。
その甲斐があって、杖をついて歩ける様になりました。 
                                                                 松葉杖 

今年の初めに「特定疾患」の申請をしておりました。
先日、県の方から「特定疾患医療受給者証」が届きました。
 
一ヶ月間の入院費は上限が6700円ぐらだったと思います。
「特定疾患医療受給者証」に金額は記載されていますが・・・
(今ここに無いものですから)

でも、一時は「もしかしたら家に帰ることは無いかもしれません」と
先生に言われある程度覚悟はしておりましたが・・・ 充血した目 

よく90歳という年のハンディーを乗り越えてここまでに元気に
なるとは母を褒めてやりたいです。
                                                  ブラボー 

今日は雨です。
来週の土曜日は熊本も桜が満開になるでしょう。
母を花見にでも連れて行こうと思っています。
              場所取り 


    写真:不開門(あかずのもん)から 天守閣への道 (熊本城)


まさか!自分の母親が!

2007年03月17日 | 膠原病

思う事一つ叶えばまた一つ
       =望みが一つ達成されると、すぐもう一つ
        欲しくなる。人間の欲望は際限がない=


             風邪 

母が思うように動けなくなったのは一年と三ヶ月前です。
最初は大腿骨骨折で三ヶ月入院しました。
リハビリをして、杖をつけば歩けるようにはなりましたので、
家でも自分の食事は自分で作っておりました。

それから、一年経っても足の浮腫み・腫れが引かず、
手まで浮腫んできました。
手の皮膚が硬くなり、先生に膠原病・強皮症と言われたのが
三ヶ月前です。

強皮症で手の甲は硬く、指先が曲がり、立ち上がる時には
手を支えにしますので、手の関節が割れて血が出るのです。
床には座る事が出来ず。椅子に座らせていました。

そうなると、トイレに行くにも兎に角時間がかかるようになります。
直ぐ立ち上がれないのですから・・・・
その時母が「おしめ」を買ってきてくれんね・・・と言いました。

自分で穿ける内はまだ良いのです。
その内に歩かなくなりましたので、ディーサービスにリハビリを
兼ねて、話し相手でも出来たら少しは元気になるであろうと
行くようにしました。

その母が突然です。「漏らしたからおしめを替えて」・・・
自分ひとりでは穿けないのです。 眼が飛び出る 
自分の母親が・・・・それには言葉を失いました

悲しいとか、母が可哀想とか・・そんな事ではなく
ただ・・「ショック」「愕然」「頭が真っ白」・・・
まさか・・自分の母親が・・・ 宇宙と交信中 

今、母は入院しています。
病状も順調のようで、リハビリに励んでいます。
                松葉杖 

                     写真:熊本城

 

 


膠原病「強皮症」の症状

2007年02月28日 | 膠原病

母が入院して一ヶ月になります
母は90才です。難病指定の膠原病の一種で「強皮症」です。
最初は手足の異常な浮腫み、次第に皮膚が硬くなりました。

次に逆流性食道炎で吐血、
手足は紫色・薄黒くなり、入院してレントゲンの結果、胸水と
心臓肥大・脊髄圧迫骨折と診断されました。

短期間のうちに、胸水・心臓肥大、心筋梗塞の症状がでており、
医者からは「もしかしたら、二度と家に帰る事が出来ないかもしれ
ませんと」と宣告を受けました。

先生の治療が良かったのでしょう。今、母は手足の浮腫みも取れ
又、薄黒かった手足も、肌色になりました。
胸水も大分引いたとの事で、今はリハビリをしています。 松葉杖 

親戚・家族の見舞いも幸いして、「生きる」力を貰ったようです。
以前はテッシュー一箱、痰が出ますので使っていましたが、
今は痰が出るのも少なくなったようです。

いま、心配なのは、下痢の症状が10日ほど続いていますが、
顔色も以前と比べますと別人のようになりました。
食欲も旺盛です。

母にストレスを与えないように、毎日見舞いに行き、楽しく話を
する、今、私に出来る唯一の恩返しです。

                  元気になって 


   写真;緒方弘之写真集「素晴らしい自然」から菊池渓谷(夏)

 


生きる(6)

2007年02月07日 | 膠原病
「トモノリ見て、ほら手が、手に血管が」と見舞いに来た私に嬉しそうに微笑んで
喋る母
「あぁ、母ちゃんの手に皺が」と私
母の病気は強皮症です。手は硬くてまるで石ころみたいに皮が硬く、皺も出来ません、皮を摘む事も出来ません。
その母の手の甲に血管が出ています。
「母ちゃん、手が少し柔らかくなったね」って言って手を擦る私
「薬が効いてきたっちゃなかろうか」と母
「薬が効いてきたとよ」と私
二人で「病気が治りよるとよ」と笑う
指の関節は曲げるために血が出、かさぶただらけの手。
老人の手で有れば普通に血管が出て当然なのに・・
本当に小さくなった母の手・・
こんな小さな手で私を育てたのかと・・・
今更ながらに感謝しながら手を擦る私。
母の誕生日には、兄夫婦が来ると知らせがある。
母が子守をした叔父も来る。母からすれば甥である。
その知らせを母には伝えてはいない・・・
当日になって来られないじゃ母が悲し過ぎる。





生きる(3)

2007年02月05日 | 膠原病
母の見舞いに行ってきました。今日は突然呼吸が出来なくなり、目の前が真っ暗
になり、看護婦さんへの緊急の呼び鈴も見えず。必死で手探りして呼び鈴を鳴らしたとの事でした。病院からは私に何の連絡もありませんでした。病院としては、事無きを得たからでしょうが、家族に報告は有ってもと・・全ての事に於いてそうでしょうが、病院側からすれば入院患者数分の1でしょうが・・家族からすれば1/1なのです。
母の病気は「強皮症」です。今は強皮症からくる「胸水」「心臓肥大」「逆流食道炎」「肝硬変」です。
手足の皮膚は硬くなり摘む事が出来ません。
見舞いに行くと嬉しそうに笑います。その笑顔は素敵で可愛いです。
その笑顔を見に毎日行きます。
その笑顔が消えて、息を「ハァーハァー」としている姿を見ると、もしかしたら
逝くのではと心臓が止まりそうです。
明日は笑顔を見に行きます。

生きる(1)

2007年02月04日 | 膠原病
母が膠原病で入院しました。90歳です。難病指定の病気です。今度は無事に退院する事は無いでしょうと医者に言われました。
母親の部屋にはもう二度と寝る事の無いベッドが母の帰りを待っています。
子として何をして上げられるのか、何をしてあげればよいのか日々悩んでいます。
母の話を聞いてあげる事、手をさすってあげる事、ただ、病院に顔を出す事だけ
しかしてあげられません。
90歳です。大往生なのかもしれません。
90歳まで母が生きていた事に感謝しなければいけないのでしょう。
だけど、母親です。
モット長生きして欲しいと、せめて家から送ってあげたいと思います。