薔薇・ウィエスター
樹静かならんと欲すれど風止まず
=親孝行をしたいと思った時には、親がもうこの世に
いなくてままならないたとえ=
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「ありがたい」
tomoのささやき
最近、ありがたらがらない人をよく見かける、当たり前だと思っているのだろうか。もしかしたら、私の考えがおかしいのだろうか。
明治と大正生まれの父と母と旅行にいく。昔の人間だからベッドは苦手のようで、布団でないと寝れないのだろう。起きると必ず綺麗に布団をたたむ。私の布団まで綺麗にたたんでくれる。
たたまないでいいよ。旅館の人がするからと言う私に、父が布団で寝れることが有難いという。戦争に行った父にすれば、草むらで何も掛けず、何も敷かずに寝ていた経験をもつ人間にとって、布団の上で寝れること事態がありがたいのである。
外食してもそうである。帰り際には必ず二人して「ありがとう、美味しかったです」と店員い言う。レジで勘定するときに言うのであればいいのであるが、店を出るまでの間に会う店員さん全員に言うから私としては恥ずかしい。
最近、お金を払って食べてるから、お金を払って泊まってるからということなのか、ありがたらない人。当たり前だと思って人、傍若無人な振る舞いの人をよく見かける。自分の都合で泊まったり、自分の都合でレストランで食事をするのである。
もっと気持ちをおおらかにして“ありがたい”という気持ちをお互い持ちたいものだと思う。
今は亡き父に教わったのは“ありがたい”という気持ちを常に持ちなさいとその姿、背中から学んだように思う。
「有難う御座います」 
写真:庭に咲く花たち

ペンタス メランポジウム 日々草 ティプラディニア
今日はブログを更新する気分にならなかった。昨日本日のブログの写真を水前寺公園界隈を載せようと暑い中汗にまみれ撮った写真が、ナント高画質で撮った為にアップ出来ない。(^_^.)トホホ、そんなとき、misaさんに花の名前少し覚えましたねって褒められて、庭の花でもと・・・母が大事に育ててる。母は家を留守にする時は、私の食事の心配などしない。ただ花に水を上げられない事を心配する。私に一生懸命頼み込む、そんな母も今、花に水をやることが出来ない。もっか私が世話係りである。もしかして名前間違ってる?(^_-)-☆その時はお許しを・・・<m(__)m>