奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

二つの見方

2008年04月28日 | 松下幸之助「人生談義」

 熊本県:山鹿市・日輪寺

 

「二つの見方」

ご存知の方も多いと思いますが、二宮尊徳翁がおもしろいたとえ話をしています。

田舎から二人の若者が花のお江戸に仕事を求めて出てきました。そうしますと、江戸では、街角で一杯の水を売っている人がいます。二人はそれを見て驚きます。しかし、その二人の驚き方が異なるのです。

一人の若者は“なんと、江戸では一杯の水も金を払わないと手に入らないのか。このようなところではとうてい住みつづけることはできない”と、気を落として田舎に帰ってしまう。

ところがもう一人の若者は、“これはおもしろい。江戸では一杯の水を売ってさえ商売ができるのか。知恵を働かせば、商売の道は無限だな”と、胸をおどらせて江戸に残ることにした、というのです。

一杯の水を売っているという事実は一つですが、その見方はいろいろあり、悲観的に見ますと、心がしぼみ絶望へと通じてしまいます。しかし、楽観的に見るなら、心が躍動し、さまざまな知恵や才覚がわいてくる、ということを尊徳翁はいいたかったのでしょう。ぼくもその通りだと思います。

ぼくは、よく人から、「苦労されたでしょう」ということを言われたり、「いちばん苦労されたのは何ですか」という質問を受けたりするのですが、そのときいつもハタと困ってしまいます。というのも、実際、あまり苦労したという実感がないからです。

それはなぜかと考えてみると、おそらく、九歳で大阪に奉公に出てきてから今日まで、意識的にも無意識的にも、水売りの姿を見て江戸に残った若者のように、ものごとを積極的に、明るく見てきたからではないでしょうか。

船場で小僧時代には、確かに寒風吹きすさぶ冬の朝に、手まで凍りついてしまうような冷たい水でぞうきんがけをしたり、ご主人の言われた用件を間違えて大目玉をくらったり、ビンタをはられたりしたこともありました

しかし、当時はご主人や先輩から、常に、「苦労してこそ一人前になれるんやで。苦労というものはお前の身になるのや」と言われていましたし、一瞬“つらいな”と思っても、次の瞬間、“いや、これは自分のための苦労や”と思い直していたように思うのです。そうすると、苦労が苦労でなくなり、むしろ喜びに変わってきます。
                       =松下幸之助「人生談義」=

 

 

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 熊本県:山鹿市・日輪寺
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古い寺であるため境内には、寺にまつわる史跡も多くあります。菊池武時の息女了心素覚尼の五輪塔や在銘の梵鐘、忠臣蔵で知られる赤穂義士のうち細川藩に預けられた17士の遺髪を納めた遺髪塔があります。

 

 

「友人との会話」

ツルル~ン
「久し振り・・・なんばぁ・・・しよっと」

「今・・・泣いた~」
「なぁ・・・なんで・・・なんか、あったの」

 

「テレビでナイター観よっと」
「巨人、阪神戦」

「巨人が負けて・・又・・泣くばい!」
「ナイターば見て泣いた~」
なんて、言わんでよ!

 

「tomoは、なんばしよっとね」

「うん・・・ネット」

「又・・パソコンばしよっとね」
「目が悪うなるばい」

「誰が・・パソコンって言うたね」

「寝っと!」

「あんたこそ、ネットばしながら寝っと」
なんて・・つまらん洒落ば言わんでよ!だって!

 

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無言の契約

2008年04月27日 | 松下幸之助「人生談義」

 阿蘇・ミヤマキリシマ

 

「無言の契約」

もう一つ、何かの本で読み深い感銘を受けたこんな話があります。

人里離れたある峠に、一軒の古ぼけた茶屋があって、そこに一人のあばあさんが住んでいた。そのおばあさんは、朝はいつも早くから起きて、毎日キチンと店をあけ、お茶をわかして、山越えしてくる旅人を待っていたのです。

旅人の来る日もあったし、来ない日もあった。それでもおばあさんは、毎日キチンとお茶をわかし、キチンと店をあけていた。

少々身体が悪くても決して休まなかった。だから山越えする旅人たちは知らず織らずのうちにそこでいっぷくするのを小さな楽しみと感ずるようになり、あばあさあんは、みんなに感謝されたというのです。

おばあさんの姿には、お茶を売ってお代をいただくという以上の誠実な気持ちがあふれているでしょ。言いかえれば、峠を上り下りする旅人たちとのあいだに、いわば目に見えない無言の契約がとりかわされていて、その契約を果たすために、毎日、誠実に奉仕しているという感じがするのです。

お茶を売ってお金を儲けるだけなら、自分の都合でいつ休んでもいいようなものですよ。しかし、このあばあさんはそんな味けない考えは少しもなかった。

自分の茶店は自分一人のもにではない。この茶店をアテにして上り下りする山越えの旅人たちのためのものだ。その世話をするのが自分の役割なのだ。きっとおばあさんは無意識のうちにもそう考えていたのではないでしょうか。

 

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熊本城:竹の丸広場
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パノラマ写真になっています!
拡大して、熊本城竹の丸広場からの熊本城を楽しんでくさだい!

 

 

「オゥ・マイ・ゴット!」

「tomoさんのダジャレは,ご当地ダジャレですね!」

「オォー・なんてこっちゃ」

tomoの言葉は
綺麗な標準語と思っていたよ!

 

訛ってたんだ!

知らなかった
恥ずかしいトホホ

で・・・

 

この、熊本弁
分かりますか?

 

「とっとっと?」
「うん・・とっとっと!」

まぁ・・・九州の人なら分かるね
普段よく使う言葉だから・・・

 

では・・・これも、九州の人なら分かるね

 

「すーすーすぅ」

ドウジャ~・・・分からないでしょう!ワハハ

 

 

ココの場所は取ってあるんですか?
はい、この場所は取ってるんですよ!

「とっとっと」
「うん、とっとっと」

 

すきま風が吹いて寒い時!
又、風邪をこじらせて背筋がゾックとする時など

「すーすーすぅ」

 

では・・
標準語で・・ギャグを一つ

 

先生・・放課後、野球をしたいので
「校庭を使っていいでしょうか?」

 

「うん・・・どうじょう!」

 

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感謝の心を

2008年04月26日 | 松下幸之助「人生談義」

 熊本県八代・松濱軒

 

「感謝の心を」

幸せを得ようと思えば、まず感謝の心が必要だと思いますね。人間とは妙なもので、同じことをしてもらっても喜ぶ人もあれば、喜ばない人もある。

喜ばないどころか不平を感ずる人もありますわな。たとえば、子供でもね、お母さんが朝起こしてくれる。それを、ああ、お母さん気をつけて起こしてくださったんだと喜びを感ずる子供と、うるさいなと思う子供と、二通りあると思うんです。

どちらの子供が幸せでしょうね。やはり、前者だと思います。お母さんの立場から考えても喜んでもらえればうれしいでしょうし、また子供の方からいっても。“お母さん、ありがと。私ももっと早く自分で起きなければならなかったのに・・・・・”というように、言葉にださなくても感謝をする。

そういう心が持てればその子供は幸せですよ。また、そこに二人の心が通いあうのですな。

人間の幸せはみずからの心の中にあるとよくいいますね。ぼくもそれは一面の真理だと思います。
                    =松下幸之助「人生談義」より=

 

 

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肥後菖蒲:熊本県八代・松濱軒
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熊本県八代市の松濱軒の肥後菖蒲です。
見頃は5月末~6月上旬です。
写真は拡大して楽しんでください!

 

 

「ああ・・・・勘違い」

 

tomoは四人兄姉の末っ子です。
tomoのすぐ上は姉です。

tomoは子供の時から
風呂は「からすの行水」

そんなtomoに
母は

 

「ねぇ・・・・チャンと風呂入ったね?」


「姉ちゃんと風呂に入ってないよ!」

 

 

私の友人は
既に、定年退職をして
今は、パソコンの講師のアルバイトをしています。

 

「最近はアルバイト忙しいのでは?」

「ウ~ン・ある場合とない場合が、あるばい」と!
だってさ!

 

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一歩の差が千里の差

2008年04月25日 | 松下幸之助「人生談義」

 熊本県:大津町

 

「一歩の差が千里の差」

何かに不平や不満を感じる場合、その何かにとらわれて不平不満に終始していればいつまでたっても状況は変わりません。いや、かえってますます悪くなっていきます。

そんなときは自分が何かにとらわれていないか、一度静かに考えてみることですね。そして、何にもとらわれず積極的に見直してみる。そうすると、すうっと目の前の霧が晴れるというようなことがあるものです。

あるいは、勇気が出てきたりいい考えが浮かんで事態が打開されるということもあるかもしれません。

けれど、実際は何かにとらわれたまま、ただ不平不満を訴えるにとどまることが多い。それでは自分自身を殺すことになりますし、人生はおもしろくなくなってしまいます。

そこが非常に大事なところでしてね。そのちょっとしたところを理解するとしないとでは千里の差、千里のひらきが出てくるわけです。

いわば一歩の差が千里の差にもなってくると思うのです。
                       =松下幸之助「人生談義」より=

 

 

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 熊本県:大津町
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大津町の町花である「つつじ」は、町内のいたる所にあります。昭和園、日吉神社、大松山公園や高尾野公園などを中心に約50万本のつつじが植えられ溢れるように咲き誇るつつじが見事です。
写真は拡大すると、綺麗なツツジが見られますよ!

 


「独り言」

 

今月の30日に又、ガソリン税が上がるとか
困ったもんだよ!
今度はガソリン1L=160円になるとか?

 

tomoが今、乗ってるバイク
燃料を・・・

 

倍食うトホホ

 

国民の血税
ムダをなくして欲しいよね!

その税金で

汚職かよ!

 

オ~~ショック

 

もう一度、ガソリン税
無駄な道路はないか!
節約できるのはないか?
その結果、10円だけにしようとか
検討の余地はないのかね!

今回の値上げは

辞退しようという事態にならないの!

 

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さまざま

2008年04月23日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本県:玉名市「山田の藤」 

 

「さまざま」

春が来て花が咲いて、初夏がきて若葉が萌えて、野山はまさに華麗な装いである。さまざまの花が咲き、さまざまの草木が萌え、さまざまの鳥が舞う。さまざま、よりどりなればこそこの華麗さである。この自然の装いである。

花は桜だけ、木は杉だけ、鳥はウグイスだけ。それはそれなりの風情はあるだろうけども、この日本の山野に、もしこれだけの種類しかなかったとしたら、とれもこの自然の豊かさは生まれ出てこなかったであろう。

いろいろの花があってよかった。さまざまの木があってよかった。たくさんの鳥があってよかった。自然の理のありがたさである。人もさまざま。

さまざまの人があればこそ、ゆたかな働きも生み出されてくる。自分と他人とは、顔もちがえば気性もちがう。好みもちがう。それでよいのである。

ちがうことをなげくよりも、そのちがうことのなかに無限の妙味を感じたい。無限のゆたかさを感じたい。そして、人それぞれに力をつくし、人それぞれに助け合いたい。

いろいろの人があってよかった。さまざまの人があってよかった・・・。

 

 

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熊本県・玉名市:山田の藤
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山田の藤は、山田日吉神社の境内にある。樹齢は推定200年超とされ、地上から
60cmのところの幹周りは2.45mとされているからかなりの巨木ではある。
熊本県指定天然記念物
写真は拡大して楽しんでください

 

 
以前アップしたお笑いですが・・・これは
実は・・・・・・実話なのです

「チョッと・お笑いを」

毎日小料理屋で一杯飲まないと気が収まらないYHさん。
私が小料理屋に行くといつも居ます。

とても、陽気な酒飲みで、ジョークを言っては廻りを笑わせます。

「YHさん・こんばんは!今日も一番乗りですか?」

「オォーtomoさん、いらっしゃい、ユックリ自分のお金で飲みなぁせぇ~」

「でも、YHさんはいつも元気ですね」

「そうよ!まだまだ・・・若いもんにゃ負けんばいたぁ」
「下もまだ・・現役ばいた。 ワハハ」
「ただ・・もう年だけん・・・誰も振り向いてくれんばってんなぁ
と言いながら・都都逸(どどいつ)を歌うYHさん・・・

「だけどtomoさん、わしも、最近は物忘ればするごつなって」
「やっぱぁ~年にゃ勝てんなぁ ワハハ
「忘れもんば、取りに戻っても、何ば、忘れたか分からんたい」

 

「そりゃ~YHさんの場合は、酒ば毎日、飲みなはるけ」
「ただ、単に物忘れじゃなかですばい」

アル中・ハイマーじゃなかですかね!

「オォーtomoさん、あんたは、上手いこと言うなぁ~

 

チョッと時間がなく・・以前の記事アップとなりました! 

 

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今日という日

2008年04月22日 | 中村天風語録

阿蘇:フクジュソウ 

 

「今日という日」

ふたたびは  来らんものも  今日の日は

       ただ  ほがらかに  活きてぞ  たのし

悲しくば  あす悲しまめ  今日の日は

          光うるおしく  吾れを  照らすを

 

明日という日は、永久にこないから、こういったのだ。諸君は、今夜、寝て、起きれば、明日が来る、と思っているだろう。

寝て、覚めて、明日になってごらん。明日が、今日になるから・・・・

だから、明日という日は、日向の影法師と同じで、いくら追いかけても掴まらない。
だから、悲しくば明日悲しめばいい・・・・・・・。

明日悲しもうと思って、翌る日、目が覚めると今日になるから、また明日になる・・・
                                                                   =中村 天風=

 

 

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 阿蘇の水田風景
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阿蘇の水田風景をパノラマ写真で
写真は拡大して楽しんでくださいね!

 

 

「親父ギャグ」

孫は、理屈抜きに、本当に可愛い。

孫に会えないときは
孫と同じ年頃の子供を
ただ、ニコニコとして見つめている。

 

孫は朝はパンと牛乳とサラダ、目玉焼き
洋食だから・・・我が家に泊まる時はパンを用意しないと!

 

「Yちゃん・・パンにはやっぱりネオ・ソフトだね」

で・・・・

 

「晩にはやっぱり・・・寝よ・・祖父と」アチャー

 

 

行きつけの喫茶店のマスターは

朝から

 

ガビ~~ン

 

「バンダナ・・・をしてる」

 

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情味を味わう

2008年04月21日 | 中村天風語録

 阿蘇

 

「情味を味わう」

私は、いつも思う

世の中の多くは、なぜもっと生活の中の情味というものを味わって生きようとしないのかと。というのは、世の中の人々の生活への姿を見ると、たのもしい積極的な生活をしている人が事実において極めて少なく、おおむね多くは、消極的な、勢いのない力弱い生活に終始している人が多いからである。

これというのも、せんじつめれば、生活の中の情味というものを味わって生きようとしないからで、その結果は、ただ悲しいとか、苦しいとか、腹が立つとか、辛いとか、人生の消極的方面のみ、その心が引きつけられて、いささかも大きい楽しさを感じないで、ただ生きるための努力のみに、二度と現実に還って来ない日々を、極めて価値なく過ごしてしまわねばならないという無意味な人生を終始させることになる。

だから、真に生きがいのある人生に生きようには、何としても、われわれは、自分の人生生活の情味といういものを味わうということを心がけるべきである。

否、厳格にいえば、この心がけが欠如した人の人生は、いかに地位ができようと、また仮に富を作り得たとしても、しょせんは、無意義で、荒涼たるものになる。
                            =中村 天風=

 

 

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阿蘇:高森からの眺め
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阿蘇と言えば、大観望からの眺めがよく紹介されていますが
高森から眺めて見ました。
写真は拡大して・・・楽しんでいただければ・・

 

 

「ハンバーガー」


熊本は最近初夏のような天候が続いています。
今日もだよ!

 

「ハンバーガーばっかり食べよると」

色が

 

「真っ黒・・なるど~」 

 

 

申す・・婆~が~

 

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いのちの力の使い方

2008年04月20日 | 中村天風語録

 阿蘇:杖立温泉

 

「いのちの力の使い方

いのちの力の使い方・・・・・・結論からいうと、これは極めて短い言葉で表現することができる。すなわち、『力を入れることに重点をおかずに、力を働かすことに重点をおく』・・・・これである。

ところが、世の中をみてみると、その日々の生活を行う際、この力の使い方を考えないため、かなりに力の無駄使いをしている傾向がある。

何事に対しても、力の無駄使いくらい無意義なものはない。いたずらに疲労のみ過大する以外、何ものも「実」にならないからである。俗に骨折り損のくたびれ儲けとはこのことである。

剣の極意は「変機に処する以外は、いたずらに力を入れぬこと」であり、これが臨機応変の要訣である。人生生活を完成するいのちの力の使いかもまたこれ以外にない。いたずらにいのちの消耗を大きくするだけである。

よりもっと気楽な、堅苦しくない、言い換えれば、円転滑脱、のびのびした気分で、力をスムーズに働かすといった生き方でないと、多端な人生を生きていく力が、長く保てないことになる。

ましてや、今日のような複雑な感覚のある時代に生きていくのには。一層に「いのちの力の使い方」ということは、もっとも大切なことである。

 

 
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 杖立温泉パノラマ
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写真は拡大して楽しんでくださいね!
杖立温泉は杖立川の渓谷沿いにあり小国町では最も規模の大きな温泉郷です。
この温泉は1700年前から続いている古湯で100度近い高温の湯が湧いています。
昔はこの高温の蒸気で煮炊きをおこなう「蒸し釜」があったとのことです。
 ここの温泉の泉質は弱アルカリ泉で「杖をついて来た人も、
帰りには杖を忘れて置いてゆく」と言われています。
置いていった杖がたくさん立てかけてあるので
「杖立温泉」と言うらしい。本当かいな?

 

 

「コント」

姉夫婦が遊びに来た。
久し振りに義兄と酒を飲みたいと思った。

「義兄さん、たまには飲みたいですね?」

「車の運転があるから・・飲めんもんなぁ!」
「飲みたいけどなあ」

 

「姉に運転させれば・・ですか」

「確実に事故る・・間違いなし」

姉「もう、20年運転したことないからね」

「なんだ・・・林家ドライバーか」
「はあ~なんね、それ?」

 

「ペーパー・・ドライバーたい!」
わかるかなぁ~

 

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まごころの強さ

2008年04月19日 | 中村天風語録

阿蘇:草千里 

 

「まごころの強さ」

たとえば、ちょっと一杯のお茶をだすのでも、「ハイ」と返事をするような些細な行為でも、そのとき、何の報酬をも念頭に置かず、すなわちその人の気に入られようとか、あるいは、好感をもたせようとかいうような気持ちではなく、そこに一点何も求めるものがなく、純一無雑な「心」でそれを行ったとき、その行為から、形容のできない温かいものを感じる。

それはすなわち「まごころ」というもののもつ尊さの感応である。と同時に、いま一つ理解しておくべき重要なことは、「まごころ」で行われる行為には絶対的の強さというものがあるということである。

絶対の強さのあるというのは、そもそもいかなる理由があるのかというと、要約すれば「まごころ」という「心」の中には、期待というものがないから、当然失望というものがないからである。

多くいうまでもなく、失望というものは、ある期待が裏切られたときに発生する相対的真理現象である。

報酬を行為の対象とすると、その報酬は、当然「期待」というものが付随するから、その報酬が、期待通りであれば何らの失望は生じないが、そうでないと、すぐさま失望の気持ちが発生する。すると期せずして、その行為にムラがでてくる。

したがって当然その強さというものが、失われがちになるのである。すなわち、これが何事をなすにも、報酬を超越してなすべしと、力説するわけなのである。


 

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阿蘇:根子岳
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根子岳のパノラマ写真です
拡大して、楽しんでくださいね!

 

 

「つぶやき」

そう言えば、以前「つぶやきしろう」って人がいたね!
今は、どうしているのかなぁ?

最近TVで見かけることもないけど・・・

 

最近、スナックでグラスを持つ手の
小指をピーンと立ててる人を見る

tomoは・・
自分のグラスを持つ手を見ると
しっかり五本の指でグラスを持ってる

何で・・小指を立てるんだろう
tomoなりにしっかり考えてみたよ!

 

そして・・・その謎が解けたよ!
それはねぇ・・・

 

 

親指を立てるとこぼれるからだよ!

 

 

tomoは宝くじ、ロト6を月一度買う
居酒屋で
宝くじが当たったら、ママに100万円上げるね

と、話していたら

tomoの横で飲んでいた人が
突然

 

「私にも100万円ください」だって

どうせ、当たるはずがないから

「アァ・・・100万円でも・・200万円でも」
あげますよ・・と言ったら

とても、嬉しそうに喜んでいたよ!
お陰で、話が弾んで名刺まで戴いたよ!

ウン当たったら、持ってこいと言う事か

 

ママが突然
tomoさんは、2億円当たったら
何に使うの・・って聞くから

 

思わず
「I H ジャー・炊飯器」って答えてしまったよ!

家内がいつも、言うもんだから
完全に、マインドコントロールされてるよ!

 

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積極的な言葉の習慣をつくる

2008年04月18日 | 中村天風語録

 阿蘇噴煙(緒方弘之)

 

「積極的な言葉の習慣をつくる」

痛くてどうにもしようがない、といって、どうにかしようがあるか、よく考えてごらん。つまらないことだ。

たとえば、時候のようなものも、暑いときでも「暑いなあ、やりきれないなあ」これがいけない。暑い寒いは感覚だからそれはいって悪いとはいわない。「暑いなぁ」といったなら、あとにもっと積極的なことをいったらよいではないか。「暑いなあ、余計元気がでるなあ」と。

「丸い卵も切りようじゃ四角、もののいいようじゃ角が立つ」というではないか。ところがあなた方は「ものいえば唇さみし秋の風」で、言っているそばから自分を傷つけ、人を傷つけている。気がつかないから言っているんだろう。

しかし、颯爽溌剌として人生の難路を輝かしく突破して進んでいこうとする者は、どんな場合にも自分の言葉や自分の言動で積極的な表現をして、そして自分の実在意識を通じて自分の生命をそこない、なおかつそれで耳で聞いている他の人の心持まで悪くしないようにしよう。

その一言一語が自分のみでなく、すべての人々にいい影響を与えるし悪い影響も与える。だから、常に積極的な言葉を使う習慣をつくりなさい。

習慣となれば、それはもうたいした努力をする必要はない。常に善良な言葉、勇気ある言葉、お互いの気持ちを傷つけない言葉、お互いに喜びを多く与える言葉を使おう。
                            =中村 天風=

 

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阿蘇火口パノラマ
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写真は拡大して、阿蘇の火口を楽しんでください!
現在も活発に活動を続ける阿蘇・中岳
この火口の底には水が溜り
綺麗なマリンブルーの色をしています。

 

 

「妻と外食!

妻と二人で久々の外食
いいでしょう!ホホホ

 

「何が食べたい」と聞けば
「何でもいい」と言う

フレンチ・・・イタリアン

 

和食にするか

 

ウン・・・何
「わぁ~ショック」ってか!
ホラ・・スベッタじゃん!

 

で、もって
近くの「浜勝」へ

豚カツの浜勝として九州では、知れ渡っています。
tomoは時々、浜勝の豚カツが食べたくなるのであります。

ココのいいところは
佃煮が食べ放題なのであります

そう・・ココでギャグが出ると思ったでしょう
「佃煮がつくだに」

妻と美味しく頂いたとさ・・・
今日はこれで・・おしまい!

 

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現在に感謝

2008年04月17日 | 中村天風語録

熊本城 

 

「現在に感謝」

明けても、暮れても、ありがたい、嬉しい、でもって送れるはずだけども、あなた方の煩悶は、たいてい、自分が望むものが得られないときに起ってくるんだ。自分の欲望がみたされないときに、必ず煩悶が起きる。

自分に甲斐性がなくて、それを自分のものにできないときに、それで煩悶するてぇのは、なんてこった。

一番いいことは、もしも自分の望むのもが自分のものにならなかったら、現在持っているものを価値高く感謝して、それを自分のものにしてゆきなさい。こういう心がけで自分の人生に生きていくと、心のなかの煩いというものがなくなっちまいます。

何事に対しても、現在感謝。ああ、ありがたい。何に対しても現在感謝。それより事態が悪くなっても、喧嘩にならないじゃないか。病になっても。ああ、ありがとうござんす。

病になってもありがたいというのはおかしいじゃないか?だって、死んじまわなかったんだろ。それで済んでいると思ったら、感謝したらいい。そういう気持ちを持っていると、どんなことがあっても、憂いとか辛いとかいうことがなくなるんだ。

朝からしょうちゅうニコニコ、何事に対してもニコニコ。
                                =中村 天風=

 

 

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熊本城天守閣からの眺め
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写真の上でクリックして拡大してください!
その後、右下にマウスを当てますともう一段拡大します。
パノラマですので、PCの下に横のスクロールバーがでます。
どうですか?これが、熊本城の天守閣から見た、熊本市内です。

 

 

「目玉商品」

今、tomoのお勧めは
今回で3回目の、熊本のパノラマ写真です。

水前寺公園、阿蘇の仙酔峡のミヤマキリシマ
そして、今回の熊本城の天守閣からの眺め・・

写真を拡大して、楽しんで戴きたいです。

これからも、雄大な阿蘇のパノラマ写真を載せますので・・

 

 

家の玄関の電気がチカチカして
切れかかっている。

買い置きがあった筈だが・・

「そうだ!納戸の中だ!」

納戸を色々と探していると母の思い出の品
「あぁ~懐かしいなぁ~」

これは。あの時の・・

思い出に浸るtomoでした。

納戸から出てきたtomo


「アレェー・・何のために納戸に入ったのかなぁ?」

もう・・・スッカリ電球のことなど、頭にないのであります。

 

結局
納戸に・・・なんど・・・も入るtomoでした。
ドヒャ~~・・又・・すべったかなぁ

 

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なぜ

2008年04月16日 | 松下幸之助「道をひらく」

阿蘇:ミヤマキリシマ 

 

「なぜ」

こどもの心は素直である。だからわからぬことがあればすぐに問う“なぜ、なぜ”と

こどもは一生懸命である。熱心である。だから与えられた答えを、自分でも懸命に考える。考えて納得がゆかなければ、どこまでも問いかえす。“なぜ、なぜ”と。

こどもの心には私心がない。とらわれない。いいものはいいし、わるいものはわるい。だから思わぬものごとの本質をつくことがしばしばある。こどもはこうして成長する。“なぜ”と問うて、それを教えられて、その教えを素直に自分で考えて、さらに“なぜ”と問い返して、そして日一日と成長してゆくのである。

大人もまた同じである。日に新たであるためには、いつも“なぜ”と問わねばならぬ。そしてその答えを、自分でも考え、また他にも教えを求める。

素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、“なぜ”と問うタネは随処にある。それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる。

繁栄は“なぜ”と問うところから生まれてくるのである。

 

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阿蘇
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写真の上でクリックして、拡大
別場面で拡大後左下で再度拡大して
雄大な阿蘇の、つつじ(ミヤマキリシマ)を堪能してください!

 

「ショートコント・パートⅡ」

「ネェ・・今日は肉料理にしようと思うけど・・・」
「あなた、牛肉と鶏肉はどちらがいいですか?」

「ウ~~ンどちらも・・・モォー・こ結構~チョッときつかったかな

 

 

ねぇ・・・「バラ」って漢字でどう書くの
うん・・・こんな・・・感じ

 

マジな話
レストランで、ウエイターが注文を聞きに来た時のこと

カレーライスにしようか?
それとも、オムライスにしようか?
迷っていました。

「カレーライスにはサラダが付いていますか?」

 

「ハイ・・ポチとサラダが付きます」

「ポチとサラダ
「あぁ・・ポテトサラダです

「ビックリしたよ!犬とサラダが付いてるかと」
「じゃぁ~・・・カレーをばァ」

食後にコーヒーを注文しようと
先ほどのウエイターさんを呼んで・・・

先ほどのウエイターって言ったところで
ここ・・・一人しかいないんですけどね。

「スミマセン・・・コーヒーをください」
「コーヒーは何が宜しいですか?」

「ブレンドコーヒーをば・・」

すると・・ウエイター
「マスター・・・ホットです」

{このウエイター又、間違ごうとる}
{ブレンド・・・をば頼んだのね}

「スミマセン・・・ホットじゃなくてブレンドコーヒーですよ!」
「ハイ・・分かっています」


ブレンドコーヒーのことを「ホット」と言うらしい
これには・・tomoが恥をかいたよ!

 

 

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求めずして

2008年04月15日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本:水前寺公園 

 

「求めずして」

“苦しい時の神頼み”というけれど、おたがい人間、困って悩んでセッパつまれば、はやり思わず手を合わし、神仏に祈りたいような気持ちになってくる。どうがお頼み申します、どうかこのねがいをおきき届けください・・・・・いろいろさまざまのねがいやら求めに、神仏も大変であろう。

人情としてこれもやむを得ないというものの、それにしてもおたがいに、あまりに求めすぎはしないか。頼みすぎはしないか。頼りすぎはしないか。

手を合わすという姿は、本当は神仏の前に己を正して、みずからのあやまちをよりすくなくすることを心に期すためである。

頼むのではない。求めるのではない。求めずして、みずからを正す姿が、手を合わす真の敬虔な姿だと言えよう。

これは別に神仏に限ったことではない。日々の暮らしの上でも、あまりにも他を頼み、他に求めすぎてはいないか。求めずして己を正す態度というものを今すこし養ってみたい。

個人としても、団体としても、また国家としても。そこに人間としての、また国家としての真の自主独立の姿があると思うのだが・・・・・。

 

 

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熊本:水前寺公園
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写真の上でクリックして拡大して楽しんでください!
パノラマ写真になっていますので・・右下にもう一段拡大のマーク出ます。

 

 

「我が家のゴッホ」

孫も今年から・・・幼稚園児なのであります。

バァバにクレヨンなどを買ってもらって嬉しそうに
ぬり絵などをしております。

それが、ぬり絵の下絵からはクレヨンははみ出すし

色といえば、奇抜な色をぬるし・・・

我が孫ながら

絵の扇子・・・・センスだった!
センスがいいとは言えないトホホ

ところが・・
どうも、自分では満足しているらしく

 

「ジィジィ・・・Y君は上手でしょう?」だって

「上手だね」って褒めてあげると・・・
お調子者だから・・・・

まぁ・・そこが可愛いと言えば可愛いんだけどね!

 

そこで・・・
ジィは孫のために、一つお手本を

「Yちゃん、ジィジィにクレヨンを・・・・」

 

「貸してくれよ~~ん

 

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長所と短所

2008年04月14日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本市:江津湖 

 

「長所と短所」

この世の中は持ちつ持たれつ、人と人との協同生活によって、仕事が成り立っている。暮らしが成り立っている。

この協同生活を円滑に進めるためには、いろいろの心配りが必要だけども、なかでも大事なことは、おたがいにまわりの人の長所と欠点とを、素直な心でよく理解しておくということである。

そしてその長所をできるかぎり補ってあげるように、暖かい心で最善の心くばりをするということである。

神さまではないのだから、全知全能を人間に求めるのは愚の限りである。人に求めるほうも愚なら、いささかのうぬぼれにみずからの心おごる姿も、また愚である。

人を助けて己の仕事が成り立ち、また人に助けられて己の仕事が円滑に進んでいるのである。

この理解と心くばりがなければ、百万の人も単につのつき合わした烏合の衆にすぎないであろう。

長所と短所と・・・・・・・それは人間のいわば一つの宿命である。その宿命を繁栄に結びつけるのも貧困に結びつけるのも、つまりはおたがいの心くばり一つにかかっているのではなかろうか。

 

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熊本市・江津湖
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江津湖は熊本市街地でありながら、1日約40万トンの湧水が湧き出る全国でも有数の湿地です。上江津湖・下江津湖水系は、平成13年10月に環境省から希少種が生息する湖沼や湧水池の一つとして「重要湿地」に選定されました。

 

 

「ショートコント!」


先日、母の百ヶ日で、親戚が来てくれた。
叔父が、タバコを吸おうとしていたので
三歳の孫に・・・・・

「Yチャン・・・台所から灰皿を持ってきてくれるかな」
「ハーイ」元気な声

「ジィジィ・・・・ハイ・・・皿」オォ・・・天才

 

携帯電話も昔の機種だし
新しい機種の携帯電話でも買おうかな?

で・・・・大手家電メーカーに

携帯電話を手にとって見てる私に
店員「同じソフトバンク同士ですと・・テレホーダイですよ」

その一言に、私は「照れ放題」

 

 

ところで、話は変わるけど・・
この年になると・・・・芸能界に疎くて

モー娘っていたでしょう
だいたい・・・何人いるの?

「モー無数」

 

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年の瀬

2008年04月12日 | 松下幸之助「道をひらく」

 フラワーヒル菊池高原(熊本県)

 

「年の瀬」

年の始があれば年の終わりがあるのはあたりまえで、だからいまさらになってバタバタあわてる必要もないのだが、やっぱり年の暮れになってみると、あれもこれもとウロウロする。一年三百六十五日の最後のしめくくりをつけておきたいと思うのである。

人間、生まれたときがあれば死ぬときがあるのはあたりまえで、だから死が近づいたとていまさらあわてる必要もないのだが、さてとなると、やっぱりあれこれと気ぜわしくなる。年の瀬はむりやりにでも越せるが、生命の瀬はそんな具合にはゆかない。

年の瀬は、これを越してしまえば年の始めがある。しかし生命の瀬はそれでおしまい。まことに融通のきかない話である。

しかし融通がきかないからこそ、人はまた真剣にもなるのであって、融通無碍もいいが、融通のきかないこともまた一得がある。

人はさまざま。事もさまざま。いろいろと気苦労なことであるが、人生の最後には融通のきかない一線があることを知って、つねひごろから心がけをよくしたいもの。

こんなことはわかりきったことだが、わかりきったことだけに、何度も自分に言い聞かせておきたいものである。

 

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熊本県・菊池市
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フラワーヒル菊池高原
日本最大級のスケールを誇る木と花の楽園のテーマは、 "人と自然との共生"。自然のままの地形と木々を最大限に生かし、その中で花を咲かせていくという理念のもとに設計・造園されています。

 

 

「百ヶ日・NOⅡ」

母ちゃん、今日は百ヶ日だよ!
父ちゃんと母ちゃんが大好きだった赤飯だよ!
それに、ホラ
母ちゃんが大事に育てていた欄の花が綺麗に咲いたよ!

母ちゃん
覚えているね。

もう、今から13年前にもなるけど

息子が破れているジーパンを穿いていて
母ちゃんが、ミシンで綺麗に縫ってあげたね・・・

 

「洋ちゃん・・・ジーパンが破れていたから
婆ちゃんが綺麗に縫ってあげたからね」って自慢げに・・・

 

息子は目を丸くして、顔は紅潮させて
「婆ちゃん、なんちゅうことをしてくれたとね!」
「この、破れがいいとよ」って
「元通りにせんね」カンカンに怒って

母ちゃんは、キョトーンとして・・

せっかく、目の悪いのを孫のために頑張ってくれたのにねぇ!

その後の一言は面白かったよ!

 

「そんな、破れたズボンば穿いて・・・・」
「乞食じゃあるまいし・・・乞食でも穿かんばい」

 

妻が何度言っても聞かなかったのに
あの、一言以来
息子は・・破れたジーンズを穿かなくなったよね!

いつも・・・爺ちゃん・・・婆ちゃんって
息子は、爺ちゃん、婆ちゃんが大好きだったからね!

今日は、大好きな爺ちゃん、婆ちゃんに会いに来てくれたよ!

 

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