奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

オナラって口からも出るの?

2008年09月18日 | 松下幸之助「道をひらく」

 阿蘇ミルク牧場のコスモス


 

「窮屈はいけない」
                        

窮屈な場所に窮屈にすわっていると、血のめぐりも悪くなって脚もしびれる。身体か固くなって自由な動きがとれないのである。無作法は困るけれど、窮屈はなおいけない。やっぱり伸び伸びとした自由自在な姿が欲しいものである。

どんな場合でも、窮屈はいけない。身体を窮屈にするのもいけないが、心が窮屈になるのはなおいけない。心の動きが鈍くなって、よい知恵がでてこないのである。

ものには見方がいろいろあって、一つの見方がいつも必ずしもいちばん正しいとはかぎらない。時と場合に応じて自在に変えねばならぬ。心が窮屈ではこの自由を失う。

だからいつもでも一つに執して、われとわが身をしばってしまう。身動きならない。そんなところに発展が生まれようはずなない。

万物は日に新たである。刻々と変わってゆく。きょうは、もはやきのうの姿ではない。だからわれわれも、きょうの新しいものの見方を生み出してゆかねばならない。

おたがいに窮屈を避け、伸び伸びとした心で、ものを見、考えてゆきたいもである。

                      =松下 幸之助=「道をひらく」より

 

 

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 阿蘇ミルク牧場のコスモス
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阿蘇は西原村のミルク牧場のコスモスです。
雄大な景色にコスモスが綺麗です。動物とも触れ合う事が出来ます。

 

 

「これって 本当なの?」

何気なしにTVを見ていた。
チョッと面白かったので紹介しますねぇ!

昔からよく言われている事で

 

(1)白髪を抜くと白髪が増える。

(2)オナラを我慢すると口からオナラが出る。

(3)食べる量を抑えると胃が小さくなる。

(4)暗いところで本を読むと目が悪くなる。

(5)毛をカミソリで剃ると毛が濃くなる

 

チョッとテレビの問題とは違うところもありますが
4つは嘘です。
一つだけ正しのがあります。
では・・・正解はどれでしょう。

 

この5つ、よく言われますよね。

 

tomoは最近メタボが気になって
食べる量を減らしているんだけど・・・
胃が小さくなったのかなぁ~
以前よりは食べなくても満腹感ありバンザ~イ

 

口からオナラ
ゲェ~
嫌だよぉ~



 

白髪
抜かないよ
白髪を抜いてたら、髪の毛がなくなちゃうよ!
ただでさえ・・薄くなったのに怪我ない

 

親にいつも、暗いところで本は読まない
って怒られていたから・・・
本を読まなかったらバカになっちゃった!

 

美空ひばりの歌にあったね
ワッショイ・・ワッショイ
ソーレソレソレ
脇毛それ・・・・ってね!

 

 

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あぁ・・正解は(2)
オナラを我慢すると口からオナラが出るんだって!

エ~~ィ・・口から出るぐらいなら
思い切りオナラしちゃえ!エヘヘ

 

 

 


雨量と降水量って違うの?

2008年09月16日 | 松下幸之助「道をひらく」

 宮崎県:生駒高原

 

 

「生かし合う」

人間の生命は尊い。尊いものは誰もが尊重しなければならぬ。

ところが、自分の生命の尊いことはわかっても、他人の生命もまた尊いことを忘れがちである。ともすれば私心に走り私利私欲が先に立つ。つまり、自分にとらわれるということで、これも人情としてやむえないことかもしれない。

しかし、これではほんとうに、おたがい相互の繁栄は生まれないであろう。人間本来の姿は生かされないであろう。

やはり、ある場合には自己を没却して、まず相手を立てる。自己を去って相手を生かす。そうした考えにも立ってみなければならない。

そこに相手も生き、自分も生きる力強い繁栄の姿がある。尊い人間の姿がある。

自己を捨てることによってまず相手が生きる。その相手が生きて、自己もおのずから生きるようになる。これはいわば双方の生かし合いではなかろうか

そこから繁栄が生まれ、ゆたかな平和と幸福が生まれてくる。

おたがいに、ひろく社会の繁栄に寄与するため、おたがいを生かし合う謙虚なものの考え方を養いたい。

                    =松下 幸之助=「道をひらく」より

 

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宮崎県:生駒高原
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家族で毎年出掛けた生駒高原、今年は母も義母もいない。
私の心の中では九州で一番コスモスの綺麗な場所である。

 

 

「雨量と降水量って違うの?」

テレビの気象情報を聞いていると
「雨量」と「降水量」という言葉を耳にすると思います。

「エェ~・雨量と降水量って違うの?」

 

お天気のお姉さんが
その時の気分で「雨量」と言ったり
「降水量」って言ってるんじゃないのってか

 

皆さん
「香水量には気を付けてね」ドヒャ^

 

 

「雨量」とは
一定時間内に降った雨の量を表します。

 

「降水量」とは
一定時間に降った水の量を表します。

 

お分かりになりましたね!

 

「雨量」はだけ

「降水量」はやヒョウやアラレなど
空から降ってくるあらゆる水分の量を表す単位なのです。

 

どヒョ~ウ  ってか!

 

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カンを働かす

2008年09月15日 | 松下幸之助「道をひらく」

 阿蘇(秋)

 

「カンを働かす」

剣を持って相向かう。緊張した一瞬、白刃がキラめいて、打ちこむ、はねる、とびすさる。目にもとまらぬ早わざである。

そこには理屈はない。相手の刃が右手から来た、だからこれを右にはねかえそう、などと一つ一つ考えて打ち合っているのではない。目に見えぬ気配から、からだ全体にひらめく一瞬のカンで、トッサの動きがきまってゆく。しかもそれは、理屈で考えた以上の正確さ、適格さを持っているのである。

カンというのは、一般的には何となく非科学的で、あいまいなもののように思われるけれど、修練に修練をつみか重ねたところから生まれるカンというものは、科学でも及ばぬほどの正確性、適格性を持っているのである。そこに人間の修練の尊さがある。

世に言われる科学的な発明発見の多くのものは、科学者の長年の修練によるすぐれたカンに基づいて、そのカンを原理づけ、実用化するところから生み出されている。つまり、科学とカンとは、本来決して相反しないのである。

要は修練である。練磨である。カンを働かすことを、もっと大事にして、さらに修練をつみ重ねたい。

                     =松下 幸之助=「道をひらく」より

 

 

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 藤崎八幡宮秋の大祭(熊本市)
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熊本最大のお祭り通称「ぼした祭り」。
甲冑姿の隋兵行列と飾り馬の馬追いが売りのお祭り。
 

 

「オォ~!天才か?」

気晴らしに孫を連れて買い物に
家内から
「帰りに豆腐を買って来てね」って

 

デパートの店内を孫とウロウロ

孫の玩具でも買ってあげるかと
玩具売り場に

孫は嬉しそうに
絵本を何冊も見ては

「ジィこれがいい」

じゃぁ~これを買って帰ろうねぇ~

 

すると孫が
私のことを間違えて「バァバァ」
直ぐ間違いに気づいて「ジィ」って

「バァ アァ ジィ とうふ」だって!

 

なに・・

 

「婆爺東風」(ばじとうふう)ってか?


「ジィ・・バァバァが豆腐って言っていたでしょう」

 

「オォ~そうだったねぇ」

「ジィジ とうふ」ウンモ~ォ~だって!
とにかく、よく気のきいた孫である。

 

まさか
「爺耳東風」なんて思ってないだろうなぁ~!

 

三歳にしてまさか・・「馬耳東風」って言葉知っているのか
もしや、我が孫・・天才かもぉ~エヘヘ

 

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卵の殻の不思議な力

2008年09月01日 | 松下幸之助「道をひらく」

 阿蘇・放牧

 

「困っても困らない」

ひろい世間である。長い人生である。その世間、その人生には、困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。

程度の差こそあれだれにでもある。自分だけではない。

そんなときに、どう考えるか、そう処置するか、それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かがきまるといえる。困ったことだ、どうしよう、どうしようもない、そう考え出せば、心が次第にせまくなり、せっかくの出る知恵も出なくなる。

今まで楽々と考えておったことでも、それがなかな思いつかなくなってくるのである。とどのつまりは、原因も責任もすべて他に転嫁して、不満で心が暗くなり、不平でわが身を傷つける。

断じて行えば、鬼神でもこれを避けるという。困難を困難とせず、思いを新たに、決意をかたく歩めば、困難がかえって飛躍の土台石となるのである。

要は考え方である。決意である。困っても困らないことである。

人間の心というものは、孫悟空の如意棒のように、まことに伸縮自在である。その自在な心で、困難なときにこそ、かえってみずからの夢を開拓するという力強い道を歩みたい。

                     =松下 幸之助=「道をひらく」より

 

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 緒方弘之「素晴らしい自然」阿蘇放牧
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阿蘇の放牧には牛と馬が仲良く草を食んでいます。
縄張り争いをしているところを見たことがありません。平和な風景です。

 

 

「卵の殻の不思議な力」

以前、卵の薄皮を
すり傷、切り傷に貼ると
治りが早いし、傷跡も残りにくいですよ

 

って、
書いたことあるんだけど・・

 

今回は
その、卵の殻の利用法ってかぁ・・・・

 

 

口の狭い容器
例えば・・・牛乳瓶みたいな

中まで手の届かない物は
どうして、洗ってますか

 

「亀の甲」の母は

ここだけの話だけど

その、中に卵の殻を砕いて
それに、水を入れて
カシャカシャ・・・振っていたんですよ!

すると、牛乳瓶は

 

tomoは家内が
愛毒弁当
ごめん・・・愛妻弁当を作ってくれんです。

水筒を持っていくんだけど

その、水筒を

母が洗っている時にも
卵の殻を入れて
カシャカシャと、縦に横に振りながら
洗ってくれていたなぁ~

 

*注・・水は少なめにねぇ


 

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亀の甲より年の功

2008年08月31日 | 松下幸之助「道をひらく」

 阿蘇小国: 押戸石(おしどいし)の丘


 

「さまざま」

春が来て花が咲いて、初夏がきて若葉が萌えて、野山はまさに華麗な装いである。さまざまの花が咲き、さまざまの草木が萌え、さまざまの鳥が舞う。さまざま、よりどりなればこそこの華麗さである。この自然の装いである。

花は桜だけ、木は杉だけ、鳥はウグイスだけ。それはそれなりの風情はあるだろうけども、この日本の山野に、もしこれだけの種類しかなかったとしたら、とれもこの自然の豊かさは生まれ出てこなかったであろう。

いろいろの花があってよかった。さまざまの木があってよかった。たくさんの鳥があってよかった。自然の理のありがたさである。人もさまざま。

さまざまの人があればこそ、ゆたかな働きも生み出されてくる。自分と他人とは、顔もちがえば気性もちがう。好みもちがう。それでよいのである。

ちがうことをなげくよりも、そのちがうことのなかに無限の妙味を感じたい。無限のゆたかさを感じたい。そして、人それぞれに力をつくし、人それぞれに助け合いたい。

いろいろの人があってよかった。さまざまの人があってよかった・・・。

                      =松下 幸之助=「道をひらく」より

 

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阿蘇小国: 押戸石(おしどいし)の丘
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鬼達が夜な夜なこの山で、いしなご(お手玉)をして、
遊んだと石だと云われている押戸ノ石。
大岩には約4,000年前のシューメール文字がペトログラフとして刻まれている。
この太古の石は、今、我々に何を語りかけているのだろうか?

 

 

「亀の甲より年の功」

最近は品物が豊富すぎて
選択に迷いますよね!う~ん


中流階級の我家でさえ

台所には洗剤が3つ
トイレにも3つ
風呂場には4つ

カビにはカビキラー
トイレにはトイレルック・・・トイレハイター
マイペット・・・バスマジックリン

 

母(93歳)の年代は
どうだったんだろう

 

母は湯呑み・急須についた茶渋は
「塩」で洗っていたし・・

今なら・・
「ハイ・・ハイター(漂白剤)」ってことなんでしょうね

tomo的には、口に入れるものだから
「塩」で洗って欲しいけどね

職場に置いている湯飲みは
茶渋がついたら自分で塩で洗っていますよ!どうよ!

 

tomoが感心したことがあってねぇヒェ~

母がガラスのコップをあるもので
洗ってたんです。

それが綺麗にピカピカに

 

「母ちゃんなぁ・・・よう何でん知っとるねぇ」
「やっぱり・・・さすがやねぇ」

って、褒めると

 

嬉しそうにニコニコしながら 
「そりゃ~・・カメの甲やもん」だって

ドヒャ~

母は実はカメだったんです!
って、ことは
tomoはカメの子っか
二人で大笑いしたことがありました。

 

ガラスコップを何で洗ったかって
それは

次回のお楽しみってかぁ

 

エェ~

ufufufu

 

「ジャガイモの皮」で・・・
洗っていました!

綺麗になりますよ!

 

 

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母ちゃんの知恵袋

2008年08月30日 | 松下幸之助「道をひらく」

 阿蘇:雲海に浮かぶ涅槃像

 

「時を待つ心」

何ごとをなすにも時というものがある。時ーーそれは人間の力を超えた、目には見えない大自然の力である。いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。

冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿ともいえよう。

わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。時を待つ心は、春を待つ桜の姿をいえよう。

だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。

時を得ぬ人は静かに待つがよい。大自然の恵みを心から信じ、時の来るのを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。

待てといわれればなおさらあせるのが人情である。だが、自然の理はわがままな人間には流されない。冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。おたがいに時を待つ心を養いたい。

                     =松下 幸之助=「道をひらく」より


 

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 阿蘇をぶらり
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阿蘇は、小国町をぶらりとドライブ、牛優先の道である。

 

 

「母ちゃんの知恵袋」

我が家は、洋間はリビングだけである。

部屋は畳
所謂、日本間です。

 

畳も以外に汚れるものです。

母は、畳をよく
硬く絞った雑巾で拭いておりました。

 

だた、水で拭くのではなく

 

バケツの中に少し「酢」を入れて

 

「母ちゃん、酢をいれると畳にいいと」
って聞いたことがあります。

 

「酢」を入れると
畳にカビが生えないと・・
それに、汚れもよく落ちるとよ!って

 

今、家内も畳を拭くときは
「酢」を少し入れて拭いております。

 

「酢」を入れて拭いた畳
素足で歩くと
サラサラした感触があります。





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年寄りの知恵袋

2008年08月29日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本城

 

「恵まれている」

人間というものはまことに勝手なもので、他人をうらやみ、そねむことがあっても、自分がどんなに恵まれた境遇にあるか、ということには案外、気のつかないことが多い。だからちょっとしたことにも、すぐに不平がでるし不満を持つのだが、不平や不満の心から、よい知恵も才覚もわきそうなはずがない。

そんなことから、せっかく恵まれた自分の境遇も、これを自覚しないままに、いつのまにか自分の手でこわしていまいがちである。

恵みにたいして感謝をし、その感謝の心で生き生きと働いたならば、次々とよい知恵も生まれて、自他ともにどんなしあわせな暮らしができることか、思えば愚かなことである。

だが恵みを知ることは、そう容易なことではない。古来の聖賢が、恵みを知れ、と幾万言を費やしてきても、実感としてこれを受け取る人はどれだけあるのだろう。

頭で理解はしていても、心に直接ひびかないのである。そこに人間の弱さがある。

お互いに修業をしよう。自分は恵まれているということを、直接、自分の心にひびかすために、日常の立居振る舞いに、今一度の反省を加えてみよう。

                     =松下 幸之助=「道をひらく」より

 

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 熊本城
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日本三名城の一つ、熊本城の特長ともいえるのが石垣です。
天下一流と名を馳せる見事な造りです。
この石垣は、加藤清正(かとうきよまさ)が近江国(おうみのくに)から率いてきた石工(いしく)集団によって造られたとされ、上に上るほど反り返っています。
城に侵入しようとした敵の武者を返してしまうことから
「武者返し(むしゃがえし)」と呼ばれています。
因みに「イケメン」を熊本弁では「むしゃんよかぁ」と言います。

 

 

「我が母の知恵袋」

今年の1月に92歳の天命を全うした母
孫が9人、曾孫13人に恵まれ、幸せな人生を全うして・・・

 

これだけ
孫・曾孫がいると

テーブルに頭をぶっつけて
大きなタンコブをつくっては泣くもの

 

膝を打っては
大泣き・・・する者

 

その度に、母は
「はい、婆ちゃんが治してやるから」
「もう・・泣かんでよかぁ~」

って。言っては

 

台所に行っては

 

手のひらに
砂糖と数滴の水を

それを混ぜてドロッとしたら
患部に塗る

 

暫くすると、乾いてバリバリに

すると、不思議

1時間もすれば

タンコブが引いているのです!エェ

 

母の膝の上で
砂糖水を塗ってもらいながら
曾孫は
「痛いの・痛いの・・・飛んでいけ~」
と言う、母の言葉に大喜びhhhh

 

先だって
可愛い孫が、タンスにゴン
(ちあき なおみ)か 
エェ・・知らない  トホホ

おでこに タンコブをつくったとき
咄嗟に、砂糖水を塗ってあげるtomo爺です!
「痛いの飛んでいけ~~」

 

当時は、そんなんで治るなら
医者はいらんばいって、バカにしてたのに!


 
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私は誰・・ここは何処

2008年08月28日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本県:秘境・五家荘

 

「虫のいいこと」

人間はとかく虫のいいことを考えがちで、雨が降っても自分だけはぬれないようなことを、日常平気で考えている場合が多い。別に虫のいいことを考えるのがいけないというのではないが、虫のいいことを考えるためには、それ相応の心がまえが必要なのである。

雨が降ったらだれでもぬれる。これは自然の理である。しかし傘をさせばぬれないでもおられる。これは自然の理に順応した姿である。素直な姿である。

だから、自然の理をよく見きわめて、これに順応する心がまえを持ったうえならば、どんなに虫のいいことを考えてもかまわないけれど、傘も持たないで自分だけはぬれないような虫のいいことを考えているならば、やがてはどこかでつまずく。

つまずいてもかまわないというのなら何もいうことはないけれど、人はとかく、つまずいたその原因を、他人に押し付けて自分も他人も不愉快になる場合が多いから、やはり虫のいいことは、なるべく考えないほうがいい。

おたがいに忙しい。忙しいけれど、ときには静かに、自分の言動を自然の理に照らして、はたして虫のいいことを考えていないかどうかを反省してみたいものである。

                   =松下 幸之助=「道をひらく」より

 

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 熊本県:(秘境・五家荘)
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最後の秘境と言われる五家荘、今でも手付かずの自然が残っている。
この五家荘は広く知られるように平家の落人の里である。

 

 

「私は誰・・・・ここは何処」

皆さんは、他人の家の中に
我が物顔で、鼻歌などを歌いながら
入った経験ありますか?

 

tomo40歳、単身赴任で四国は徳島へ!

会社が用意してくれた住居は
徳島市冨田橋のライオンズマンション
15階だての豪華な

 

今日は、たまの休日
  

 

そうだ!酒でも買って来るか

 

  

ルンルン気分で

お酒は ぬるめの かんでいい
なんて・・鼻歌でも歌いながら

 

玄関を開けて
真っ直ぐ、奥の居間に

 

キャア~~ァ
tomoの部屋に、エプロンを着けた
30代中ごろの女性

 

   
tomoの頭・・完全にパニック

単身赴任中に不倫
まずい
妻に知れたら・・・り・こ・ん 

 

「お宅はダレですか」
「警察呼びますよ」

 

ハァ~・・・エェ~・・・何 

廻りをよく見ると
ここは、確かにtomoの部屋じゃない

じゃぁ・・・私はダレ・・・ここは何処
    

 

「10階の1005号のtomoと申します」

「ここは9階  905号です」

やっちゃった!

 

あくる日
お詫びをして

 

でも
905号室の奥様のお友達に

「部屋を間違えて入ってきた人はあの人よ」
って
後ろ指を差された40歳の冬!

 


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意地悪る ?(@_@;)?

2008年08月27日 | 松下幸之助「道をひらく」

 熊本県:菊鹿町番所


 

「一陽来復」

ひろい世の中、長い人生、いつも心楽しいことがかりではない。何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、これはこれでまことに結構なことであるけれど、なかなかそうは事が運ばない。

ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、思案にあまる窮境に立つこともしばしばであろう。

しかし、それもまたよし。悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、窮境に立って、はじめて世間の味わいを学びとることができるのである。

頭で知ることも大事だが、身をもって知るということが何よりも大事。塩の辛さはなめてはじめてわかる。知るということにも、いろいろあるのである。

窮境に立つということは、身をもって知る尊いチャンスではあるまいか。得難い体得の機会ではあるまいか。そう考えれば、苦しいなかにも勇気が出る。元気が出る。思い直した心のなかに新しい知恵がわいて出る。

そして、禍を転じて福となす、つまり一陽来復、暗雲に一すじの陽がさしこんで、再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくると思うのである。

                    =松下 幸之助=「道をひらく」より

 

 

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 熊本県:菊鹿町番所の棚田
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昔は田んぼの畦や村の道端に沢山咲いていた彼岸花、
それがいつのまにか見られなくなりました。今では観光名物や村おこしの話題になる珍しい風景となっています。 この花を昔から大事に引き継ぎ育てている村落があります。熊本と大分県の県境にある菊鹿町番所の棚田は稲穂と彼岸花の赤い花が見事なコントラストを描いています。
(写真は拡大して楽しんでください!) 

 

  エヘヘ・・・今日はこれにて」

「奉の独り言」へようこそ
本当に、有難うございます。

今日はネタ切れで御座います。

決して、人が悪い人間ではないのですが

ただ

 

 

 

胃痔が悪いのです!トホホ
「これ、ほんまぁでんねん」

 

 

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花のように

2008年08月02日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本県山鹿市:山鹿灯籠まつり

 

「花のように」

砂漠に見いだす清らかな泉は、旅行く人の喜びであり憩いであり、そして励ましでもある。荒涼たる山野に、毅然として咲き誇る一輪の花は、また旅人へのこよなき慰めとなり励ましとなる。

今の世に中が、荒野の如く荒れ果て枯れ果てているとは敢えて言わないが、それでもこのむつかしい時代に、人々の心は次第に落ち着きを失って、索漠たる気配が感ぜられぬこともない。

おたがいに手をつなぎ、助け助けられながら生きねばならぬこの世の中である。人の心が砂漠の如く荒れ果ててはたまらない。せめてわれわれだけでも、清らかな泉のように、毅然たる一輪の花のように、強く正しく働いてゆこうではないか。

むつかしいことかもしれないが、自分の仕事に誇りを持ち、自分の働きに意義を感じるならば、わが身の処し方もおのずから見いだされてくるのである。

どんな世の中になっても、あわてず、うろたえず、淡々として社会への奉仕を心がけてゆこう。その姿自体が、人々にとってすでに大きな励ましとななり、憩いとなるのである。

花のように。泉のように。そこにわれわれの喜びもある。

                      =松下 幸之助=「道をひらく」より

 

 

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山鹿灯籠まつり(熊本県)
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熊本夏の三大火祭りのひとつで、金灯籠(かなとうろう)を頭に載せた
優美で幻想的な踊りで知られています。

 

 


「さすがコンピューター

 打ち上げ花火

祭りの季節ですね! 

東北四大祭り

仙台七夕まつり
青森ねぶた祭
秋田 竿灯祭
山形 花笠まつり

見に行きたいけど・・・
九州からじゃねぇ
仕事も休めないし・・・

 

熊本でも

幻想的な山鹿灯籠まつり
おてもんや千人踊りの火の国まつり

があるよ!

 

ところで、話は変わるんだけど

 

先日、仕事中に友人から携帯に電話
ブゥ・ブゥ・ブゥ
これ、マナーモードだから、振動の音ね!

 

「電話に・・でんわ」
何て、古いダジャレは言わないからね!

 

 

職場のパソコンから、一応


「いま、しごとちゅう、あとで」

って、メールを出すことに

 

で・・・変換

 

  えぇ・・えぇ・・

 

「なんじゃ・・・こりゃ~」

 

 

 

「今、私語途中、後で

 

「*******」トホホ

仕事してるよ!

 


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世間というもの

2008年07月17日 | 松下幸之助「道をひらく」

阿蘇:黒川温泉

 

「世間というもの」

世間というものは、きびしくもあるし、また暖かくもある。そのことを、昔の人は「目明き千人めくら千人」ということばであらわした。いい得て妙である。

世間にはめくらの面もたくさんある。だから、いいかげんな仕事をやって、いいかげんにすごすことも、時には見のがされすぎてしまうこともある。つまりひろい世間には、それだけの包容力があるというわけだが、しかしこれになれて世間をあまく見、馬鹿にしたらば、やがて目明きの面にゆき当たって、身のしまるようなきびしい思いをしなければならなくなる。

また、いい考えを持ち、真剣な努力を重ねても、なかなかこれが世間に認められないときがある。そんなときには、ともすると世間が冷たく感じられ、自分は孤独だと考え、希望を失いがちとなる。だが悲観することはない。めくらが千人いれば、目明きもまた千人いるのである。そこに、世間の思わぬ暖かさがひそんでいる。

いずれにしても、世間はきびしくもあり、暖かくもある。だから、世間にたいしては、いつも謙虚さを忘れず、また希望を失わず、着実に力強く自分の道を歩むよう心がけたいものである。

                     =松下 幸之助=「道をひらく」より

 

 

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「雷だ・・ヘソをかくせ!」

 

今、熊本は、バケツをひっくり返したよう雨です。
おまけに、雷、ピカピカ、ゴウゴウ



子供の頃

雷が鳴ると

「ヘソを取られるぞ!」
「はやく・・ヘソを隠さんと!」って両親


「ヘソを取られる・・」
「嫌だ・・嫌だ」って
狂ったように泣きじゃくったのは

もう

55年も前の話


その影響か
今でも、雷が鳴ると
チョッと怖いトホホ


夏、雨が降ると急に
気温が下がるから
体調を崩すと言うことだろうけど!

 

我々の子供時代は
夏は、裸
「金太郎の腹当て」だけ


今度、孫にも作ってあげようかなぁ!
「ねぇ・・・お母さん」ってか!

 

 

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さまざま

2008年04月23日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本県:玉名市「山田の藤」 

 

「さまざま」

春が来て花が咲いて、初夏がきて若葉が萌えて、野山はまさに華麗な装いである。さまざまの花が咲き、さまざまの草木が萌え、さまざまの鳥が舞う。さまざま、よりどりなればこそこの華麗さである。この自然の装いである。

花は桜だけ、木は杉だけ、鳥はウグイスだけ。それはそれなりの風情はあるだろうけども、この日本の山野に、もしこれだけの種類しかなかったとしたら、とれもこの自然の豊かさは生まれ出てこなかったであろう。

いろいろの花があってよかった。さまざまの木があってよかった。たくさんの鳥があってよかった。自然の理のありがたさである。人もさまざま。

さまざまの人があればこそ、ゆたかな働きも生み出されてくる。自分と他人とは、顔もちがえば気性もちがう。好みもちがう。それでよいのである。

ちがうことをなげくよりも、そのちがうことのなかに無限の妙味を感じたい。無限のゆたかさを感じたい。そして、人それぞれに力をつくし、人それぞれに助け合いたい。

いろいろの人があってよかった。さまざまの人があってよかった・・・。

 

 

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熊本県・玉名市:山田の藤
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山田の藤は、山田日吉神社の境内にある。樹齢は推定200年超とされ、地上から
60cmのところの幹周りは2.45mとされているからかなりの巨木ではある。
熊本県指定天然記念物
写真は拡大して楽しんでください

 

 
以前アップしたお笑いですが・・・これは
実は・・・・・・実話なのです

「チョッと・お笑いを」

毎日小料理屋で一杯飲まないと気が収まらないYHさん。
私が小料理屋に行くといつも居ます。

とても、陽気な酒飲みで、ジョークを言っては廻りを笑わせます。

「YHさん・こんばんは!今日も一番乗りですか?」

「オォーtomoさん、いらっしゃい、ユックリ自分のお金で飲みなぁせぇ~」

「でも、YHさんはいつも元気ですね」

「そうよ!まだまだ・・・若いもんにゃ負けんばいたぁ」
「下もまだ・・現役ばいた。 ワハハ」
「ただ・・もう年だけん・・・誰も振り向いてくれんばってんなぁ
と言いながら・都都逸(どどいつ)を歌うYHさん・・・

「だけどtomoさん、わしも、最近は物忘ればするごつなって」
「やっぱぁ~年にゃ勝てんなぁ ワハハ
「忘れもんば、取りに戻っても、何ば、忘れたか分からんたい」

 

「そりゃ~YHさんの場合は、酒ば毎日、飲みなはるけ」
「ただ、単に物忘れじゃなかですばい」

アル中・ハイマーじゃなかですかね!

「オォーtomoさん、あんたは、上手いこと言うなぁ~

 

チョッと時間がなく・・以前の記事アップとなりました! 

 

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なぜ

2008年04月16日 | 松下幸之助「道をひらく」

阿蘇:ミヤマキリシマ 

 

「なぜ」

こどもの心は素直である。だからわからぬことがあればすぐに問う“なぜ、なぜ”と

こどもは一生懸命である。熱心である。だから与えられた答えを、自分でも懸命に考える。考えて納得がゆかなければ、どこまでも問いかえす。“なぜ、なぜ”と。

こどもの心には私心がない。とらわれない。いいものはいいし、わるいものはわるい。だから思わぬものごとの本質をつくことがしばしばある。こどもはこうして成長する。“なぜ”と問うて、それを教えられて、その教えを素直に自分で考えて、さらに“なぜ”と問い返して、そして日一日と成長してゆくのである。

大人もまた同じである。日に新たであるためには、いつも“なぜ”と問わねばならぬ。そしてその答えを、自分でも考え、また他にも教えを求める。

素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、“なぜ”と問うタネは随処にある。それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる。

繁栄は“なぜ”と問うところから生まれてくるのである。

 

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阿蘇
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写真の上でクリックして、拡大
別場面で拡大後左下で再度拡大して
雄大な阿蘇の、つつじ(ミヤマキリシマ)を堪能してください!

 

「ショートコント・パートⅡ」

「ネェ・・今日は肉料理にしようと思うけど・・・」
「あなた、牛肉と鶏肉はどちらがいいですか?」

「ウ~~ンどちらも・・・モォー・こ結構~チョッときつかったかな

 

 

ねぇ・・・「バラ」って漢字でどう書くの
うん・・・こんな・・・感じ

 

マジな話
レストランで、ウエイターが注文を聞きに来た時のこと

カレーライスにしようか?
それとも、オムライスにしようか?
迷っていました。

「カレーライスにはサラダが付いていますか?」

 

「ハイ・・ポチとサラダが付きます」

「ポチとサラダ
「あぁ・・ポテトサラダです

「ビックリしたよ!犬とサラダが付いてるかと」
「じゃぁ~・・・カレーをばァ」

食後にコーヒーを注文しようと
先ほどのウエイターさんを呼んで・・・

先ほどのウエイターって言ったところで
ここ・・・一人しかいないんですけどね。

「スミマセン・・・コーヒーをください」
「コーヒーは何が宜しいですか?」

「ブレンドコーヒーをば・・」

すると・・ウエイター
「マスター・・・ホットです」

{このウエイター又、間違ごうとる}
{ブレンド・・・をば頼んだのね}

「スミマセン・・・ホットじゃなくてブレンドコーヒーですよ!」
「ハイ・・分かっています」


ブレンドコーヒーのことを「ホット」と言うらしい
これには・・tomoが恥をかいたよ!

 

 

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求めずして

2008年04月15日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本:水前寺公園 

 

「求めずして」

“苦しい時の神頼み”というけれど、おたがい人間、困って悩んでセッパつまれば、はやり思わず手を合わし、神仏に祈りたいような気持ちになってくる。どうがお頼み申します、どうかこのねがいをおきき届けください・・・・・いろいろさまざまのねがいやら求めに、神仏も大変であろう。

人情としてこれもやむを得ないというものの、それにしてもおたがいに、あまりに求めすぎはしないか。頼みすぎはしないか。頼りすぎはしないか。

手を合わすという姿は、本当は神仏の前に己を正して、みずからのあやまちをよりすくなくすることを心に期すためである。

頼むのではない。求めるのではない。求めずして、みずからを正す姿が、手を合わす真の敬虔な姿だと言えよう。

これは別に神仏に限ったことではない。日々の暮らしの上でも、あまりにも他を頼み、他に求めすぎてはいないか。求めずして己を正す態度というものを今すこし養ってみたい。

個人としても、団体としても、また国家としても。そこに人間としての、また国家としての真の自主独立の姿があると思うのだが・・・・・。

 

 

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熊本:水前寺公園
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写真の上でクリックして拡大して楽しんでください!
パノラマ写真になっていますので・・右下にもう一段拡大のマーク出ます。

 

 

「我が家のゴッホ」

孫も今年から・・・幼稚園児なのであります。

バァバにクレヨンなどを買ってもらって嬉しそうに
ぬり絵などをしております。

それが、ぬり絵の下絵からはクレヨンははみ出すし

色といえば、奇抜な色をぬるし・・・

我が孫ながら

絵の扇子・・・・センスだった!
センスがいいとは言えないトホホ

ところが・・
どうも、自分では満足しているらしく

 

「ジィジィ・・・Y君は上手でしょう?」だって

「上手だね」って褒めてあげると・・・
お調子者だから・・・・

まぁ・・そこが可愛いと言えば可愛いんだけどね!

 

そこで・・・
ジィは孫のために、一つお手本を

「Yちゃん、ジィジィにクレヨンを・・・・」

 

「貸してくれよ~~ん

 

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長所と短所

2008年04月14日 | 松下幸之助「道をひらく」

熊本市:江津湖 

 

「長所と短所」

この世の中は持ちつ持たれつ、人と人との協同生活によって、仕事が成り立っている。暮らしが成り立っている。

この協同生活を円滑に進めるためには、いろいろの心配りが必要だけども、なかでも大事なことは、おたがいにまわりの人の長所と欠点とを、素直な心でよく理解しておくということである。

そしてその長所をできるかぎり補ってあげるように、暖かい心で最善の心くばりをするということである。

神さまではないのだから、全知全能を人間に求めるのは愚の限りである。人に求めるほうも愚なら、いささかのうぬぼれにみずからの心おごる姿も、また愚である。

人を助けて己の仕事が成り立ち、また人に助けられて己の仕事が円滑に進んでいるのである。

この理解と心くばりがなければ、百万の人も単につのつき合わした烏合の衆にすぎないであろう。

長所と短所と・・・・・・・それは人間のいわば一つの宿命である。その宿命を繁栄に結びつけるのも貧困に結びつけるのも、つまりはおたがいの心くばり一つにかかっているのではなかろうか。

 

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熊本市・江津湖
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江津湖は熊本市街地でありながら、1日約40万トンの湧水が湧き出る全国でも有数の湿地です。上江津湖・下江津湖水系は、平成13年10月に環境省から希少種が生息する湖沼や湧水池の一つとして「重要湿地」に選定されました。

 

 

「ショートコント!」


先日、母の百ヶ日で、親戚が来てくれた。
叔父が、タバコを吸おうとしていたので
三歳の孫に・・・・・

「Yチャン・・・台所から灰皿を持ってきてくれるかな」
「ハーイ」元気な声

「ジィジィ・・・・ハイ・・・皿」オォ・・・天才

 

携帯電話も昔の機種だし
新しい機種の携帯電話でも買おうかな?

で・・・・大手家電メーカーに

携帯電話を手にとって見てる私に
店員「同じソフトバンク同士ですと・・テレホーダイですよ」

その一言に、私は「照れ放題」

 

 

ところで、話は変わるけど・・
この年になると・・・・芸能界に疎くて

モー娘っていたでしょう
だいたい・・・何人いるの?

「モー無数」

 

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