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世界の覚書

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韓国の脱民族史学

2007年12月29日 | 歴史・伝統
成均館大には民族史学と実証史学の両方があるらしい。

朝鮮日報:「韓国の民族主義、旗を降ろすのはまだ早い」 
大統領選挙を迎えた2007年末の韓国において、「民族」や「民族主義」という大きな枠組みはどこかしら古めかしいもののように映っている。そんな時にあって、民族主義歴史学界側は脱民族主義に対する反撃に出た。中堅の韓国近現代史学者にして成均館大東アジア学術院研究教授の河元稿(ハ・ウォンホ)氏(写真)は、最近発行された季刊誌『明日を開く歴史』冬号に掲載した寄稿文「ばらばらになった歴史の衝撃」を通じ、韓国の歴史学界で力を得ている脱民族主義を真っ向から批判した。

「植民地時代の人々は“支配”と“抵抗”の両極端ではなく、“グレーゾーン”にいたという脱民族主義歴史学の論理は、確かに多様な論点を提供している。しかしながら、一時代のパラダイムを再評価することとパラダイム自体の廃棄は、別の問題だ」(中略)

河教授は、民族主義の旗を降ろすのはまだ早いと言う。統一問題が解決していないという理由もあるが、より重要なのは、「いくらグローバル化の時代とは言っても、一般大衆の行動範囲そのものは、一国家や民族の内部的葛藤から抜け出し存在することはできないからだ」ということだ。現在の脱民族主義の流れは「代案なき衝撃」に終わる可能性が大きい、と河教授は指摘した。
脱民族主義の流れがあるのは喜ばしい(期待はしない)。左翼政権が漸く終わろうとしているし、今後は少し事情が変わってくるのだろう。

朝鮮日報:「韓国の歴史学はイデオロギーに左右され過ぎ」
「もしや歴史学という学問自体が政治に隷属しているのか、と憂慮される状況です。今の韓国の歴史学界は、歴史観(歴史を把握し解釈する根本的な観点)を選択するに当たり、政治的イデオロギーにあまりにも左右され過ぎています」

成均館大哲学科の李漢亀(イ・ハング)教授(元韓国哲学会会長)は24日、インタビューで、韓国歴史学界を正面から批判した。教授は最近、1冊の研究書を出した。自身が専攻する歴史哲学の分野に新たな論点を提示した『歴史学の哲学』(民音社)だ。600ページを超える同書の執筆に、李教授は3年を要した。

同書で李教授は現在韓国内外の歴史学界で一世を風靡(ふうび)している「相対主義歴史学」に反論を試みている。「歴史の客観性」に懐疑的な相対主義歴史学の例としては、「あらゆる歴史は現在の歴史」という現在主義や、「歴史は必要に応じて書かれる」という実用主義が挙げられる。しかし、脱近代主義的なこの観点で可能となるのは、体系的な歴史叙述ではなく断片的な資料の集積だけだという。

李教授の観点は、カール・ポパーに始まる批判的合理主義を継承するものだ。教授が見るに、相対主義的観点は、歴史を「つくられた話」と見なす反実在論だ。しかし、物理学には客観性があるものの歴史学には客観性がない、というのは果たして妥当な見方だろうか。歴史観を帯びていても歴史を客観的に叙述することは可能であり、そうしなければならない、と李教授は主張する。「歴史観なき歴史叙述は盲目であり、客観的歴史叙述なき歴史観は空虚だ」というわけだ。
日本は実証史学のはずだが、現実には「アカ」だらけだ。韓国民族史学は心配しなくてもいい(笑)。というか、「民族史学」が学問の歴史的に稚拙な段階にいるだけだである。

「断片的な資料」に対比されるのは、「虹」だ。虹を説いたのは、誰だったか.. そう、渡部昇一さんだと思った。

「歴史観なき歴史叙述は盲目であり、客観的歴史叙述なき歴史観は空虚だ」という言説自体は、やや大げさではあるものの、主旨はそう間違っているわけでもない。

ただ、盲目は言い過ぎだ。事実をちゃんと確かめていけば、先入観が無くても、そう盲目でもない(見る心がないと、見えても見えずという事はあるけれど)。理論負荷性という現象があるのは分るが、研究によって目を開かれ、理論自体へとフィードバックしていけばいい。しかし、この程度の知恵であっても、韓国史学界に適用するのは、背伸びに過ぎるのではないか。こうした大人?の理論を適用するのは、事実上無理であろう。

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