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世界の覚書

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大陸侵略を準備したかもしれない中朝論

2005年05月31日 | 歴史・伝統
『日本人と中国人』(山本七平)をぱらぱらと読んでいて注目したのが、『中朝事実』(山鹿素行)から尊王思想や大陸侵略を理解する筋道。検索してみると、松岡正剛さんの『現人神の創作者たち』書評コラムがうまい感じだ。

明の滅亡がもたらした衝撃は、朝鮮だけでなく、日本にも来ていたのだ。朝鮮に、我こそ真の中華という意識が生まれたのと平行して、日本でも中朝論が生まれ、尊王思想から、八紘一宇につながっていく、原形となった。維新後、ないし大陸での日本の活動の底流に、中朝論を位置づけると、歴史がずいぶんと分かりやすくなる。

今の大陸中国の性質は、簡単に言えば「俺のものは俺のもの、他人のものも俺のもの」だが、戦前の日本の大陸政策にもそんなところがあったとすれば、同じエートスに由来しているという事なのだ。儒教圏の中華思想とは、そういうものなのだろう。だから、どこか侵略ではなく、国内問題に近いものとなる。台湾を国内問題と主張するエートスと、満州や華北を日本の権益と主張するエートスは、中華思想/中朝論で通底している。

よく言われることだが、日本の中国制圧が成功していたら、(長年経過する内に)単に日本が中国になっただろう(満州が清となり、中国と一体化したように)。アジアで覇を競うとは、そういう意味なのだろう。

こういう話なら、秀吉の唐入りを想起せねばなるまい。まるでデジャビュだが、そこで興味深いのは江戸時代が「戦後」だったという話。当時は慕夏主義、今の戦後は、慕米主義だそうだが。

ずいぶん以前に天皇論を考えた事があったが、結論は「内なる中華」だった。これが「日本」成立の核だ。ただ、鎖国なり、海洋国家志向とセットでないと、まずい。大陸に向いてしまうと、元祖中原と衝突してしまう。もっとも、実際に天皇を嫌がるのは韓国であって(日王と表記して憚らない)、中国はあまり気にしていない。気にしているのは、実質的な覇権の方だ。

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