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世界の覚書

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靖国神社はいじれない

2005年05月30日 | 政治
日曜日午前の番組はニュースバリューがある。自分は見ていないが、報道によれば、与謝野政調会長はテレビ朝日で「靖国問題は単なる内政問題ではなく一定の外交的効果を持った問題だ。内政だけの問題としてとらえるのは、とらえ方が狭すぎる」と述べたようだ。中川秀直国会対策委員長はフジテレビで「ご遺族と神社側が話し合い、A級戦犯の分祀や分霊を自発的にやることが望ましい」と述べたらしい。

単なる内政問題ではなく... って内政問題への干渉だから外交問題なんじゃないか。与謝野氏のようなスタンスでは話にならない。

分祀論が、自民党では結構人気があるらしいのにも驚き。「自発的に」というのは、一宗教法人に政治が干渉したらおかしな事になるわけだが、公然と圧力をかけているのは事実のように思われる。

一度祀った神は、動かせるのか? 実は、一度だけそんな事があった。朝鮮神宮の撤収解体の時、前代未聞の「昇神式」が行われた(他の外地の神社・神宮がどうしたのかは、寡聞にして知らない)。しかし靖国神社には、基本的に祭神名簿(正式には「霊璽簿」)しかない。皇族を除けば、二百数十万柱で1座だ。ここから何をどうしようというのか、という感じだ。

分祀についてだが、たとえて言うならオリンピックの聖火だ。分けたり、一つにしたりは出来るが、「分離」は意味をなさない。分祀すれば、増えるだけだ。分霊も同じで、その度に増えていく。「分」は分け合う(share)ないし増えること(multiplication)で、分けて切り離す(divide ないし separate)ではない。

goo辞書には、「分祀:本社と同じ祭神を他所の新しい神社にまつること」「分霊:ある神社の祭神の霊を分けて、他の神社にまつること」とある。いわゆる「分祀論」が、いかに間抜けであるかよく分かるだろう。
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広辞苑第1版で調べてみたが、「分祀」は項目が無く、「分霊」はあった。「分祀」は、A級戦犯合祀問題が発生して以降の造語なのだろうか(この件、未確認
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#仮に、ほんとに分祀・分霊したら、処刑されたA級戦犯だけの神社が出来ることになる。これは自民党の分祀論者の想定外だろう。それに中国が何て言うか。とにかく妙なことになる。それに、靖国神社の方から、何かが減るということはないのだ。

ポリティカルコレクトネスに従って、いじれないものを操作的にいじるのは、いけない事だ。
操作的なのは、中国共産党(のやり口)だけでいい(よくはないが)。無理難題は、聞いてはいけない。

#東京招魂社には、実は結構儒教的な理念が反映されている(その意味で、中国人が同じ匂いを感じ取っている可能性はある)。要するに革命家の宗教施設なのだ。戦後の靖国が戦前の靖国と同じではないとは思うが、何かが違うとしても、基本的には宗教上の問題だ。もはや政治が干渉する事はないはずだ(それをやったら、国教になってしまう)。

そもそも「公式参拝」は憲法や法律上ありえない。中曽根氏の言葉遊びではなかったのか。ただ、参拝した者の職業が首相であったという事ではないのか。勤務時間中という事までは言わないのが花だ。ともあれ、今の靖国神社は一宗教法人にすぎない。

安倍氏の言うように首相の参拝を事実上強制してしまったら、話はこじれるだけだ。参拝は心の問題だから、という制約は大事にすべきだ。国旗や国歌とは違うのだ。それに、形はともかく、日本や日本人において、戦没者へのリスペクトがないがしろにされる事はなかったし、これからも無いだろう。

#自分? さすがに近所の神社への参拝回数が一番多い。伊勢神宮や出雲大社には、一度ずつだから、靖国の方が回数は多い。もっとも、明治神宮への参拝なら数多い。ありがちである。

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