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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

森岡正宏氏の発言から

2005年05月27日 | 歴史・伝統
5月26日の自民党代議士会での、森岡正宏氏(衆議院議員、厚生労働政務官)の発言:

「A級戦犯、BC級戦犯いずれも極東国際軍事裁判(東京裁判)で決められた。平和、人道に対する罪など、勝手に占領軍がこしらえた一方的な裁判だ。戦争は一つの政治形態で、国際法のルールにのっとったものだ。国会では全会一致で、A級戦犯の遺族に年金をもらっていただいている。国内では罪人ではない」(読売新聞

「極東国際軍事裁判は、平和や人道に対する罪だとかを占領軍が勝手に作った一方的裁判だ。A級戦犯の遺族には年金をもらっていただいており、日本国内ではその人たち(A級戦犯)はもう罪人ではない」
「中国に気遣いして、A級戦犯がいかにも悪い存在だという処理のされ方をしているのは残念だ。日中、日韓関係が大事というだけで、靖国神社にA級戦犯がまつられているのは悪いがごとく言う。こういう片づけ方をするのは後世に禍根を残す」(朝日新聞

政府が、これは個人的見解だとして黙殺するのはまだしも、まずい事に細田官房長官が「事実関係は種々誤りが含まれており、論評する必要はない。(東京裁判の結果については)日本として受諾したという事実がある。政府の一員として話したということでは到底ありえない」と記者会見で述べてしまった。こう言ってしまっては、事実関係のどこに間違いがあるのか、議論せざるをえない。

そもそもC級の元来の意味は「人道に対する罪」だったが、これで裁かれた日本人はいない。ただし極東裁判では、マイナーな「通常の戦争犯罪」がC級という事になっている(どうも、意図的に「人道に対する罪」の概念が混同させられているようだが)。つまり極東裁判でのBC級戦犯は、通常の戦争犯罪だから、事後法という事はない。事後法なのは(極東裁判では)、平和に対する罪、A級だけだった。

戦争遂行の故に、為政者が罪に問われるなどという事は、戦前は誰も考えなかっただろう。極東裁判やニュールンベルク裁判は、それだけで異常な裁判だった。A級戦犯やBC級戦犯が、国内法上の犯罪者でないのは、彼らを犯罪者にする国内法が存在しない以上、事実だが、国際法上はどうなんだと言われると、微妙だ。

よく言われるのは講和条約の第11条にある「判決(judgements)の受諾」だが、普通は講和条約の成立によって戦犯には大赦が適用されるのが通例だから、それを防ぐための異常な条項だった。本来は、講和条約の成立によって、戦犯である事から解放されたと見るべきではなかろうか。そもそも戦犯法廷は、軍事行動の一環なのだ。講和条約成立こそは、戦争状態の終焉を意味する。それに、講和後、しばらく時間はかかったが、結局残った収容者は皆釈放された。

「判決の受諾」ではなく(公式訳の通り)「裁判の受諾」だという見解もあるが、そうだとすると、戦争状態が終わっていない事になってしまう。
#ま、確かに国連憲章には敵国条項なんてものがあるのだが...

問われるべきなのは、A級戦犯として処刑された人々だろうか。それは講和条約成立前の事だ。もう戦争は終わったし、戦争処理も終わったのだ。

問われるとしたら、日本が戦線を太平洋に大々的に拡大したことなのか、中華民国国民政府相手の戦争に突入したことなのか。南進して、北進しなかったことなのか。そんな問いなら発したくなるが、それは靖国神社参拝とは関わりのない問題だ。神域において、歴史的な問いは封印される、そういう感覚だ。鎮魂とは、魂を鎮める事であって、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。
#靖国神社に鎮魂を見出すのは、一つの考え方に過ぎないかもしれない。

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