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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

太極八卦旗と太極四卦旗

2008年07月31日 | 歴史・伝統
レコードチャイナ:伝統の八卦図は韓国旗のパクリ?!ネットユーザーに怒り広がる―中国
韓国の教育では国旗誕生の物語は次のようになっている。1882年、国王の命を受けて訪日した朴泳孝が国家代表として国旗は不可欠と考え、伝統的な大極図をモチーフに作ったのが現在の国旗・太極旗だという。その後、発掘された古代の梵鐘からも大極図が発見され、大極図は朝鮮民族の英知の結晶と喧伝されているが、その誇るべき梵鐘はいまだ公開されていないという。

一方で中国の史書によれば、太極旗誕生の物語は異なる展開を見せる。朴泳孝が出発前に清朝政府に中国の五爪龍旗の使用を打診したところ、清朝は「潘属国は四爪龍旗の使用しか認められない」として要請を拒否した。この時、中国の使節・馬建忠は中国伝統の大極八卦旗を国旗として使用することを勧め、朝鮮政府も受け入れた。これが太極旗の始まりだという。
「五爪龍旗」「四爪龍旗」というのは聞きなれないが、そりゃあ、清の藩属国なのだから、朝鮮が勝手に国旗を制定するのは土台ありえない話である。このエピソードは国号の「朝鮮」が決まった時にお伺いをたてた話を思い起こさせる。対抗馬の案は「和寧」だった。

#「和寧」に日本(大和)の和が入っているのが気になる。

そもそも国旗を(仮にであっても)船の中で必要に迫られて考案したというのは、よく考えると無理のある話だった(そんな無茶はありえない)。朝鮮日報の2008/06/08記事で、別の事情が紹介されている。

太極旗:朴泳孝は考案者ではなかった(上)
1882年5月に朝米修好通商条約を締結したとき、朝鮮には国旗がなかった。同月14日(太陽暦、以下同じ)、米国の全権特使のシューフェルト海軍提督は、「もし朝鮮が清の黄竜旗と似たような旗を掲げれば、朝鮮を独立国として認めようとする自国の政策に背くことになる」と考え、朝鮮側の正使シン・ホンと副使の金弘集(キム・ホンジプ)に対し、国旗を制定して調印式で掲げるよう求めた。これを受け、金弘集は通訳官の李応浚に国旗を制定するよう命じ、李応浚はこの日から同月22日にかけ、米国の艦艇「スワタラ号」の中で「国旗」を作成した。そしてこの「国旗」が、22日に済物浦(仁川市)で行われた調印式で、米国の星条旗とともに掲揚された。
朝鮮日報:最古の太極旗の絵が発見(2004/01/26
1882年7月に米海軍省(Navy Department)航海局(Bureau of Navigation)が発行した『海上国家の旗』(Flags of Maritime Nations)に収録されたこの太極旗は、青、赤の太極模様と黒の4卦など、現在の太極旗の原型を保っている。
清の国旗を見て(Wikipedia:清)思い出したが、竜の爪の数が問題(ステータス)なのだ。清の国旗の竜は爪が5本ある。藩属国は4本というのは、そういう話。しかし、米国が「もし朝鮮が清の黄竜旗と似たような旗を掲げれば、朝鮮を独立国として認めようとする自国の政策に背くことになる」というのであれば、辻褄があう。つまり、米国の意向を尊重し、生かした形で、黄竜旗に準じた旗をやめて、「大極八卦旗」が登場?

2004/01/26の記事の写真のどれが米海軍省発行 "Flags of Maritime Nations" に載っていたのか、分からない。真ん中の黄色地(大清国属高麗国旗)は、清国旗の黄色地に倣ったものだろう。

#「高麗」は清における朝鮮の通称ですな。

太極旗:朴泳孝は考案者ではなかった(中)
朴泳孝の日記『使和記略』には、彼が用意してきた「太極八卦図」を見たイギリス人のジェームズ船長
朴泳孝が「太極八卦図」を用意して船に乗り込んでいたのは事実のようだ。

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