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世界の覚書

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独裁は民主主義から生まれるのは事実だが...

2010年06月22日 | 政治
国を憂い、われとわが身を甘やかすの記:本当に国家解体を目指す革命政権だったようです
あのころ、仙谷氏は『ポスト・モダン』という言葉をしょっちゅう口にしていた。つまり、王政などの『プレ・モダン(前近代)』から主権国家の『モダン(近代)』の時代となり、今後は最終的に国家が崩壊し、『ポスト・モダン』(近代の次)の時代となる。仙谷氏の考えは、国家は国際的には国際連合などに統合され、国内的には地域に主権が移っていくというもので、国家の解体思想だった。国家という責任の主体はなくなっていくのだが、しかしそこにもリーダーは必要だ。私たちは、それは結局、独裁になるのではないかと反論した」

…菅首相がかつて周囲に「民主主義とは、政権交代可能な独裁だ」と持論を話していたのと合わせ、非常に興味深いと感じました。
(中略)

《神秘的実体感をもっている明治以来の「国家」観念も色あせ、国家イメージは「市民」と「政府」のイメージへと分解し、政府イメージも自治体政府と中央政府へと分節化されていき、政治の脱魔術化が可能となるのである。》(「市民自治の憲法理論」)
《政府信託論では市民はいつでも政府への信託を解除できます。これが選挙ないし革命です。》(「日本の自治・分権」)
《(住民)選挙は抵抗ないし革命の日常化という意義をもつ》(「市民自治の憲法理論」)
とりあえず『市民自治の憲法理論』を読んでみるが、ニューレフトの最終理論書という感じだ。「地域主権」は「国家解体論」とイコールであるというのは、分かってはいるが、怖い話である。

夢想家がそのまま政治家になった鳩山に対し、菅や枝野は何だろうか? 彼らが革命政権なのかどうか、まだよく分からない。というのは、思想的背景はそうでも、実行力が伴わないからだ。もちろん、実行力があるのであれば、こんなにのんきにしていられない。

ただ、そんな日本の揺れ動く政治を後ろから見ていて、時に静かな影響力を行使しているのが米国かと思うと、それも情けない話である。が、今のメディアや大多数の日本人の頭の中身からすると、どうにかなるような気もしない。

歴史上、独裁が、民主主義(要するに大衆の支持)から生まれるのは事実だが、そうだからこそ、民主主義の成果や運営については慎重になる必要がある。民主党は、その慎重な手続きや運営ノウハウの正道から踏み外しがちだから、心配である。「民主独裁」に至っては、共産主義革命理論そのものである。民主党の強行採決は、残念ながら自民党のそれより悪質である。

菅総理、昨年のマニフェスト<207兆円の総予算を組み替えて9兆円の財源を生み出す>を直ちに実行すれば、消費税を上げる必要は無い。
去年の7月の民主党のマニフェストに、207兆の予算を組み替えて16兆円の財源を生み出すとある。(中略)ところが1年も経たないうちに、菅総理はこのままだと日本は第二のギリシャになるという。こういう人を恥知らずな人という。(中略)民主党は国民に対して虚偽情報を使って詐欺を働いたことになる。民間の会社だったら経営者がうったえられ倒産だ。
土屋氏の言う通りである。なぜ日本人が(民主党の虚偽に)ここまで寛容なのかは、謎である。

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