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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

議論できないことを議論する

2010年08月16日 | 歴史・伝統
ちょっと話題になっているので便乗してみる。

ぼやきくっくり経由
古屋
「その通りです。で、それをふまえた上で、ちょっと僕、歴史的な事実だけをちょっとだけ一点だけ整理したいんですけれども、日本とドイツが、ドイツのようにね、ユダヤ人を虐殺したと言いますけれども、日本人は併合した時に韓国人を、ホロコーストとかはしておりません。それはちょっと、あの、非常にこう、誇張した表現です。ただ、ただ、あの、併合した時に、武力で、パルチザンを弾圧したとか、そういうことはありますが、それは申し訳ございませんでしたと僕は思います。ただ、ただね、当時の日本人は、あなたたちが憎くて韓国を併合したんじゃないんですよ。なぜなら、当時は、植民地のね、列強の、帝国主義の時代で、やむをえずにやったんですよ。これはね、理解してほしいんです。だから当時の人が悪いとか思ってないんですよ。しょうがない(スタジオざわざわ&笑い)」
(中略)

古屋
「植民地を作っていくっていうのは、当時の人は誰でも悪いと思ってないんですね」

崔洋一
「あのね、それに関しては、確かに、1910年の日韓、韓日併合に関して言えばね、そういうイデオロギーが日本を支配してたと。それが武断統治という形で長い植民地時代を作ってきたのは事実です。だけれどもそれは、朝鮮半島の人々が、時のだらしない政権ではあった、時のだらしない王朝は求めていたのかったら、違う。そこからまず、まず問題を、解き起こさないとね、あたかも、えー、強い友情が、弱いものを助けて、もっと強いものに対して、抵抗するために、これは併合があったんだというね、全くとんでもない史観につながるよ」

古屋
「あ、いや、そんなこと思ってません」

崔洋一
「いや、だからあなたはたぶん変われないんだよ。そういう史観は、変わるとしたらば、客観的な事実を積み重ねていくしかないのさ。ね。それ当たり前の話じゃない。だからその時の、つまり併合時の1910年の日本の、イデオロギーっていうものはそういう方向に流れてた。国そのものもそうなってた。だけど、36年間にわたる植民地支配がそれによって肯定されるという考え方は、基本的に歴史を語る資格がない!(スタジオ静まりかえる)」
この最後のところ、チェ監督は「みえ」を切った格好になって、スタジオが凍りついたようだった。

色々な問題が分析できるんだけれども(チェさんは最低だが、そもそも論旨不明なので分析不能)、拡散するので、絞ってみる。

1)当時は帝国主義の時代であり、併合は「やむをえずにやった」→古屋
2)朝鮮王朝(当時は大韓帝国だが)が併合を求めていたかといったら違う→チェ監督
3)併合は日本側の一方的なエゴによるものであった→本人のブログに寄せられたコメント

2)と3)はまあ、どうしようもない。チェさんにしろ、韓国公式史観にせよ、あらまほしき歴史再構成=正しい歴史なので、否定する者は存在自体が許されない。1)は、要約をはしょりすぎなので、これだけだと分かりにくいかもしれない。まあ、ホロコーストはしてないとか、日本と朝鮮は対戦してないとか、当たり前のレベル。

当時、大韓帝国に、国民運動ともいいうる併合賛成派がいなかったら(いるような状況でなかったら)、そもそも併合は不可能か、もっと大混乱が余儀なくされていたろう。実際は、治安状態はよかったし、武断政治は最初だけ。朝鮮全土を、今の(ちょっと前?)イラクのように武力でおさえていたかといったら、全然違う。朝鮮王室(ほんとは皇室だが)や政権がどう考えていたか。政権の多数派が(容認派であれ)併合賛成であったからこそ、無事併合できた。

併合合法論は、帝国主義必然論であれ、国際法上合法論であれ、それ自体を韓国側は全面否定しているので、議論にはならない。

こういう場合、全否定や「語る資格がない」といった、韓国サイドの議論上の横暴について、浮き彫りにすべきだった。まあそれをやると、韓国サイドがそう崩れになって、NHKの意図が成立しなくなるだろうが。

言い換えると、「歴史的事実」うんぬんではなく、「正史」主義の知的横暴について、訴えるべきだった。出来ない話だけど。

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