真言宗のご住職の言葉だ。
「死ぬときはみな丸裸」だからこそ、生きているときは懸命でなければならない。
◆どうせは心の赤信号
住職の父親は肝臓がんを患い、「どうせあの世へ帰る身ならば、せめてこの世に生きているうちは、
命をかけて頑張り尽くそう、誰が知ろうとしるまいと。」と記していた。
だが、どうせには、いつかこの世と別れるという思いが込められている気がする。
生きていればその先に、死が待っているのは明らかだ。
だが、死が近づいてくるのではなく、我々の方から死に近づいていくのだ。
避けられない死を考えたとき、それまでをどのように生きるのかを真剣に考えるのだろう。
仏教には、ヘビが水を飲むと毒液になり、牛が水を飲むとミルクになる、というたとえがあります。
死ぬときは皆丸裸、地位も肩書も財産も何も持っていけない。
せめて誰が知ろうと知るまいと、出会う出来事をミルクにしていきたいものです。
→おいらは宗教心はあまりないが、おっしゃることはわかるような気がします。