4日目の夜です。と言っても変な意味ではありません。
夜の駅頭も4日目を迎えました。自分の選挙の時以来です。
本日は定番の「民主党の政策には財源の裏付けがない」というご批判をいただきました。私からは無駄遣いの撲滅による財源のねん出をご説明いたしましたが、その方は「なんだか眉唾だなぁ」と言って立ち去って行きました。きっとこの方は今のまま高い税金を払い続けても、後期高齢者医療制度保険料を払い続けても生活をしていける方なのだろうと思いました。偏った見方かもしれませんが、駅頭で批判をしてくる方の中には2タイプいるように思えます。一つは「民主党には期待したいけど、ここの部分はこうしたほうがいい」という提案型の批判。もう一つは基本的に民主党が嫌いな人で、批判のための批判をする方。具体的には「財源はどこから持ってくるんだ!」(これだけ積もり積もった無駄遣いにメスを入れずに財源を生み出せるはずないのですが・・・)「民主党は自民党以上にバラバラだ」(どうぞ自民党に投票してください。)という具合にだ。後者の場合私は「右から左に受け流す」対応をしている。
冒頭に示した方は基本的に自民党支持だと考えている(その人が意識しているかいないかは知らないが)。「どっちもどっち」はただの無責任だ。判断をしてこなかった戦後日本を象徴しているのかもしれない。評論家で飯を食えるのはごく一握りの人たちなのに。
その他にも建設業の方で「私たちは自民党だから飯が食える。民主党が政権とったら飯の食い上げだ」というご意見を述べられた方がいた。確かに今の公共事業制度を前提として、大手ゼネコンの下請け、孫請けで「おこぼれ」で地域の中小建設業者は稼いでいく、というやり方を前提としているのであれば、「民主党が政権を取って飯の食い上げ」になってしまうだろう。
しかし、この手法は早晩行き詰まる。なぜなら道路整備も進み、大きい箱もの需要はもう頭打ちなのだから。むしろ維持・管理の比重のほうが高いのである。建物や道路の細かい補修等の場合大手ゼネコンよりも地域の中小事業者のほうがきめ細かい、コスト安な対応ができるのではないか。戦後の大プロジェクトで景気を全国に波及させていくやり方は、その大プロジェクト自体を必要としなくなった現在では、いずれ立ち行かなくなるのではないか?地方分権というのは、公共事業も地方が主体で発注をできるよようになり、地域にあった規模で施工できるということである。だが、現場で働いている方にとっては「今日の稼ぎ」が必要なのですから、中長期的な話をしても理解されづらいかもしれない。なにより、その場で「どうなんだ!」と聞かれて、以上の内容を即答できない私が情けないことになっている。
駅に立つことで自分の「ほんとうの実力」も見えてきます。