「水中花」-井上忠夫
作詞:阿久悠 作・編曲:井上忠夫
演奏:チト河内グループ
「井上忠夫ファースト(全作詞by.阿久悠)」1976年より
(Photo by Yohji Kobayashi)
この詞もまた、阿久悠さんの代表作である。
最近のアーティスト、特にセールスが大きい人達の歌詞を見てみるとまるで昔の交換日記のようだなぁ・・・としみじみ思う。同世代に向けて同じ目線で言葉を投げる。そして、それに呼応する層が彼・彼女達を支持する。そしてそこから大きなビジネスが成立している。でも残念ながら私は彼らの大半には、真の言葉の意味での”アーティスト性”はあまり認める事は出来ない・・・。だって、真の”アート”作品は世代を凌駕するが、彼らの作品の殆どは世代をまたぐ事が出来ないのだから・・・。でもこの事自体はやむを得ないと思う。だってそれは昔のフォーク全盛時代にも同じような現象はあったのだからね。いつの時代にも、そんなレベルの作品が必要な層は確実にいるのだから。
ただ・・・
問題は、こういう限りなく素人系の”アーティスト”が職業作詞家・作曲家の住処を奪ってしまった事なんだと思う。その結果、今のように、殆どが時代を超えられない、つまりその時だけのお楽しみの消耗品音楽ばかりになってしまっているのだ。これはちょっとマズイんではなかろうか・・・・。一方で、今年鬼籍に入られてしまった阿久悠さんの作品群は今なお多くの方の心に留まっているのだ。それは消耗品という言葉の対極にある普遍の輝きを放っている・・・。そんな普遍性が現代の音楽には見られない。これはいくらんでもマズイんではなかろうか・・・?
♪ 針の音がシャーシャーと 歌の隙間 うずめてる・・・
古いレコード掛けて 酒を飲むのよ
辞書を開き 知らぬ文字 探しながら書く手紙
頬に流れる涙 拭きもしないで・・・ ♪
この女性は昔で言う”夜の蝶”だろうか・・・。水中花の”水”は「おみず」つまりアルコール。「水中花」は夜の世界でしか開くことがない花(人生)の象徴。不幸な家庭の末に満足に学校へ行くこともできず、家族を養うために夜の世界に飛び込んだ女(ひと)。夜の世界で生き、家庭ある人を愛しつつ、でも自ら身を引くだけの恋しか出来ない境遇・・・。決して成就する事のない自分の真実の愛。そんな身悶えするような切ない心が見事に唄われている。そしてほんの僅かな行数で、リスナーにここまでの奥深い人間ストーリーを想起させるのだ。名詞だ。名曲だ。
ちなみに井上忠夫さんは、言うまでもなくレコード大賞曲ブルー・コメッツの「ブルー・シャトー」の作曲者でもあり、その後井上大輔と改名した後も沢山のヒット曲を放った大作曲家ですね。そうそう、井上さんは洋楽志向が強く、大ヒットした「ブルー・シャトー」のような”四七抜き”メロディは好きではなくあまりこのヒット曲に満足していなかったという意外な話を聞いたことがあります。
私もこの井上さんのイメージから遠い演歌ぽい歌には当時とても驚いた記憶があります。ただ阿久さんも仰ってましたが、この曲はあまりの井上さんの名唱と相俟って独自の世界を築いておりその歌唱を越える唄が生み出せなかったため、他の人によるカバーが(数人を除いて)存在できなかったという逸話を持ちます。これまた、井上さんの世界から見れば皮肉な裏話がある名曲です。これも、井上さんが演歌から遠い人であり、その人が演歌寄りの世界にアプローチした事による予想外の科学反応の昇華だったのかもしれません。
話は戻って、もう交換日記のような歌ばかりではなく、こんな文学作品のような芳醇な香りが漂う、大人向けの作品を切望する私です・・・
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