昨日 父の忌明けの法要が無事終わりました。
(正確には30日で49日経つんですけどね)
あの日から昨日まではとても長く またいろんな思いを抱いた日々。。
実家とはほんと近い距離でも 大きな道路一本隔てるだけで
昔からのしきたり・慣習などを引き継いでいる地区ゆえ まぁいろいろとあります。。
末っ子でな~んにもアテにされることもなく な~んにも役に立たないわたしでしたけど。
兄嫁や姉・甥っ子姪っ子のすべての言動が 自分に直接かかわる時はもちろん
自分に言われてなくても そのやりとりを耳にしたり目にするだけでも心ズタズタ。。
100か日 初盆 とまだ続くけれど 貝になり心に鎧をまとってないとね。
まだまだ西方極楽浄土への道の途中にあるという父が 無事にたどり着けますようにと
ただただそれを願うだけ。
そして 「もう居場所がない」 と嘆いている母のフォローができればいいかなと。
どらも末っ子で 色々ゴチャゴチャと経験してきたよ・
3人も兄嫁が居たけど 老後は 末っ子と暮らしました。
他人なら無視出来るけど 身内は厄介よね・
出る釘は打たれるしね
残されたお母さん 心細いでしょうね・
お疲れ様でした
そうね いろいろありますね
ヨッコさんがおっしゃるとおり
お父様とお母様のことだけに思いを傾けて
らしたら いいと思いますよ
我が家の時は3人姉妹の上に従兄弟がしきってくれたので和気あいあいとまではいかないまでもすんなり何事もなく見送ることができました。
そのあとの役所関係やら金融機関関係で腹が立つことのほうが多かったです
それがあの震災で町長はじめ多くの役場職員が犠牲になりました^^;避難してからの対策本部を儲けるのにあの場所で対策本部でしたからね。今は多くの応援職員が入ってくれてるので少しでも体制が変わってくれたらと思いけどどんなんだか疑問です
人一人亡くなるって大変なことを身をもって感じました。
ヨッコさんもゆっくりとは行かなだろうけど気持ち的にはお父様、お母様のことを思いながら出来る範囲でお母様の話し相手になってあげてください
身内の恥さらしてる? そんな内容だよね…と消去
身内が近くにいて心強いこともあり、また助けてもらうことが多いけど…
だ~れも知らない遠く離れた地で一人で暮らしたい…
時々そう思います
危ない傾向ですかね
今の状況では絶対できやしないことだけど。
正直母の相手はめっちゃ疲れ苦手だけど…
今まで我慢我慢の生活してきたからそれを思うとね…
少しでも楽しい思いが出来る手助けができたらな と。
それで心ボロボロになるって変ですよね。
実家では46年前祖父を送ったきりで、当時私は高校1年…
断片的な記憶しかないし、ましてやいろんなやりとりも蚊帳の外…
この歳になると見たくないものまで見えてしまってね。
父の顔を浮かべいろんなことを思い出したり
母をあちこち連れ出すことに気持ちを切り替えたいと思ってます
これでもう気持ち切り替え何も思わないことにします。
姉も私も母の相手するのは正直苦手だけど
「二人でフォローしようね!」は決定事項
>人一人亡くなるって大変なことを身をもって感じました。
ほんと…大変なことね…自分の時のことを考え一筆残しておかなくては!と思いましたね。
残された者はその直後から時間に追いまくられ
いろんなこと決めたり連絡やら手続きやら…
ウチは母の助言(地域の慣習)をもとに兄の決めたことに対して私は同意するだけ。
書類関係は義兄の得意分野(元市役所職員だし)だしね。
時間が、日にちが経つにつれ
次男はこういうこと全部一人でやったんだ…悲しみこらえよくやったなぁ…
そんなことを思ってましたね。
大槌の役場もそろそろ落ち着き機能もフル回転でしょうか。
新しい風が吹き込み、良き方向へと変化していくといいですね。
今回は田舎だけで過ごしました。帰国の途でシンガポール、カンボジアとまわり昨日Brisbane に戻りました。
儀式?としては一区切りですが胸中はまだまだ…って感じですね。
お母様お元気でお過ごしでしたか?
またお会いできず残念
たんぽぽ・やまぶきが咲く今頃は特に
あの楽しかった岩手での出会いを思い出します