「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

2017 大出早池峯神社例祭

2017-07-23 09:01:46 | 郷土芸能

長い長い、宵宮話題の後は、その翌日の例祭です。

他にすることは無いのか?と、云われそうですが・・・。汗

 

18日午前10時からの例祭神事が始まる前に、

地元附馬牛町の張山、上柳、東禅寺の各しし踊りが誉め唄をかけながらやってきます。

 

大出集落の入口にあたる大出橋、鳥居、神門、階段で踊り、最後に本殿前にて奉納です。

 

前の晩、遅くまで演じた大出早池峰神楽さんも本殿前と社務所前でシンガクを披露し、

 行列に参加する人達が揃ったところで神事となり、出発

 

途中、境内にある駒形神社に寄り、

 

猿ケ石川の支流のひとつとなる土倉川にて、御神輿を清めて、前半の終了となります。

 

近くの大出橋から、あの人もこの人も、その様子を見守っていますが、

おおよそ半数は県外からのお客さん?遠野通い人さん?だと思います。

 

御神輿が神社に戻ってきました。

 

本殿廻りを三周し、御神輿を納めて神事となりますが、

 

本殿前では、各郷土芸能が最後の踊り

 

そして、餅撒きまでの待ち時間となり、

 

恒例の餅撒きにて終了

とりあえず、急ぎ足での例祭模様でしたが、この日、出会った方々の中に、このお祭りと遠野まつりに

ここ数年お出でになっている青森県のKご夫妻がおりました。

以前お会いした時に、「遠野に移り住むかなあ」なんて、リップサービスを頂きましたが、

なんと、本当に遠野市民になることが決まったようです!

 

 

 

 

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2017 大出早池峯神社宵宮 其の四

2017-07-22 09:51:38 | 郷土芸能

大出早池峯神社宵宮も最後となります。

 

この時間からは新たに訪れる人も無く、出店では店じまいとばかりに、半ばご苦労会状態となります。

 

十二番 岩戸開き・・・大出早池峰神楽さん

 

山の神舞いの後ということで、空気も変わります。

 

天の岩戸を開くれば~となり、

 

くずし舞

恋ぞ積もりて 淵となるらん オモシロエ~

 

十三番 八幡舞・・・大出早池峰神楽さん

本来は式四番の舞ですが、前半に鱒沢神楽さんが八幡舞を舞っているということもあってか、

ここで地元の八幡舞披露となりました。

 

山の神舞を演じた父親が胴を、息子さんが手ビラ鉦、そして娘さん二人が八幡舞です。

 

どちらか聞きそびれましたが、学生だと思っていたら、もう卒業したとのこと。

本当に他の子供たちの成長の早いこと・・・笑

 

この八幡舞、なんとなく、どこかにアレンジが加わっていたように思いましたが、

姉妹の息もぴったり。

 

これまた、ねばって見ていた甲斐がありました!

 

十四番 権現舞に先立ち、下舞い

 

家族で附馬牛町に住むことになった新遠野人

ここ数回の出番では、奥様が下舞いで登場していますが、きっちりと舞う姿が印象的です。

 

その旦那様が権現様を操り、夫婦での権現舞となり、皆さんの頭をカミカミして、終わりとなりました。

終了時間11時。

帰宅後、一人でビールを飲んでご就寝と相成りました。笑

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2017 大出早池峯神社宵宮 其の参

2017-07-21 00:00:57 | 郷土芸能

其の壱にて、附馬牛にあった神楽として大萩神楽にふれましたが、嘉永(1848~1854)の頃、

(嘉永の時代については、拙ブログのこちら参照)

大萩部落では博打うちが流行り困っていたところ、神楽をやることで何とかしようと治平という人が、

内川目の岳に行き、仲間二、三人と習い始めたのが最初だと東禅寺大萩神楽由来傳説に記されています。

この神楽も平成6年を最後に公式の場では演じられなくなったようです。

 

十一番 山の神舞・・・大出早池峰神楽さん

正式には式五番

 

これからクライマックスと思うあたりで、ここまで我慢していたとらねこさん退場です。

無料バスでお出でになった方々も帰り、廻りは犬の鳴き声と、酔っ払いの大きなひそひそ声だけ。笑

 

これを見ずして宵宮を見たことにならず!です。笑

 

先の東禅寺大萩神楽由来傳説には、明治40年頃のこととして、大野部落の菊助と云う人の歳祝いに

大萩、石上、大出の神楽が招待され、競い合いとなり、大出神楽の上の家の定吉という人が山の神舞を踊って

床板を踏み抜いたという話が載ってありました。

 

嘉永に伝えられた大萩、明治初期に伝えられた石上、床板を踏み抜いた大出と

明治後期は、これらの神楽が盛り上がっていた時代なのかもしれません。

 

そろそろ、辺りの空気が変わってきました。

 

舞い始めて40分

 

山の神の終わりです。

 

今年も大出早池峰神楽を見たなあ~と云う気になりました。

 

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2017 大出早池峯神社宵宮 其の弐

2017-07-20 08:17:36 | 郷土芸能

早池峰山妙泉寺文書という本には、

寛政9年(1797)2月の文章として、おととし、糠前村万右エ門から頼まれ、同村吉右エ門宅にて、

大出祢宜土佐が早池峰山権現を勧請して神楽の準備をしていたところ、裏町の明宝院が来て、

社家神楽は他村で、してはならないと大徳院に申付けられていたはずだということで、

その神楽座の注連縄を引き落とすという事件が発生した。とあります。

山伏神楽と異なり、神人神楽は門付けしないという話の根源は、ここにあるものと思われます。

神楽の興業が、修験者によって管理されていた様子が見えてきます。

 

さて、其の弐

 

七番 天降り舞・・・大出早池峰神楽さん

 

大出早池峰神楽では式外十八番になるようです。

最初に登場したのは神社の例祭で行列の初めの方にいる、長い鼻の天狗で、猿田彦と云います。

天孫降臨に際し、他の神々を出迎えます。

 

くずし舞

大出系のくずしは大迫系に比べ、大人しい感じがしますが、

門付けをせず、この狭い舞台での舞を基本としてきた歴史がそうさせているのかもしれません。

 

八番 尊揃舞・・・平倉神楽さん

経津主尊、猿田彦、鈿女命は、中津国を平定し、これを天照大神に奏上したことろ、

大神おおいに喜び神楽をなさしめ給うというのがこの舞とのこと。

 

今年の平倉さんは、割と大人しい演目を選んだようです。笑

 

九番 汐汲舞・・・平倉神楽さん

 

いつもながら、優雅な舞いです。

 

十番 翁舞・・・ここから最後まで大出早池峰神楽さんとなります。 

 

6時から始まって、ここで9時少し前

初めて見に来たという下の牛乳屋の社長さんは、流石にこの頃には姿が見えませんでしたが、

雰囲気は味わって頂けたものと思っています。

(さあ、来年は葬祭幹事長が見る順番ですよ!笑)

 

この日は、鹿児島県から震災復興支援で沿岸地域にお出でになっている方が奥様と一緒に来ており、

また、10年以上通っているという横浜のSさんとその友人、

隣りには全国の神楽を見て歩いているという奈良県の方などなど、

市外の方のほうが多いのでは?と思う宵宮です。

斯く云う私も、山猫さんや玉千代さんといった遠野通い人さんが見学するのにつられて見るようになったのですが。笑

 

 

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2017 大出早池峯神社宵宮 其の壱

2017-07-19 15:03:17 | 郷土芸能

昨日の午後は物凄い雷雨でしたが、明けて本日は晴天なり。

月曜日は告知どおりに、大出早池峯神社の宵宮へ行ってきました。

 

海の日の祝日だったせいか、本業関係の電話が一本もない暇な日中を過ごし、

かなり早めに神社に到着。

 

早々に参拝及び場所取りを済ませ、ぶらついていると、とらねこさん到着。

 

時間つぶしに、二人でノンアルコールで乾杯後、豚汁を食す。です。笑

 

ポスターでは午後6時30分から宵宮祭となっていましたが、6時、神楽の奉納が始まりました。

やはり、遠野時間です! 前後30分のおおよそ時間は、今も活きています。笑

 

一番 四人鶏舞・・・大出早池峰神楽さん

 

二番 子供たちによる神楽(シンガク)・・・大出早池峰神楽さん

 

三番 鞍馬天狗・・・大出早池峰神楽さん

 

ここまでは、出演時間を考慮して、子供たちによる舞いでした。

 

四番 三番叟・・・大出早池峰神楽さん

宝暦8年(1758)、妙泉寺55代宥全が寺社奉行に提出した口上覚書には、

「往古自大出村之内根宜 子供ハ不及申 其続之者共ヲ以 元禄年中迄年々六月十七日、十八日之

御神楽相勤来候由段々申伝候・・・」

と、あるように、江戸時代には子供たちも参加して、神楽が演じられていたことがわかります。

 

20戸ほどの集落で、お祭りの準備をし、神楽までとなると、集落をあげての行事であることは、

今も昔も変わりなく、逆に現在の方が若者が少ないぶん、隣りの小出集落を含んでも、

江戸時代より大変な苦労があるものと思われます。

 

ここで、選手交代です!

 

五番 八幡舞・・・鱒沢神楽さん

 

予定時間より早くスタートしているため、鱒沢神楽の笛吹さんが到着していないというアクシデントがありましたが、

これもまた、お祭り。笑

 

六番 翁舞・・・小倉神楽さん

 

こちらも途中でお面に不具合があったようで、後半は素顔でした。

昭和24年、大出神楽庭元の火災で神楽道具一式を焼失し、

その後、しばらくは、この小倉神楽さんから道具類を借りてシンガクだけの奉納時期があったようですが、

昭和27年までの様子を記した「郷土のすがた」には、附馬牛村の神楽として、

神人派(大萩、大出、小倉張山)、山伏派(和野)があったが、今存するのは大萩と和野のみとなった。

と、あり、いかに衰退していたかがわかります。

逆に今は、大出、小倉だけが演じられているというように、附馬牛だけでも大きな変化です。

わかるだけでも33団体あった市内の神楽も、13団体が廃絶・中断中というのが現状です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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