日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

別府地獄巡り②

2021-02-21 07:00:00 | 国内旅行

別府の地獄巡りで一番大きな「海地獄」、ちょっと珍しい「鬼石坊主地獄」、種類の多い「かまど地獄」の次に回ったのがすぐ隣にあった「鬼山地獄」

入り口にあった鬼のモニュメントが何だか一昔前の観光地のような感じだった。

 

[鬼山地獄]

 

ここは、温泉そのものよりも、ワニ園として有名で、コンクリートの囲まれた池でワニを飼育していた。

飼育には温泉熱を利用しているらしい。

温泉の湧く池もあったが、特に見どころがないため、ワニで集客しているのかも。

 

そして2分ほど坂を下った先にあったのが「白池地獄」

和風庭園のある落ち着いた雰囲気の地獄で、池は緑に囲まれた幻想的な青白い色をしていた。

このお湯は95°もあり、噴出時には無色透明で、池に入ると青白い色になるとか。

園内には少し小高い場所があり、池の全体がきれいに見えた。

こちらでは熱帯魚を飼育していた。

 

 

[白池地獄]

 

このエリアの地獄はすべて回ったので、鉄輪のバス停まで歩き、次のエリアまで10分ほどバスで移動した。

ここで驚いたのはバスのアナウンスに英語と韓国語が使われていたこと。

それだけ韓国からの観光客が多いのかも。

確かに地獄巡り中に会ったのはほとんど韓国人ばかりだったし、大分空港には韓国との直行便もあったのだから。

 

さて、次のエリアには2ヶ所の地獄がある。

バスを降りたのは「血の池地獄」の停留所。

何とも物騒なネーミングだが、池の赤い色から名付けられたのだと思う。

1300年以上も前から存在する日本で最古の天然地獄で、奈良時代に書かれた「豊後国風土記」には"赤湯泉”と記されているらしい。

赤と言うよりも赤茶色で、お湯に含まれている酸化鉄によって色が付いているようだ。

入ってみると大きな池が一つだけあった。

売店にこの赤い熱泥で作った皮膚病薬が売っていた。

 

 

[血の池地獄]

 

最後はすぐ隣にある「竜巻地獄」。

ここは間欠泉だけ。

間欠泉は吹き出す時間が決まっていた。

たまたま行った時はほんの数分で間欠泉が吹き出す時間だったから良かった。

待ち時間が多いようならば、受付で確かめてから隣の血の池地獄と合わせて効率よく回ればいいかも。

 

[龍巻地獄]

 

このようにして全部の地獄を回ったが、初めてならばいいが、2度目、3度目となると、本当に見たい場所だけ個別チケットを買って入場すればいいのじゃないかとも思った。

 

別府では定期観光バスで地獄巡りも出来る。

毎日運行していて、予約なしでも大丈夫。

ガイドさんの詳しい案内付きで、約3時間ですべての地獄を回れるので、自分で動くことが出来ない人にはオススメ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別府地獄めぐり①

2021-02-20 07:00:00 | 国内旅行

日本の温泉地では、水蒸気や火山ガスが噴出しているような噴気地帯で岩肌がむき出し、殺伐とした景観地を○○地獄、地獄谷などと名付けているところが多い。

別府市にある鉄輪温泉あたりも古くから熱泥・熱湯などが噴出していて近寄りがたいため、「地獄」と呼ばれていた。

また、その吹き出し口を「地獄」とも言っている。

ここには7ヶ所の地獄があり、今ではそれぞれ特色の異なる地獄を巡るのが代表的な観光コースとなっている。

 

そこで、一応全部の地獄を回った感想を書いてみた。

7ヶ所の地獄は大きく2つのエリアに分かれていて、各エリア内の地獄は徒歩圏内にあり、2つのエリアの間の距離は約3kmあるので、移動するにはバスを使った。

最初のエリアにあったのは-----海地獄・鬼石坊主地獄・かまど地獄・鬼山地獄・白池地獄の5ヶ所

次のエリアは-----血の池地獄・龍巻地獄の2ヶ所

それぞれの地獄を見るには入場券が必要になる。

個別に支払っても良いが、全部見るには共通入場券が割安になっていた。

 

地獄の数が多い方から回った。

別府駅前から出発し、20分ほどでバス停「海地獄」前に着いた。

 

 

 

きれいなコバルトブルーの色が印象的な大きな池で、深さは200mもあるとか。

温度は98度もあり、竹の棒の先に籠を付けて温泉卵を作っていた。

また、敷地内には温室もあり、その中には睡蓮や蓮、胡蝶蘭などがあり、目の保養になった。

 

そして、すぐ隣には「鬼石坊主地獄」があった。

 

 

 

それほど広い場所でもないが、地獄の中でも少し変わった場所で、500年ほど前の大地震の時にこの場所にあった延内寺の床下から泥火山が湧き上がったらしい。

柵で囲まれた中に泥火山がいくつかあり、そのほかにも岩の間から白い蒸気が激しく噴き出しているのも迫力満点だった。

 

「鬼石坊主地獄」から歩いて5分、次の地獄は「かまど地獄」

ここには1~6丁目の見どころがあり、それぞれ様々な地獄が楽しめるようになっていた。

1丁目は茶色い温泉池、2丁目は蒸気が噴き出している岩山、3丁目は海地獄のようなコバルトブルーの池、4丁目は泥火山、5丁目の池は年に数回色がブルーやグリーンなどに変わると言われている不思議な池、6丁目は1・4丁目と同じ熱泥地獄など、全部の地獄を1ヶ所に集めたようなところだった。

 

入り口にあったモニュメントだが、こういったものはあまり好きじゃない。

 

[4丁目]

熱で粘土が溶けてこのような色になったらしい。
ここではタバコに火をつけて吹きかけると、蒸気が一気に増えるというパフォーマンスを見せていた。

 

[5丁目]

 

[6丁目]

 

地獄巡り②に続く

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪吊り

2021-02-18 07:00:00 | 植物

雪吊りのこと

雪吊りは日本三大庭園の兼六園、偕楽園、後楽園などで行われているので、知っている人は多いと思う。

実際には見たことがなくとも、冬が近づくと毎年、雪吊りのニュースが流れるので映像では見たことがあるかもしれない。

 

有名庭園ではないが近くの庭園でも松の木に雪吊りを行っていた。

そこで知ったこと。

雪吊りとは、冬に雪が付着して樹木の枝が折れないよう保護するもの。

雪吊りには基本的に3つの様式がある。

それは、北部式、南部式、兼六園式となっている。

 

 

[北部式]

帆柱の先端はワラを編み上げて作った「ワラボッチ」で飾る。

竹を傘の骨組みのように木の幹から放射状に取り付け、その外側を割竹で囲む。

その割竹に帆柱の先端から縄を下ろし結びつける。

 

 

[南部式]

先端は吊縄の上端を編んだ「馬簾(ばれん)」で飾る。

竹を傘の骨組みのように木の幹から放射状に取り付け、その外側をシュロ縄で囲む。

そのシュロ縄に帆柱の先端から縄を下ろし結びつける。

 

北部式と南部式の違いは下部に竹を回すか、シュロ縄を回すかの違いだけで、あとはほとんど同じ。

 

 

 

 

[兼六園式]

りんご吊りとも言われる。

先端は荒縄を巻き付け、飾り結び(いぼ結び)を先端と左右の3ヶ所に付ける。

帆柱の先端から下ろした縄は直接木の枝に結びつける。

北陸地方は雪が多いため、枝が折れることを防ぐ実用的な雪吊り。

 

北部式、南部式は雪がほとんどない地方で庭園の装飾目的として使われているらしい。

北部式と南部式の由来について調べたら、かつて東京都建設局に北部公園緑地事務所と南部公園緑地事務所があり、そこが兼六園方式を模倣して独自に派生させたものだとか。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾周遊⑤ 高雄から台北へ

2021-02-16 07:00:00 | 海外旅行

ツアー最終日だった。

朝から高雄観光に出かけた。

前日に行けなかった「蓮池潭」へ。

ここは名前の通り、蓮の花が咲く人造湖で、その周辺一帯が公園になっている。

清朝時代に孔子廟が建てられ、その時に廟に面した池に蓮の花が植えられたのが由来らしい。

ここで最も有名な観光スポットが、虎と龍が出入口になった2つの塔、「龍虎塔」だがこれはそんなに古いものではないらしい。

多分観光客が多いので、観光用に後になってから造ったのだと思う。

湖の中に7階建ての2つの塔を建て、その間に短い橋を架けて、両方の出入り口に虎と龍をそれぞれ配し、観光客がその中へ入れるようになっていた。

中国風味満載で、テーマパークのアトラクションのようにも見える。

決まり事は龍の方から入り、虎から出る。

こうすれば幸運に恵まれ、悪運を避けられるとか。

 

 

龍の入り口から入ったら胴体部分はきらびやかな陶磁器で描かれた絵が壁いっぱいに飾られていた。

そのまま塔に上って全体像や付近の風景を見ることもできたが時間の関係で上らず、そのまま虎の出口から出てしまった。

龍と虎の口まで行く間の橋はここも「九曲橋」だった。

ジグザグと9回折れ曲がっていて、聞くところによると、悪魔は真っ直ぐしか歩けないので、橋を曲げてあると。

 

橋の手前にはきらびやかな建物があった。

保生大帝を祀った道教寺院「慈済宮」で、祀られている神様が医者なので、ここでは健康や病気からの快復を祈願するらしい。

 

[慈済宮]

[露天]

慈済宮の前には果物などを売っているお店が並んでいた。

果物まで色が鮮やかだった。

 

朝からきらびやかでゴテゴテした中国を思いっきり見せられて、疲れてしまいそうだった。

でも、池の中の蓮の花を見てホッとした。

良い悪いは別として、やはり日本人と根本的に違うと思った。

 

 

蓮池潭で30分ほど遊んでから台南へ移動した。

台南では2ヶ所の観光が予定されていた。

 

1ヶ所目が「赤崁樓 (せきかんろう)」

赤崁楼は台南で最も古い史跡で、1600年ごろの台湾がオランダの統治下にあった時のもの。

重税などに不満を持った台湾人がオランダ人を襲ったのだが、鎮圧されてしまい、数千人もの台湾人が亡くなったらしい。

こういった事件があったので、オランダ人たちは二度と攻撃されないよう、身を守るために頑丈な城、「赤崁楼」を建てた。

その当時の建物は全壊してしまったが、清朝時代に残った城の基礎の上に新しい建物の「海神廟」と「文昌閣」を建てた。

現在はそれが「赤崁楼」となっている。

 

 

 

門を入るとすぐに見えてきた、台湾の英雄、鄭成功と家臣の像。

鄭成功はオランダ支配から台湾を解放に導いた民族的英雄。

 

 

石碑の台になっている亀に似ているのは、贔屭(ひき)と呼ばれる中国の伝説の生き物。

 

台南での見学2ヶ所目は「延平郡王祠」

民族の英雄、鄭成功を祀ってある祠で、日本統治時代は開山神社という名の神社だったらしい。

 

[延平郡王祠]

ここで鄭成功の母親が日本人だったと知った。

 


「鄭成功」のこと

中国人海商で平戸を根拠地として活動した鄭芝龍(ていしりゅう)を父に、平戸川内の田川マツを母に1624年7月14日平戸で生まれました。

幼名を福松、中国名を鄭森と言います。

鄭成功は、わずか7歳で単身海を渡り、21歳の時、明の隆武帝より明王朝の国姓「朱」を賜ったことから、人々は彼を「国姓爺」と呼びました。

後に清朝との戦いの中、父芝龍が清に投降しますが、鄭成功は「抗清復明」の旗印を揚げ不利な戦いを続ける中で、台湾に進攻し占拠中のオランダ人を追放しました。

その後、政府を設置し法律を定め、開拓を行い、民を養い大いに時運の挽回を図りますが、ついに病のために1662年39歳で亡くなりました。

長崎県平戸「鄭成功記念館」HPより

 


延平郡王祠の後は途中に1ヶ所だけ寄り、後は直行で台北へ向かった。

寄った場所が「嘉義北回帰線標誌」

台湾には、台湾海峡側にある嘉義市と太平洋側の花蓮県静浦を横断するように北回帰線(北緯23.5度)が横切っている。

それで北回帰線が通過している主な自治体はそれぞれが北回帰線標誌を建てている。

嘉義にある「嘉義北回帰線標誌」もそのうちの一つで、ここには歴代の北回帰線標誌が展示されていた。

地球の太陽に対する傾きは一定でなく、少しずつずれているために北回帰線を表す標柱がいくつか建てられたようで、6代目まであるらしい。

1~5代目までは日本統治時代に作られて、戦後作られたのは6代目だけだとか。

 


 

毎年夏至になると太陽が北回帰線上に直射するので、正午には影がなくなる現象も見られるらしい。

そして、この北回帰線を境に北側は亜熱帯、南側は熱帯の気候になるとのことだった。

 

これですべての観光地は見終わった。

あとはところどころで休憩をとりながら、台北に戻るだけだった。

 

今回のツアーのガイドさんは話し好きの人らしく、バスの中でも色々なことを話してくれた。

台湾人が尊敬している日本人技師の八田與一(はったよいち)のこと。

彼は台南市に烏山頭(うさんとう)ダムを建設したのでダム周辺は台湾最大の穀倉地帯になっていて、今では台湾の教科書に載るほどの人だとか。

台湾では○○のお店のパイナップルケーキが美味しいとか、飲茶なら○○店などがオススメだとか。

せっかくオススメしてくれたので、台北に戻ってからすぐにそのお店にパイナップルケーキを買いに行って食べてみた。

でも、やっぱり日本のケーキには勝てないと思った。

 

こうして台湾周遊の旅は終わった。

 

「台北で見かけた花」

歩いていて普通に見かけた花は、鮮やかな花が多かった。

 

[モクセンナ]

 

[オオベニゴウカン]

 

名前は分からないが、ノウゼンカズラに似ていて、葉が大きい。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾の旅④ 花蓮から高雄へ

2021-02-15 07:00:00 | 海外旅行

朝、「統帥大飯店」を出てから、海沿いを走り、最初に寄ったのが「八仙洞」

ここは旧石器時代の遺跡として観光名所になっている。

台湾最古の遺跡で、自然に形成された海蝕洞窟。

この辺りの海に面した岸壁には他にもたくさんの洞窟があるらしい。

 

 

 

行った当時はその中でも特に規模の大きい洞窟が、霊巌寺という寺院になっていて、中に入ると読経が流れ、観音様や仏像がたくさん並んでいた。

ところが現在は寺院が撤去されて、旧石器時代の遺跡の姿を取り戻しているらしい。

この場所は世界遺産登録を目指しているらしいから、手を加えずに、自然のまま登録したいのかも。

 

[クラリンドウ]

洞窟の入り口に咲いていた。

 

近くの観光案内所の前では観光客相手に「アミ族」の人たちが伝統の踊りなどを披露していたり、一緒に写真を撮ったりしていた。

「アミ族」は台湾東部地区に住んでいた原住民だとか。

 

 

 

八仙洞のから海沿いを走り、次の見学地の「三仙台」に着いた。

三仙台は元々は細長く伸びている岬だったのだが海水に侵食され続け、一部が島となって残った場所。

その島に行くためにアーチ型の橋を造り、その橋の姿が美しいとされている景勝地。

ちなみに三仙というのは、中国の伝説の仙人(呂洞賓、李鐵拐、何仙姑)の名前で、この三人の仙人が訪れたことのあるということで「三仙台」と名付けられたらしい。

ここでは島には渡らずに、橋のたもとからその景色を眺めただけだった。

 

 

 

橋の向こうはどうなっているのかと聞いてみたら、2時間ほどで周遊できる歩道があることはあるが、整備されているのは途中までで、島には希少な動物やサンゴなどがあり、自然保護区になっているとのことだった。

 

[三仙台で咲いていた花]

 

そのままずっと海沿いを臺東市まで走り、臺東から高雄までは電車に乗り換えた。

3時間ほどの鉄道の旅だった。

ガイドさんのあとに着いていくだけだったから、電車に乗るのも楽だった。

 

高雄に着いたらマイクロバスが待っていて、すぐに観光の定番となっている「寿山公園」へ。

この公園は広くて動物園などもあるが、行ったのは国民革命で命を落とした兵士たちを祀ってある忠烈祠。

中国の宮殿のような建物だった。

 

 

 

忠烈祠は高台にあるため、高雄市内が一望できたのだが、天気は良いのに何となく霞んでいるようだった。

 

[高雄港]

 

[高雄の街並み]

 

高雄では「清澄湖」へも行った。

清澄湖はもともとは工業用貯水池として造られたられた人造湖だったが、市民の憩いの場として開放した広大な湖。

中国杭州の西湖をモデルにしているため「台湾の西湖」と呼ばれている。

 

 

[九曲橋]

中国庭園によく見られる橋で、ジグザグと九回折れ曲がり、九という数字に魔除けの意味があるらしい。

 

高雄での1日目はこれで終わり、ホテルへ向かった時は夕方になっていた。

ホテルは「BEST HOTEL」、漢字では「大多飯店」と書く。

漢字に直すと面白い。

翌日は午前中だけ高雄を観光してから台南へ移動する予定。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする