2日目はケープタウンから70km南のケープ半島の突端にある喜望峰へ向かった。
テーブルマウンテンを背にして、大西洋沿いの湾岸線をずっと走った。
この道は世界でも有数の絶景のドライブコースだとか。
[豪邸が建ち並ぶ地域]
[海沿いの道路]
岩の上にはオットセイも見られた。
子どもの頃、喜望峰はポルトガル人のバスコ・ダ・ガマが発見したと教えられたが、実際には同じポルトガル人のバルトロメウ・ディアスがバスコ・ダ・ガマよりも10年ほど先に到達していて、ガマはヨーロッパからアフリカ南岸を経てインド航路を開拓したということだった。
この辺りのことはまだ確証がなくいろいろな説がある。
ディアスは発見しただけで上陸していないとか、もっと昔、紀元前にフェニキア人が探検したという文献があるとか。
また、地図を見れば分かるように、アフリカ大陸の最南端は喜望峰ではなく、アガラス岬(Cape Agulhas)で、喜望峰は最南西端となっている。
喜望峰に行く手前は、フィンボス (Fynbos) という帯状に分布する自然の灌木植生地域になっていて、その中を車で走ると、ものすごく広大なことが分かった。
もともとフィンボスとは細い灌木の意味で、ここではそれらが100kmから200kmくらいの幅で群生している。
一面緑に見えるが良く見るとピンクや黄色い花が咲いていた。
ピンクはエリカのようだった。
エリカも南アフリカの花で、植物園にはたくさんの種類があった。
群生の中には9,000種の植物があり、固有種は5,000種もあるらしい。
もちろん自然保護区になっている。
ガイドさんは目が良く、その中にいる野生動物を見つけてくれた。
茂みの中に動物がいたり、道路にはバブーン(ヒヒ)が現われたりした。
フィンボスの中をずっと走り、着いたところが喜望峰の入り口。
この時は喜望峰という看板を通り過ぎて約2kmほと離れた先にあるケープポイントに行った。
ここには今では使用されていない、かつての灯台が展望台として残されていた。
この灯台のある高台はから喜望峰を見下ろす最高のビューポイントなのだとか。
実際にポスターなどの写真はここから撮ったものが多く使われていた。
手前まではケーブルカーがあったが、ここからは階段を登った。
階段を上がり、灯台までたどり着いたところは喜望峰がよく見える展望台になっていた。
中央の岬が喜望峰。
何だか意外だった。
もっとスケールの大きいものを想像していたから。
また来た道を少し戻って喜望峰の真下に向かって行った。
そこには何もなくシンプルな看板と碑があっただけ。
[喜望峰]
何もない断崖だけだった。
[看板の前で写真撮影]
とにかく風が強かった。
アフリカ最南端の喜望峰とバスコ・ダ・ガマはいつもセットになっているようだけど、その陰には本当の最南端のアグラス岬と、バスコ・ダ・ガマより先に喜望峰を発見したバルトロメウ・ディアスがいる。
その存在はどうして日の目を見ないのだろうか? その違いは何だろうか?
などとくだらないことを考えてしまった。
期待していただけに、少しガッカリした喜望峰を後にして次はペンギンコロニーを見に行った。
喜望峰とペンギンコロニーはケープタウンでのオプショナルツアーで人気があるらしく、現地ツアーも多く組まれているようだった。
喜望峰からケープ半島を回った東側、フォールス湾に面した古い街、サイモンズ・タウンにあるボルダーズビーチは世界で唯一、目の前でケープペンギンを見ることができる場所。
駐車場から出店が並んでいる通路を歩き、入場門から木道を歩いていたら2,3匹のペンギンが見えたので、夢中でシャッターを切った。
何てことはない、その先には数え切れないほどのペンギンがいた。
胸のラインが1本で細く、同時に顔の白い部分が多いのがケープペンギンの特徴だと説明があった。
動物好きの人にはたまらない場所だろうなって思った。
ここに入る前に数軒の土産物屋が並んでいた。
南アフリカはルイボスティーが名産らしく、たくさん売っていた。
ノンカフェインのルイボスティーは、南アフリカでしか採れないお茶なのだってこと、知らなかった。
そういえば車で走っているときに広い茶畑のようなものが見えた。
あれがルイボスティーの茶畑だったのだと、それにレストランでの飲み物に必ずルイボスティーがあったなどと、後になって分かった。
ガイドさんがあまりにも自慢するので、ガイドさんの顔を立ててお土産に買って来た。
ペンギンを見た後はケープタウンに戻り、ウォーターフロントに行った。
ウォーターフロントはケープタウンの巨大ショッピングモール。
ショッピングモールでも一つの街のようになっていて、広大な敷地の中にはホテル、レジャー施設、水族館、美術館なども併設していた。
ここは治安が良いらしく、自由に歩いても良かった。
ほとんど日本のショッピングモールと変わらなく賑わっていて、普通にレストランにも入ることができた。
でも、ここを利用するのはどのような人なのかと思ってしまった。
何となく貧富の差を感じていたから。
[ショッピングモールのエントランス]
[エントランス前のモニュメント]
これで2日目の予定はすべて終了した。
ホテルに戻る途中でカラフルな住宅が並んだ地区が車窓から見えた。
ここは高台にある「ボカープ地区」。
かつて東南アジアやインド、アフリカなどから労働者として連れてこられた人の子孫たちが暮らしている、複雑な歴史を抱えている地区で、今ではマレー文化の中心地となっている。
そしてほとんどの住民がイスラム教徒なので、パステルグリーンに塗られたモスクもある、とガイドさんから説明があった。
もともと白塗りの家だったが、奴隷解放時に住民たちが「自由の象徴」としてカラフルに塗ったらしく、色によって住んでいる人の職業が分かるらしい。
2019年9月、イギリスのヘンリー王子とメーガン妃がここを訪問したことがニュースになっていたことを思い出した。
[南アフリカらしく塗装された家]
ホテルからもほど近いこの場所を見に行きたかったが、外出は絶対に禁止だったので残念だった。