昨日はケーブルカーの故障で急な坂道を歩いたが、2日目にもなると街の様子が分かってきたのでバスで移動することにした。
ホテルからケーブルカーの乗り場を過ぎて坂を下って行くと広いバスターミナルのような場所があった。
ここからいろいろな方面にバスとトラムが出ていた。
早速街の南、ベレン地区を目指した。
ベレン地区にはベレンの塔、ジェロニモス修道院、発見のモニュメントなどがある。
ここで失敗してしまったのは、満員でぎゅうぎゅう詰めのトラムに乗った時に、バッグは前に抱きかかえていた。
それなのに財布を盗まれてしまったこと。
自分でも気づかない内に、バッグの端の方のファスナーが開けられていて、カード1枚だけが入った財布を盗られてしまった。
カード会社に連絡して、カードはすぐ止めたので実害はなかったのだけど、気をつけていたつもりだったからショックだった。
気を取り直して最初は「ジェロニモス修道院」に向かった。
トラムから降りて少し歩くと目の前にド迫力の建物が見えてきた。
ジェロニモス修道院だった。
大航海時代に約100年をかけて建設された壮大なマヌエル様式の建物で、ゴシックにも影響を受けていた。
とても修道院とは思えないほどの大きさだった。
ものすごく混んでいて、入口には長い列ができていた。
ツアーの人たちはどんどん入っていくのに個人で来ている人はずっと並んで待っていた。
入り口から入ってすぐにあった教会にはバスコ・ダ・ガマと詩人カモンイスの棺があった。
中庭に回ると回廊の柱や壁のそれぞれに装飾がされていて見応えがあった。
[ジェロニモス修道院]
[修道院内部]
[回廊]
[バスコ・ダ・ガマの棺]
ジェロニモス修道院からテージョ川の方に向かって、プラサ・ド・インペリオ広場と庭園の間を行くと「発見のモニュメント」があった。
このモニュメントはエンリケ航海王子の没後500年を記念して建てられたもので、高さ52mもある大きなもの。
エンリケ航海王子を先頭に、ポルトガルの偉人たちが並んでいる。
先頭がエンリケ王子、3番目がバスコ・ダ・ガマ。
このモニュメントは両側の人物が違っていて、全部で33人の像がある。
反対側は別の人になっていた。
モニュメントの前の広場にはモザイクがあり、中央には南アフリカ共和国から贈られた世界地図が描かれていた。
世界地図の日本の部分、数字は日本を発見した年。
このように地図にはポルトガルが各国を発見した年号があった。
更にテージョ川沿いを進むと塔が見えてきた。
これが「ベレンの塔」で、港に出入りする船を監視し、河口を守る要塞の役割で造られた塔で、「テージョ川の貴婦人」という別名がついている。
[ベレンの塔]
後ろは海ではなく、テージョ川の河口。
最初に見た「ジェロニモス修道院」と「ベレンの塔」は「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」として、1983年に世界遺産(文化遺産)に登録されている。
ポルトガル名物と言えばエッグタルト、ポルトガル語では「パステル・デ・ナタ」。
ベレン地区にナタ発祥のお店があった。
「パスティス・デ・ベレン」、ジェロニモス修道院から歩いてすぐのところにあったので、寄ってみた。
イートインしようとしたが混んでいたので、テイクアウトして修道院の前の大きな庭園のベンチで食べた。
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ホテルへ帰る途中の公園で男性が変わった楽器を演奏していた。
円盤状のものを叩いたりなぞったりして、きれいな音を出していた。
話しかけてみたら「ハンドパン」というものだと。
これでポルトガルの旅も終わったのだが、ポルトガルは以前から何となく親近感があった。
地理的にも遠い国だし、ラテン系だし、何に引かれるのか分からない、でも会う人すべてが親切だったし、とにかく来て良かったと思える国だった。