映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

ばかもの  成宮寛貴

2012-05-04 23:39:10 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「ばかもの」は成宮寛貴主演の青春偶像劇である。

三流大学の普通の学生が女性遍歴を重ねながら成長していく10年を描く青春恋愛ドラマだ。アルコール中毒も途中一つのポイントになるが、この程度のアル中であればいくらでもいるといった感じだ。こんな青春を送っていれば普通であれば後になっていい人生歩んできたなあって思えるような話である。


群馬県高崎が舞台である。三流大学の大学生である主人公(成宮寛貴)は勉強も恋愛も中途半端な男だ。父母(浅田美代子)と姉と生家で暮らしている。大学では親しく席を並べている女子学生(中村ゆり)がいるが彼女ではない。
そんな主人公が父親の忘れものをとりに、飲み屋に行く。そこには美人おかみ(古手川祐子)が待っていた。忘れ物をもらった後、店で若い女性額子(内田有紀)に声をかけられた。一緒に飲まないかといわれる。彼女は美人おかみの娘であった。屈託のない額子に言われるまま酒が進んでいた。気がつくと額子の部屋へ。その後も急接近して2人は付き合うようになる。若い主人公は精力が有り余っていて、会うたびごと額子を求める。額子もそれを受け入れる。一緒の身体になったかのようにお互いくっついている日が続いていた。


ところが、それが少しづつ疎遠になる。どうしたことか?と主人公は思っていた。
そんなある日額子から公園に主人公が誘われた。大きな木のところで、額子が縄で彼の体ごと縛った。そしてズボンを下ろし、口で彼のものを吸い始めた。そんなときに突然額子が言う。「私結婚するの」縄で縛ったまま彼女はそこを立ち去る。主人公は途方に暮れる。

しばらくは落胆した月日が流れた。
席を並べた女子学生もデイトレーダーで金をもうけて東京へ行ってしまう。なんとか大学を卒業して、地元の家電量販店で働くようになった。
大学時代の親友の結婚式で、妻側の招待客である理科の女教師(白石美帆)と知り合った。彼女と妙に気が合い、彼女の家に転がり込むようになる。このころから彼の酒は進むようになる。飲んで荒れてという日々が続く。しかし、彼女は清純でやさしい女性であった。アル中の彼を受けとめようとするが、エスカレートぶりは常識の範囲を超えていったが。。。。

観音様にだるまといえば、高崎が舞台だと一発でわかる。地元商店に協力してもらっているのか、街の様子もずいぶんと映している。群馬から日光に向かう所にある吹割の滝が映ったのは懐かしい。栃木に住んでいたころ滝めぐりが好きで、日光のヤマを越えて見に行ったことがある。主人公の勤務先が家電量販店の設定、ヤマダ電機にロケさせてもらっているようだ。群馬といえば今や全国区となったヤマダ電機の本拠地だ。そんな典型的地方都市のたたずまいを映しながら、物語は流れていく。

まわりに浴びるほど酒を飲む奴はたくさんいるけど、アルコール中毒の治療を受けた経験のある奴っていない。実際問題この程度であればという気もするが、女性から見た男性の酒好きの感覚が違うのかもしれない。
たまたま年上の魅力ある女性と付き合ってしまって、まるで猿のように狂って愛欲に走るという気分は悪くない。村上春樹の小説なんかによく出てくる話だが、これってそんなに引きずるのかなあ?彼の小説だと若い時のいい思い出ということで全く引きずらない。こんなことで酒びたりになるという構図はおかしい。どうしても原作者の女性目線に偏見があるのではないかと感じる。男性心理をよくわかっていないのでは?

むしろこちらから見ると、この主人公モテまくりでいい思いしたじゃねえか!と言いたいくらいだ。
しかも内田有紀がもう一度現れる構図も変だ。

主演の成宮寛貴君は男から見ても好男子だと思う。黙っていてもこのキャラならもてるだろう。演技がどうのこうのというより、素地でこの映画取り組んでいる感じがして好感が持てる。
脇役がバラエティに富む。
内田有紀の誘惑キャラがかっこいい。ただもう一度出てきたあとはなんか変だ。(もっとも彼女には何の罪はないけど)


中村ゆり が可愛い。パッチギの続編で準主役張ったが、あれは映画の内容にむちゃくちゃむかついたので、個人的冷静さを失った。今回同一人物に見えなかった。新興宗教に狂うという設定がぴったりだ。美女が多い映画だが、いちばんいい女だ。

浅田美代子はデビュー当時からよく知っている。自分よりまあまあ年上だが、今でも若いしかわいい。麻丘めぐみや天地真理の醜さをみれば格が違う。デビュー曲「赤い風船」はまわりの悪ガキどもとよく一緒にギター弾いて歌ったものだ。典型的女学館ガールで、中小企業の社長の娘という雰囲気がいつまでも消えない。

古手川祐子も飲み屋のママ役が板につく。もう主役張るなんてことはなさそうだ。こんな美人なかなか町の一杯飲み屋にはいないけどなあ。

普通かな

ばかもの
年上女との恋にはまる
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ル・アーブルの靴みがき  アキ・カウリスマキ

2012-05-03 20:39:45 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ル・アーブルの靴みがき」を映画館で見てきました。
ブログ映画評いよいよ700到達という節目にいい映画が見れた。

フィンランドが生んだ世界的名匠アキ・カウリスマキ監督の新作で、評論家筋の評判もよくロードショーに向かった。しかし、東京周辺では渋谷しかやっていない。映画館に着き、エレベーターから降りると人の多さにびっくりだ。ミニシアターらしからぬ混雑ぶりで、どこがチケット売り場かわからないくらいだ。ここ最近こんなに前方の座席まで観客で埋まっているのは見たことがない。驚いた。いかにも評判の高さを語っているようだ。「過去のない男」「街のあかり」などアキ・カウリスマキ監督の作品は独自の個性が強い。殺風景な色づくりの画像だ。そこで到底美男美女といえない男女が、日本でいえば昭和40年代にタイムスリップしたようなレトロな国フィンランドを舞台に人間模様を繰り広げる構図だ。



今回は映画を見始めてしばらくしてフランス語が語られる中、フランスが舞台だということに気づく。原題でもある「ル・アーブル」はフランス西部の大西洋に面した町である。60年代のシトロエンやプジョーが街を走り、フランスらしいアコーディオン音楽も流れるが、いつものように朴訥とした雰囲気で映画が展開される。青緑がベースカラーの色彩設計は相変わらず地味だが、イエローやレッドのポイントカラーを効果的に使う。一つの希望を示しているようだ。
移民問題が基調にあり、その中に他に類のないやさしさが流れている。映画を見た後のすがすがしい爽快感はこれまでのアキカウリスマキ監督にはなかったものだ。見てよかった。

フランス西部ノルマンディ地方のル・アーブルという港町が舞台だ。
主人公マルクス(アンドレ・ウィルム)は靴磨きを職としている。映画はやくざ風の男がマルクスに靴磨きを頼む場面からスタートする。周りにその男を狙う男たちが現れ、靴が磨き終わるといきなり撃たれるシーンだ。
主人公は元々パリにいたが、今は妻(カティ・オウティネン)と下町で二人のんびり暮らしている。食事の前にカフェでアペリティフを飲むのだけが趣味の男であった。

場面は波止場に移る。警察が不法入国を取り締まる場面だ。コンテナの中に潜んで不法移送されたアフリカからの黒人移民たちが見つかった。連行しようとしたところ、一人の黒人の少年が逃げて行った。彼に向って銃を向ける警官もいたが、上司の警視がそれをとどめた。町では新聞沙汰になる騒ぎとなった。
マルクスが波止場で一人食事をしようとしていたところ、海の中で一人の黒人少年がこちらを見ていた。ものほしそうだったので、食事をあげた。「ロンドンは泳いですぐか?」と少年に聞かれたが、それは無理だと主人公は返した。ふと周りを見ると警官がいた。警視から「黒人の少年がいなかったか?」と聞かれ、少年の存在は黙っていた。そして脱走した不法入国者の存在を知った。


ある夜、黒人少年の面倒を見て帰りが遅くなった主人公を妻が迎えたが、妻は具合が悪そうだった。あわてて病院に運ぶ。主治医に妻は声をかけ「自分の病状は夫には話さないように」とくぎを刺した。妻は自分の病状が悪化していることを知っていて旦那に心配をかけたくなかったのだ。妻は入院した。

妻の入院の後、少年を家に連れてくるようになった。よく話をしてみると、少年はフランス語も話せて、普通の素直な子だった。ロンドンに住む母親に会いたいという。主人公はなんとか望みをかなえてあげたいと思うようになった。しかし、脱走した少年を探している警察の捜査が主人公の周辺に近づいているのであったが。。。



これまでの作品は地味な出演者がでて、みんな無口であった。極度に無駄が省かれる。
今回は若干違う。下町のパン屋や乾物屋、カフェバーの女ママなどに人情のようなものが感じられる。途中までは貧乏暮らしを続けている主人公は、ツケがたまっているのでパン屋や乾物屋の店主たちに嫌がられていたが、奥さんが入院したり、少年をかくまっている主人公を見て態度を変える。カフェのママと旧知の警視も人情味がありいい感じだ。日本映画の人情物に通じるところがある。
途中でロックアーチストを登場させる。オヤジバンドがロックを歌いまくるシーンは前にもあった。ここで稼いで密航の費用を稼ごうとするのである。主人公の切符切りも堂に入っている。


そうしてラストに向かう。ラストに向かう際も、いくつかの関門をつくる。密告者が出てくる。かなりしつこい嫌な奴だ。そこに映画「カサブランカ」を思わせる場面があったりする。そしてもう一つの山をつくる。予想外であった。今までにないうまさだ。前作「街のあかり」では主人公を谷底に落としたアキ・カウリスマキが世の中に希望を与えるような展開に持っていった。後味が良かった。


映画を見終わってなんかすっきりした。
暗闇から待合室にでたら、次の回の上映を待っている大勢の人がいた。映画館を出ると、円山町のホテル街だ。若い頃はお世話になった。この映画館の前に父と子供のころからきていたロシア料理「サモワール」が数年前まであった。ツタのからまる建物が懐かしい。ストロガノフがうまかった。なくなったのは悲しい。東急本店に向かって坂を下りながら、たぶんこういう映画好きだったろうなあと父のことを思った。
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座頭市地獄旅  勝新太郎

2012-05-03 06:53:32 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「座頭市地獄旅」は昭和40年の座頭市シリーズ12作目である。

12作目となると、当初本当のやくざみたいで殺気じみていた勝新太郎の表情に柔らかさが見える。この映画でキーとなるのが「将棋」だ。盲目の市が将棋をするということ自体、ありえるのかいといった感じだが、「3四歩」とか盤の記号を言い続けて指してしまう。さすが「天才」市だ。

ゲストは成田三樹夫である。将棋好きの浪人を演じる。当時30歳でまだ俳優としての格は高くはない。しかし、「仁義なき戦い」やテレビの「探偵物語」で見せた独特のにがみ味は片りんを見せている。


下総館山が映し出される。ある時5人の剣使いに襲われた座頭市(勝新太郎)が華麗な剣を見せ、5人を返り打ちにするシーンからスタートする。市は船に乗り江の島を目指す。船に乗る前に足を滑らせて、危うく海に転落するのを一人の浪人(成田三樹夫)が助けた。船で市はいかさまじみたさいころ賭博で金をさらっていた。やられた連中が恨んで、市を手篭めにしようとして返り打ちを食らっていた。そんなところを横で一瞥しながら、浪人は将棋をしていた。市もメクラながら将棋に付き合っていた。

江の島に行ったあともやられた連中は市を追いかけていた。市の宿を襲うがまた返り打ちにあう。その時市の剣に2階の窓から表に放り出されてしまった男が外を歩いていた母子の子供の足にぶつかってしまう。子供(藤山直子)が倒れているのを感じた市は2人を助ける。2人は市たちと一緒の船に乗っていた。子供は高熱を出す。地元の医者に診てもらったら「破傷風」だという。これを直すには南蛮渡来の薬が必要になる。しかも薬の値段は高い。途方に暮れる母であったが、なんとかそれを市が用立てようとする。
市は鉄火場でさいころバクチで稼ごうとする。また得意のいかさまをしようとしたら失敗。こんなこと今までなかったのにとグチっているところに浪人ナリミキがいいアイディアがあるとタネ銭の稼ぎ方を教えるが。。。。

座頭市の第1作はのちに10chで渋い味を出していた天地茂との対決であった。旅に出た市が剣の腕が立つ浪人と知り合う。おたがい釣りが好きということで意気投合するが、相手は自分と相対する一味に雇われていて、やがて二人は対決することに。。。。なんてストーリーは時代劇ではよくある話だ。
この作品もその流れを外さない。今回は将棋で友情を深めるたあと、一つの因縁で対決することになる。
これだけワンパターンのストーリーでも、みんな見てしまうところが時代劇の吸引力なのであろう。

それにしても市のいかさまバクチも腹を立てられてもおかしくない。市がさいころの壺を振る。床を叩くとさいころが2つ飛び出している。2つの目がわかっているので、まわりはひっそりと大笑い。メクラの市もバカをしたなとばかりに当然その目に賭ける。ところが、壺を開けようとすると、市が「あれ、間違ってさいころが袖から飛び出してしまったよ」とばかり、袖に戻して壺の中の2つのさいころを出す。それが飛び出した2つの目の反対となり市が総取りという構図だ。いくらなんでもこれこそいかさまだ。これで腹を立てない方がおかしい。やられた連中が市に復讐しようとするのも無理はない。でもこんなインチキで脚本をつくってしまうんだから、当時の映画量産体制がよくわかる。

勝新とナリミキがメインだが、渋い俳優が脇役で出ている。その一人が藤岡琢也だ。
完全な脇役である。さいころ賭博をやって、市に金をさらわれるみじめな役だ。その後仕返しをしようとしてもことごとく返り討ちにあう構図だ。彼が人気出たのはもう少し後だったと思う。後年は「渡る世間は鬼ばかり」など死ぬまでやった人気俳優になったが、まだまだ大部屋を一歩出たくらいだった。
山本学が親の仇を果たそうとする侍を演じる。山本3兄弟というと、昭和40年代から50年代にかけてはドラマには欠かせない男たちだった。今でも健在だ。叔父さんが山本薩夫監督だけにどちらかというと「アカ」系インテリの色彩が強く、医者役もうまいが反体制映画によく出ている印象が強い。
娘役のクレジットが藤山直子となっている。DVDなのでもう一度見返してみたが、たぶん藤山寛美の娘の藤山直美の幼い頃であろう。顔に若干面影がある。

座頭市としては普通、温泉場のセットなど美術がうまく、闇夜の撮影に強い大映らしい映画だ。

(参考作品)
座頭市地獄旅
盲目の市が将棋を指す


座頭市物語
記念すべき第1作、天地茂が強い
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ウェイトレス ケリーラッセル

2012-05-02 20:48:29 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
映画「ウェイトレス」は2007年制作のパイづくりの達人のウェイトレス物語だ。



食欲を増進させる映画ってあると思う。この映画はまさにそれ!
いきなり映像に映るカラフルな色をしたパイは食べるのがもったいないくらいきれいで、目を楽しませる。
傲慢な亭主との間に間違って妊娠してしまった彼女が産科医と恋をしたり、店の店員や店の常連とかわす厚情を描いたほのぼのコメディだ。


アメリカの地方都市のダイナーでウェイトレスとして働く主人公(ケリーラッセル)はパイ作りの名人だ。小うるさい店主のいる小さなダイナーで働きながら将来店を開こうとお金をシコシコ貯めている。店には他に2人のウェイトレスがいた。ある日自分の体調の変調に気付いた主人公はサニタリールームで2人のウェイトレスとともに妊娠検査薬を試した。どうも陽性らしい。
しかし、亭主は傲慢な男、自分のわがままが通らないと暴力的になるダメ男だ。困ったなあと思いながら、それでも生む決意をした。診断をしてもらおうと自分を産んでもらった女性産科医のところへパイをお土産につくって行く。ところが、その産科医はすでにそこに居ず、出てきたのは若い男性産科医だった。その産科医は彼女に関心を持ったようだった。
その後、軽い出血をして産科医に電話をすると、朝7時に来てくださいと言われて主人公は訪ねて行った。しかし、何も診てくれない。大丈夫だというだけで何も処置しない。まして何かを話そうとおじおじする産科医だ。腹立てて帰ろうとするが、バッグを忘れたことに気づき戻ろうとしたら彼が来る。主人公は思わず彼に対して吸いつく様な強烈なキスをしてしまうのであるが。。。。


基調はダメ亭主との妊娠が発覚しながらも、産科医と不倫をする妻の話である。それはあくまで基調であって、さまざまな個性ある登場人物を活躍させる。

まずは今回の脚本兼監督兼出演をこなすメガネのウェイトレス(エイドリアン・シェリー)の恋愛話をサブに添える。もともともてない系の彼女がブラインドデートに間違ってきてしまった男に惚れられてしまってオロオロする。まさにもてない系の典型のような男がしつこく付きまとう。
あとはいつも怒ってばかりいるダイナーの店主、うんちくばっかりうるさいダイナーの常連のおじいさん、妻子持ちなのになんかおじおじしている医師、彼女の妊娠がわかっても自分のことを優先して愛せよと子供のようにごねたり、日夜彼女に夜のお勤めを強引に求める傲慢な亭主などなど。。。
それぞれのセリフに個性をのぞかせる。脚本作りがうまい。

ラストに向かってのどんでん返しも絶妙な味わいだ。

この企画を通したメガネの女性脚本家兼監督エイドリアン・シェリーの才能には恐れ入る。単なるラブコメに終わらせない才覚を感じる。映像の色彩設計や編集もうまい。しかし、残念ながら若くして彼女はこの世にいない。殺人事件にあってしまったというのだ。本当にもったいないというのはこのことだ。
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わが母の記  樹木希林

2012-05-01 21:15:35 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「わが母の記」を映画館で見た。
実にすばらしい!
井上靖の原作の映画化で、彼の私小説的要素も強い。井上靖の現代小説は学生時代から好きで、噂を聞きこの映画見てみたいと思っていた。見に行ってよかった。主人公の小説家の目を通して、子供のころ離れ離れになったこともある故郷の母が徐々にボケていく姿を描いている。

客席には自分よりも年上の男女がほとんどだった。初老の域に入った男たちが、ハンカチで涙を何度もふいているのが至る所で見えた。意外にもその横の奥さんたちがそうでもない。この映画は男の哀愁を誘う映画なのかもしれない。自分もハンカチで何度も目をぬぐった。映画館を出る時も涙目なのは気恥ずかしい。

「三丁目の夕日」でも同じような光景が見られたが、映画の出来は格段にこの映画の方が上だ。いやもしかして来春映画の賞を総なめするかもしれない。そのレベルである。
樹木希林の演技には驚いた。彼女は本当にすごい!!



最初は昭和34年ころを映し出す。小説家伊上洪作(役所広司)は人気作家だ。43歳で文檀に登場してから着々とその地位を築いていった。故郷伊豆に父母が暮らしていたが、父が亡くなったという知らせが入る。母(樹木希林)が残されて、伊上の妹夫婦と暮らすことになった。
実の母ではあるが、戦時中洪作は曽祖父のお妾さんに8年間育てられたことがあった。息子は捨てられたという気持ちが残っていて、わだかまりがあった。しかし今、すでにボケてきた母親に恨みはなかった。
主人公には妻と3人の娘がいた。妻はいかにも明治の女という夫に尽くす女性で対照的に主人公は頑固だ。しかも、過保護なくらい娘たちに干渉する。この映画では子供たちとの葛藤も語られる。。。。

ストーリーは単純である。いくつものエピソードを重ねていくが、一つの家庭をめぐって起きる小さな事件の積み重ねである。意外性のある話ではない。青島幸男が演じた「いじわるばあさん」との境目が少ないばあさんかもしれない。


「三丁目の夕日」では時代考証が自分が見てもちょっと違うんじゃないのというところがいくつも散見された。この映画に関しては完ぺきだ。昭和30年代から40年代を描く映画には隙が多い。その時代には到底ないような建物があったりすると興ざめさせられる。

井上靖さんの自宅や実家をロケに使っていること自体がこの映画が成功した一番大きな要因だと思う。いかにも昭和30年代の典型的なお金持ちの家だ。設計士が設計したというのがよくわかる独特の空間の使い方だ。室内の装飾の木の使い方がうまく、外部に面してオープンの木の建具が使われる。座卓の書斎が小説家のたたずまいらしく、食堂もハッチがあったりして最近の流行とは違う。和のテイストをとりいれた洋風の家だ。昭和の上流家庭の姿をリアルタイムに映し出しているような錯覚を感じる。
井上靖の代表作「氷壁」の中に出てくる富豪のご婦人が住んでいた家もまさにこの家のイメージだった。


それに加えて今回は伊豆の名門川奈ホテルをロケに使う。スパニッシュ風ホテルだ。これって今まで映画で使われたのは見たことがない。バーのウッディなインテリアが素晴らしい。東京にもこういうホテルのバーがいくつかあったが、赤坂キャピタル東急の李白バーがなくなってから、特筆すべきものはなくなった。
伊豆の海を望む超名門の川奈ゴルフコースが映し出されるのもなかなかいい。
伊豆の名所というべき山奥の川沿いの遊歩道や富士を見渡す海辺など数々の素晴らしい風景が映し出されて気分がよくなった。

いずれも昭和45年以前に記憶のある人たちにはたまらない映像がつづく。
これって一部のお嬢様方を除けば、男性の方がその哀愁を感じるのではなかろうか。
昔のおばあちゃんの姿をうまく表現する。普段から和装で髪の毛を後ろで丸く束ねる。うちのおばあちゃんもこうだった。自分もおばあちゃん子だった。映像の中では和装のご婦人が多い。家族の寝間着も浴衣のような和装だ。自分が小さいころの写真を見てみると、親戚が集まる会合には和装のご婦人が多かった。和装から洋装への境目って昭和45年くらいなのかもしれない。



この映画の素晴らしさは何をさておいても樹木希林の素晴らしい演技だろう。普段のキャラがボケキャラで、認知症の役に不自然さがまったくない。何度も何度もボケたまま息子役の役所広司にからむ。役所もそれに答える。自分の息子なのかもよくわからないような言葉も発する。でも完全にすべての記憶を失ったわけではない。ときおり正気に戻ったような話をする。劇場の中は樹木希林の動きに笑いが絶えなかったが、涙を誘うような場面も出てくる。よくもまあここまでできるのかという演技である。実に見事だ。
30代前半に「寺内貫太郎一家」で彼女はおばあさん役を演じた。もちろんこれはこれで悪くないのであるが、年を経た今彼女の芸は円熟の域に達しているといっていいだろう。人間国宝としてもおかしくないボケ役だと思う。

おそらくは横で涙していた老紳士たちも同じようなこと思っていたのかもしれない。
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