映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「そして父になる」 福山雅治

2013-10-03 05:47:04 | 映画(日本 2013年以降主演男性)
是枝裕和映画「そして父になる」を劇場で見た。

イーストウッド作品で「チェンジリング」という作品があったが、意味合いはまったく違う。
生まれてすぐに病院の間違いで、別の子供を自分の子供として育てることになってしまった。それが6歳になって発覚してしまう話だ。違う生き方をしている2つの家族でそれぞれ育てられてきた子供と一緒に暮らせるものなのか?逆に今まで一緒だった子供と別れられるのであろうか?映画を見ながらずっと考えていた。
グレングールドが弾くバッハのピアノソナタが淡々とながれるなか、静かにストーリーは進んでいく。

学歴、仕事、家庭といった自分の望むものを自分の手で掴み取ってきたエリート会社員・良多(福山雅治)。自分は成功者だと思っていた彼のもとに、病院から連絡が入る。それは、良多とみどり(尾野真千子)との間の子が取り違えられていたというものだった。6年間愛情を注いできた息子が他人の子だったと知り、愕然とする良多とみどり。

取り違えられた先の雄大(リリー・フランキー)とゆかり(真木よう子)ら一家と会うようになる。血のつながりか、愛情をかけ一緒に過ごしてきた時間か。良多らの心は揺らぐ……。(kine note引用)

福山の妻が前橋の実家に帰って出産したときに起きた出来事だ。東京で心細いからだという。別におかしな話ではない。
ストーリーは発覚してから、病院の仲裁で両方の家族が一堂に会うようになる。両方の接触自体は少しづつ進んでいく。最初は子供を片方の家族の家に一泊させる。それが続いた後、一気に同居となっていく。そのあといくつかの事件が起きる。そのいくつかには、胸にジーンとする場面もあった。


悪くないと思うが、設定に難ありという気がする。ネタばれでもあるが、いくつかあげる。
1.福山は建設会社のエリート社員という設定だ。
東京の高層マンションに住んでというのは不自然ではない。今回福山が両方の子供を2人とも引き取ろうという話になる。子供を引き取るために金銭が介在しても、それなりの蓄えもあるから大丈夫というが、実際そんなにリッチなのであろうか?現実的ではない。福山の父親夫婦は三ノ輪の小さなアパートで暮らす。暮らし向きはいいようには見えない。とすると、親からの援助が期待できない。この映画に出る高層マンションに住もうとしたら、かなりの住宅ローンを抱える必要があると思う。それに加えて、子供を私立小学校に入れたうえで、余分な蓄えなんてあるだろうか?サラリーマンではありえない気がする。

2.リーフランキー夫妻は前橋に居住している設定だ。
福山の妻が前橋の生まれで実家がある。すぐさま両方の家族が行き来するようになるが、こんなに簡単に往復することができるであろうか?けっして遠くはないが、まるですぐ近くに両方の家族がいるような感じで表現されている。ましてや、福山の家から子供が家出する。電車にのって前橋まで帰るのだ。小学校一年生ではこれってかなり難しいと思う。東京から新幹線にのらないと群馬まで時間がすごくかかる。高崎線にのってなんて構図は難しいだろう。自力で移動したことが一度でもあれば、話は別だが、父である福山は東京前橋間を車で移動する。違うかな?といった感じだ。子供の時に福山が家出したことあるという設定だ。その遺伝子を持っているということを強調したかったのはわかる。でも少し無理がある。

他にも、ピアノの発表会のパフォーマンスや病院の看護婦の話、宇都宮に異動になったとにもかかわらず東京のマンションに住むことなど違うかな?という部分がたくさんあった。
映画としてみる分には悪くないけど、脚本設定はもう少しもんだ方がいいのではないか?

グレングールドが弾く「ゴールドベルク変奏曲」は効果的に使われていたと思う。最初日本人のだれかが、弾いているのかとも思ったが、しばらくして演奏者の唸るような声が遠く聴こえる。それでグレングールドの演奏だとわかる。あのスローな鍵盤タッチがなんとも言えず美しい。映画にはあっている。

そして父になる
是枝監督とのコンビ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画「愛のあしあと」 カト... | トップ | 映画「八甲田山」 高倉健&... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画(日本 2013年以降主演男性)」カテゴリの最新記事