映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

中島敦  山月記①

2009-05-01 06:23:23 | 
ここのところ映画以外は完全に中島敦にはまっている。

高校2年の現代国語の時間で「山月記」をやった。高校一年の現代国語の授業のことはまったく覚えていない。しかし、「山月記」のときのことはあらゆる高校授業の中でも一番印象に残る。教師はおばさんであった。当時としては珍しい東大出の女性、古文が専門で参考書も書いていた。1年のときは古文の担当で、2年になって現代国語の教師と受け持ちを交換した。昨年の高校同窓会に出席していた。おそらくは80才に届いているはずなのにかくしゃくとしていたすごいおばさん

そんな教師の現代国語の時間は、議論好きの高校生が文の解釈をめぐって討論しあういい授業だった。その中でも「山月記」のときはすごかった。国語の教科書にある作者紹介の中島敦の写真は、牛乳瓶の底のような丸メガネをかけて気難しそうな怖い顔だった。しかも漢文調で始まる文章は難しそうで、こういうのはやりたくないなと思ったものだった。高校2年で文理授業は分かれていない中、そののち東大行って大学教授になった成績が優秀なやつも、普通のやつもぴりぴりしながら、討論した。すごくエキサイティングだった。

ポイントは「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」のところ
虎になってしまった主人公が、虎になってしまった理由はわからない。しかし思えば自分のこういうところがいけなかったのだと悔いる場面である。ここが焦点だったのは覚えている。しかし、どういう議論が出ていたのかは30年以上前なので覚えていない。
あとは、虎になった主人公が昔の親友にあい、高名な詩人になれず虎になった今でも暗誦できる詩を昔の親友に伝えた。親友が「格調高雅な詩であるが一流になるにはどこかかけるところがあるのではないか」と感じたと記すそれはどういうことか?ということ。

中島敦は32歳で亡くなっている。その短い人生で信じられない素晴らしい作品を残している。「名人伝」「弟子」など自分なりに感じる中島敦の偶像と彼の文面から感じられる人生訓をこれから書いてみたい。
携帯電話のメールにネットにある中島敦の小説をメールして送って、ひまさえあれば見ている。ここ1ヶ月で20回は読んだ。

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