気狂いピエロ | |
ジャン=ポール・ベルモンド,アンナ・カリーナ | |
映画「気狂いピエロ」はゴダール監督が1965年に撮ったヌーベルバーグの代表作といわれている作品だ。
パリで優雅な生活を送っている男が、昔の恋人に5年ぶりに偶然再会、彼女の兄を捜しに2人で南仏に向かうロードムービーである。流れるのはストーリーという感じではない。アマチュア映画集団が作った細切れ作品のようなドタバタさを感じる。
映像コンテのデパートのように細かいカット割りで数々のパフォーマンスを映す。途中でジャン・ポール・デルモンドが観客に語り掛けたりもしてしまう。カラフルな色彩設計は視覚を刺激する。さすがにこの当時の日本映画とは肌合いが違う。どちらかというと、カフェバーなどでBGM的に大きな画面の映像で流しておくような作品のような気もする。
フェルディナン(ベルモンド)は、金持ちの妻との生活に退屈し、逃げ出したい衝動に駆られていた。そんなある夜、夫婦がパーティに出かけるため、幼い娘のベビーシッターがやって来る。彼女はなんと、かつての恋人マリアンヌ(カリーナ)だった。パーティを抜け出し、1人で帰宅したフェルディナンは、彼女を車で送り、そのまま一夜を共にする。翌朝目覚めると、彼女の部屋に、首にハサミを突き立てられた男の死体が。驚く彼とは裏腹に、平然と朝食を作り歌うマリアンヌ。
フェルディナンは、わけは後で話すという彼女と一緒に、着の身着のままでパリを後にし、マリアンヌの兄がいる南仏へ向かう。お金のない2人は、ガソリン代を踏み倒したり、物語を語ってチップをもらったり、車を盗んだり。はては海岸の一軒家で、ロビンソー・クルーゾーよろしく自給自足生活。フェルディナンは大満足だったが、マリアンヌは欲求不満を募らせ街に飛び出す。そこで出会った小男(カルービ)がまたもハサミで殺され、マリアンヌは姿を消す。(作品情報より)
数々の小道具が映像のアクセントになって観る我々を楽しませる。いきなり映すのは、妻と一緒に暮らす金持ちの悪趣味のような部屋とバスルームに入るジャン・ポール・デルモンドである。そのあと、パーティでは薄い乳輪の裸の女を囲むブルジョア男とわけも分からないセリフを話す映画監督が出てくる。雰囲気はゴージャスである。でも翌朝異変が起き、2人は車に乗って出ていく。無一文で飛び出した後、車を盗んだり、ガソリンスタンドで給油して逃げたりあまり行儀良くない。それでも、ここに映る華奢なアルファロメオのような60年代半ばのフランスの雰囲気が心地よく伝わる。
格言のような言葉が映画の段落の後に発せられる。「絵も映画も見る側が勝手に解釈するものだ」「観光客は現代の奴隷」なんて言葉が印象的。当時、ベトナム戦争が激しくなっていたころである。反戦映画ではないが、ときおり現地ドキュメンタリー映像をまぜている。爆撃でベトコンが110名がなくなった話に対して、それぞれに人生があったはずなのにその一言で終えてしまうのはさみしいなんてセリフもある。日傘をかぶったベトナム女性に変装したアンナ・カリーナがかわいい。