映画「ぜんぶ、ボクのせい」を映画館で観てきました。
映画「ぜんぶ、ボクのせい」は予告編から気になっていた作品。下層社会を描いている。養護施設に預けられている少年が、男と同居している実の母親のところに行っても、この子親戚の子と松本まりか演じる実の母親が言うセリフが印象的な予告編だった。オダギリジョーがいかにも彼らしい自由人ぽいキャラクターで演じているムードが気になる。
川崎の養護施設で生活している中学生のユウタ(白鳥晴都)は、今は離れて暮らす母親(松本まりか)と同居することを望んでいる。でも、施設の担当者(木竜麻生)が何度連絡しても接触を持とうとしない。ある時、施設の個人ファイルで母親の連絡先を確認したユウタは、千葉の海辺の街に住む母親のところに向かう。
母親は久々の再会を喜んだが、男(若葉竜也)と暮らしているから邪魔なので施設に連絡して迎えに来てもらう。自堕落な母親でも離れたくないユウタは出迎えを振り切って飛び出してしまう。そこで、軽トラックの中で暮らすホームレスの坂本(オダギリジョー)と知り合い一緒に生活するという話である。
まあ普通かなという感じ。
天涯孤独ではなく、親に見放されて施設で育つ子どもってそれなりにいるんだろう。養護施設というとひと昔前でいえば、「タイガーマスク」の伊達直人を連想する。予告編を観ていると、無責任な母親との関係に大きく焦点をあてるのかと思ったらさほどでもない。いい加減極まりない社会の底辺を生きるオダギリジョーとの生活や彼と親しい高校生の女の子との触れ合いの方にウェイトを置く。ただ、数多くのエピソードをストーリーに織りまぜていくが、尻切れトンボになってしまった印象を受ける。
少年役の白鳥晴都は好演だが、セリフや行動に若干違和感を感じる。救われない立場に落としていこうとするのはわかるけど、もう少し光を与えて欲しかった。オダギリジョーはうさんくさい役をやらせると実にうまい。
⒈オダギリジョーとの生活
主人公の少年は母親の家から追い出されて、養護施設の担当者を振り切りそのまま逃げた。野宿して行き宛もなく海岸で彷徨うとオダギリジョー演じる坂本に出会う。その日暮らしで、軽トラックで寝泊まりしている。そこに潜り込むのだ。
坂本は自転車の鍵を針金でほじくり開けて、その自転車を廃品回収に持っていく。それで金をもらって生活費にあてる。近所の人に見られると、息子のユウタが壊しちゃってと言っている。不法投棄と思しき電化製品もメシの種だ。そんな生活を繰り返す。
歩きスマホをしている男を見つけると、坂本がユウタに腕時計を持たせて「ぶつかれ!」と指示する。ぶつかって倒れると「骨折しているんじゃないか」「時計が壊れている」と坂本が慌てている男に言う。呼ぶ気もないのに警察呼びましょうか?と言うとスマホ男がお金を差し出すという構図だ。これっていわゆる当たり屋の手口だよね。
そんなワルをして生き延びる。こんな役柄やらせるとオダギリジョーは天下一品だ。
⒉裕福なのに屈折した生活をしている少女
姉は医学部に行っているし、家も裕福そうだ。でも、大人相手に売春をする。こんな小さな町では顔が割れちゃうからできるかな?と思ってしまう。この女の子が坂本をオッちゃんと呼んで慕う。母親は亡くなっていて、その影響か屈折して真っ当な生き方からずれている。似たような身の上だからか、3人で仲良くなっている。でも、この女の子の扱いがちょっと中途半端だった印象を受ける。
美少女だ。制服姿の高校生だけど、大人びた感じが素敵だ。川島鈴遥って「ある船頭の話」で重要な役割で出演した捨て子の少女だと見終わった後わかる。この映画2019年ではかなり良いと思っている作品で、オダギリジョーがメガホンを持った。傑作だと思う。おそらく今回もオダギリジョーの推薦だったんじゃないかな。先が楽しみだ。
⒊夢で逢えたら
予告編から大滝詠一バージョンの「夢で逢えたら」が流れていて、ずっと気になっていた。この曲を初めて聴いたのは高校生の時で、吉田美奈子のアルバムだった。なんてすばらしい歌だと思った。ラッツ&スターとかいろんなバージョンあるけど、吉田美奈子の歌がバックのアレンジを含めて最高だと思っている。でも、シングルカットしていない。人の歌が代表曲になるのは嫌だと吉田美奈子が言ったそうだ。
劇中に川島鈴遥がお母さんの想い出の歌だと言って海辺で歌う。そして、唐突だったエンディングの後で大滝詠一の「夢で逢えたら」が流れる。じんわり心に響く。誰も席を立たない。余韻に浸っているようだった。
映画「ぜんぶ、ボクのせい」は予告編から気になっていた作品。下層社会を描いている。養護施設に預けられている少年が、男と同居している実の母親のところに行っても、この子親戚の子と松本まりか演じる実の母親が言うセリフが印象的な予告編だった。オダギリジョーがいかにも彼らしい自由人ぽいキャラクターで演じているムードが気になる。
川崎の養護施設で生活している中学生のユウタ(白鳥晴都)は、今は離れて暮らす母親(松本まりか)と同居することを望んでいる。でも、施設の担当者(木竜麻生)が何度連絡しても接触を持とうとしない。ある時、施設の個人ファイルで母親の連絡先を確認したユウタは、千葉の海辺の街に住む母親のところに向かう。
母親は久々の再会を喜んだが、男(若葉竜也)と暮らしているから邪魔なので施設に連絡して迎えに来てもらう。自堕落な母親でも離れたくないユウタは出迎えを振り切って飛び出してしまう。そこで、軽トラックの中で暮らすホームレスの坂本(オダギリジョー)と知り合い一緒に生活するという話である。
まあ普通かなという感じ。
天涯孤独ではなく、親に見放されて施設で育つ子どもってそれなりにいるんだろう。養護施設というとひと昔前でいえば、「タイガーマスク」の伊達直人を連想する。予告編を観ていると、無責任な母親との関係に大きく焦点をあてるのかと思ったらさほどでもない。いい加減極まりない社会の底辺を生きるオダギリジョーとの生活や彼と親しい高校生の女の子との触れ合いの方にウェイトを置く。ただ、数多くのエピソードをストーリーに織りまぜていくが、尻切れトンボになってしまった印象を受ける。
少年役の白鳥晴都は好演だが、セリフや行動に若干違和感を感じる。救われない立場に落としていこうとするのはわかるけど、もう少し光を与えて欲しかった。オダギリジョーはうさんくさい役をやらせると実にうまい。
⒈オダギリジョーとの生活
主人公の少年は母親の家から追い出されて、養護施設の担当者を振り切りそのまま逃げた。野宿して行き宛もなく海岸で彷徨うとオダギリジョー演じる坂本に出会う。その日暮らしで、軽トラックで寝泊まりしている。そこに潜り込むのだ。
坂本は自転車の鍵を針金でほじくり開けて、その自転車を廃品回収に持っていく。それで金をもらって生活費にあてる。近所の人に見られると、息子のユウタが壊しちゃってと言っている。不法投棄と思しき電化製品もメシの種だ。そんな生活を繰り返す。
歩きスマホをしている男を見つけると、坂本がユウタに腕時計を持たせて「ぶつかれ!」と指示する。ぶつかって倒れると「骨折しているんじゃないか」「時計が壊れている」と坂本が慌てている男に言う。呼ぶ気もないのに警察呼びましょうか?と言うとスマホ男がお金を差し出すという構図だ。これっていわゆる当たり屋の手口だよね。
そんなワルをして生き延びる。こんな役柄やらせるとオダギリジョーは天下一品だ。
⒉裕福なのに屈折した生活をしている少女
姉は医学部に行っているし、家も裕福そうだ。でも、大人相手に売春をする。こんな小さな町では顔が割れちゃうからできるかな?と思ってしまう。この女の子が坂本をオッちゃんと呼んで慕う。母親は亡くなっていて、その影響か屈折して真っ当な生き方からずれている。似たような身の上だからか、3人で仲良くなっている。でも、この女の子の扱いがちょっと中途半端だった印象を受ける。
美少女だ。制服姿の高校生だけど、大人びた感じが素敵だ。川島鈴遥って「ある船頭の話」で重要な役割で出演した捨て子の少女だと見終わった後わかる。この映画2019年ではかなり良いと思っている作品で、オダギリジョーがメガホンを持った。傑作だと思う。おそらく今回もオダギリジョーの推薦だったんじゃないかな。先が楽しみだ。
⒊夢で逢えたら
予告編から大滝詠一バージョンの「夢で逢えたら」が流れていて、ずっと気になっていた。この曲を初めて聴いたのは高校生の時で、吉田美奈子のアルバムだった。なんてすばらしい歌だと思った。ラッツ&スターとかいろんなバージョンあるけど、吉田美奈子の歌がバックのアレンジを含めて最高だと思っている。でも、シングルカットしていない。人の歌が代表曲になるのは嫌だと吉田美奈子が言ったそうだ。
劇中に川島鈴遥がお母さんの想い出の歌だと言って海辺で歌う。そして、唐突だったエンディングの後で大滝詠一の「夢で逢えたら」が流れる。じんわり心に響く。誰も席を立たない。余韻に浸っているようだった。