映画「華麗なるギャツビー」はスコットフィッツジェラルドの原作を映画化した1974年の作品だ。
ロバート・レッドフォードとミア・ファローという当時の人気スターの共演
原作「グレートギャツビー」は1920年代を象徴する名作として末長く読まれている。村上春樹による新訳は読みやすい。ロングアイランドの豪邸やパーティの描写など華やかな印象もあるが、基本は悲哀を含む恋愛小説である。事の顛末がシェイクスピアの悲劇を思わせる。やはりこの原作は映画で見ると、なおのこと冴える作品だ。
映像は若干古いが、ロケで使った豪華な住まいや派手なパーティの映像でたのしませてくれる。
1920年代のアメリカが舞台だ。
ニック・キャラウェイ(サム・ウォーターストン)の一人称で語られる。
証券会社に勤めるニックはニューヨーク郊外のロングアイランドに住んでいる。湾をへだてて向かい合ったところに住む富豪トム・ブキャナン(ブルース・ダーン)とニックはイェール大学での同窓で、トムの妻デイジー(ミア・ファロー)はニックのいとこだった。トムは自動車修理工の妻マートル(カレン・ブラック)と不倫関係にあった。トムの浮気癖は直らず夫婦生活はうまくいっていなかった。
ニックの自宅の隣で豪華な邸宅を構えるジェイ・ギャツビー(ロバート・レッドフォード)は頻繁にパーティーを催していた。社交界の話題はギャツビーに集中していたが、彼の身分は謎に包まれていた。
ニックはギャツビーからパーティに招待を受ける。
数多くの招待客がざわめく賑やかなパーティーの途中、給仕に「ちょっとこちらへ」と呼ばれる。連れて行かれた部屋にギャツビーがいた。隣人ということで特別待遇を受けたのだ。
その後食事をしたりしてギャツビーの人となりを知るようになった。ギャツビーは第1次大戦に参加し、陸軍少尉となった彼はデイジー(ミア・ファロー)と知りあった。2人は激しい恋におちたが、ギャツビーは軍の命令でフランス戦線へ派遣されてしまったのだ。
2人はニックの仲介を得て8年ぶりに再会した。(ちなみに小説では5年ぶりとなっている)
デイジーはギャツビーの愛情に感激した。
ギャツビーがフランスへ発ったあとデイジーが結婚した。当時貧しかったギャツビーではなく富豪のトムを選んだのだ。デイジーとトムはギャツビーのパーティに招待された。デイジーへのギャツビーの振る舞いを見て夫のトムは不信感をいただいた。一方ギャツビーは再びテイジーの心をとり戻す決意を固めていたのだが。。。
まさに全盛時のレッドフォードである。中学生の時「追憶」を劇場で見て魅かれ「スティング」を見に行った。そのあとでこの映画見た。きらびやかな印象が強かったが、男女の恋の機微がよく理解できていなかった。今こうして見ると、女のずるさを強く感じる。
1920年代ハーディング、クーリッジ、フーバーの共和党政権時代は1929年まで「永遠の繁栄」と言われた。当然バブリーな人たちも多い。それを象徴する映画だ。ギャツビーは派手なパーティを開く。一体いくらかかるんだろうと思わせる豪華なパーティだ。今の日本であれば人件費、飲食代ふくめ1回2000万円以上はかかるであろう。大げさでなく月に1億円はかかる。さすがにそんなことする人はいない。しかも、ロングアイランドのような海辺の高級住宅地は日本の都市部には存在しない。
ギャツビーは酒の密売をやっているというセリフがある。1919年から33年までアメリカでは禁酒法が布かれていた。これは「酒を飲むのが違法だったのではなく、売買が違法だった」ということだ。であるから酒を飲むシーンが数多く出てきても不自然ではない。ただ、この映画のように飲みまくる人たちがいれば密売は大儲けできるはずだ。
いくつもの恋愛が絡み合う。
この映画のテーマも男と男の競い合いだ。浮気症で妻に目もくれないかった男が、ライバル出現とともに妻が気になる。妻は完全にとんでいる。普通だったらそのまま持っていかれそうな恋なのに。。。
デイジーは「彼もあなたも愛しているわ」と言ってしまう。
決断をするには、自分にも子供がいる。ついつい中間的な言葉を発してしまう。ずるいなあと思うけど、仕方ないのかな。ただその先にとんでもない悲劇が待っている。
この物語の重層性はそれだけにとどまらない。シェイクスピアの物語のような悲劇ともいえる構造が長く読み続けられている本質であろう。
ミアファローのデイジーの演技を味わいながら、ずるい女の何人かを連想した。
個人的にはニックの恋人役を演じたロイス・チャイルズがよく見えた。ボンドガールをつとめたことのある美人だが、何より声が渋い。低音の魅力で百戦錬磨の恋の達人といった風格をもっていた。
レオナルドディカプリオによる新作は本当に楽しみである。特に華やかなパーティ場面は予告編で見てもすごそう。修羅場の場面をキャリーマリガンがどうしのぐのかも関心がある。1974年の作品でも多少原作と違う部分がある。どう料理されているのであろうか。
ロバート・レッドフォードとミア・ファローという当時の人気スターの共演
原作「グレートギャツビー」は1920年代を象徴する名作として末長く読まれている。村上春樹による新訳は読みやすい。ロングアイランドの豪邸やパーティの描写など華やかな印象もあるが、基本は悲哀を含む恋愛小説である。事の顛末がシェイクスピアの悲劇を思わせる。やはりこの原作は映画で見ると、なおのこと冴える作品だ。
映像は若干古いが、ロケで使った豪華な住まいや派手なパーティの映像でたのしませてくれる。
1920年代のアメリカが舞台だ。
ニック・キャラウェイ(サム・ウォーターストン)の一人称で語られる。
証券会社に勤めるニックはニューヨーク郊外のロングアイランドに住んでいる。湾をへだてて向かい合ったところに住む富豪トム・ブキャナン(ブルース・ダーン)とニックはイェール大学での同窓で、トムの妻デイジー(ミア・ファロー)はニックのいとこだった。トムは自動車修理工の妻マートル(カレン・ブラック)と不倫関係にあった。トムの浮気癖は直らず夫婦生活はうまくいっていなかった。
ニックの自宅の隣で豪華な邸宅を構えるジェイ・ギャツビー(ロバート・レッドフォード)は頻繁にパーティーを催していた。社交界の話題はギャツビーに集中していたが、彼の身分は謎に包まれていた。
ニックはギャツビーからパーティに招待を受ける。
数多くの招待客がざわめく賑やかなパーティーの途中、給仕に「ちょっとこちらへ」と呼ばれる。連れて行かれた部屋にギャツビーがいた。隣人ということで特別待遇を受けたのだ。
その後食事をしたりしてギャツビーの人となりを知るようになった。ギャツビーは第1次大戦に参加し、陸軍少尉となった彼はデイジー(ミア・ファロー)と知りあった。2人は激しい恋におちたが、ギャツビーは軍の命令でフランス戦線へ派遣されてしまったのだ。
2人はニックの仲介を得て8年ぶりに再会した。(ちなみに小説では5年ぶりとなっている)
デイジーはギャツビーの愛情に感激した。
ギャツビーがフランスへ発ったあとデイジーが結婚した。当時貧しかったギャツビーではなく富豪のトムを選んだのだ。デイジーとトムはギャツビーのパーティに招待された。デイジーへのギャツビーの振る舞いを見て夫のトムは不信感をいただいた。一方ギャツビーは再びテイジーの心をとり戻す決意を固めていたのだが。。。
まさに全盛時のレッドフォードである。中学生の時「追憶」を劇場で見て魅かれ「スティング」を見に行った。そのあとでこの映画見た。きらびやかな印象が強かったが、男女の恋の機微がよく理解できていなかった。今こうして見ると、女のずるさを強く感じる。
1920年代ハーディング、クーリッジ、フーバーの共和党政権時代は1929年まで「永遠の繁栄」と言われた。当然バブリーな人たちも多い。それを象徴する映画だ。ギャツビーは派手なパーティを開く。一体いくらかかるんだろうと思わせる豪華なパーティだ。今の日本であれば人件費、飲食代ふくめ1回2000万円以上はかかるであろう。大げさでなく月に1億円はかかる。さすがにそんなことする人はいない。しかも、ロングアイランドのような海辺の高級住宅地は日本の都市部には存在しない。
ギャツビーは酒の密売をやっているというセリフがある。1919年から33年までアメリカでは禁酒法が布かれていた。これは「酒を飲むのが違法だったのではなく、売買が違法だった」ということだ。であるから酒を飲むシーンが数多く出てきても不自然ではない。ただ、この映画のように飲みまくる人たちがいれば密売は大儲けできるはずだ。
いくつもの恋愛が絡み合う。
この映画のテーマも男と男の競い合いだ。浮気症で妻に目もくれないかった男が、ライバル出現とともに妻が気になる。妻は完全にとんでいる。普通だったらそのまま持っていかれそうな恋なのに。。。
デイジーは「彼もあなたも愛しているわ」と言ってしまう。
決断をするには、自分にも子供がいる。ついつい中間的な言葉を発してしまう。ずるいなあと思うけど、仕方ないのかな。ただその先にとんでもない悲劇が待っている。
この物語の重層性はそれだけにとどまらない。シェイクスピアの物語のような悲劇ともいえる構造が長く読み続けられている本質であろう。
ミアファローのデイジーの演技を味わいながら、ずるい女の何人かを連想した。
個人的にはニックの恋人役を演じたロイス・チャイルズがよく見えた。ボンドガールをつとめたことのある美人だが、何より声が渋い。低音の魅力で百戦錬磨の恋の達人といった風格をもっていた。
レオナルドディカプリオによる新作は本当に楽しみである。特に華やかなパーティ場面は予告編で見てもすごそう。修羅場の場面をキャリーマリガンがどうしのぐのかも関心がある。1974年の作品でも多少原作と違う部分がある。どう料理されているのであろうか。
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