3日目はいよいよ今回の目的の小樽へ
父が亡くなって4年がたつ。父が亡くなった時、戸籍を小学校1年までいた小樽から取り寄せた。
そこに記せられているルーツをたどると、余市と古平につながることがわかった。
余市は行ったことがあるけれど、古平は行ったことがない。
車で札幌から古平を目指した。
札幌から高速に乗ると、かなり高い所を走って小樽に向かう。
そこから見る札幌の街は広い。海が見える。雄大だ。
列車で小樽へ向かうときは海に近いところを走る。それなのでこのルートは初めてだ。
高速を抜けて、小樽の街をみる。ずいぶんと変わったなあ!
運河の横を抜けて5号線を走る。
東京ロマンチカの名曲「小樽のひとよ」に塩谷の浜辺という歌詞が出てくる。
その浜辺に近いことろは波が荒い。
余市を抜けて、積丹半島のベイラインを運転し古平町に入る。
漁村のある田舎町だ。
ルーツをたどるのに役場に入る。建物も古い。
役場の職員も首都圏の役所と違って暇そうで、親切だ。
国定公園になっているだけあって、海辺に奇岩が多い。
ペンシルみたいな岩だ。
他にもこういうのがいくつもある。実にきれいだ。
積丹半島には縁がなかった。用がないと思っていたのが、思いがけず縁があり来た。
美しいエリアだと思う。
余市へ向かう。
余市の道の駅でトイレ休憩をしたら、近くにニッカウイスキーの蒸溜所がある。
余市といえばニッカだが、今まで縁がなかった。
工場の前で記念撮影だけしようとしたら、どうも中に無料で入れるみたいだ。
タダなら入ってみようか。そんな不純な動機だったけどこれが抜群に良かった。
蒸溜所の見学だけでなく、ニッカウィスキーの歴史を教えてくれるウィスキー館で創業者竹鶴政孝氏とスコットランド人の妻リタさんとの触れ合い話などがよくわかった。
竹鶴社長の旧宅は素敵な洋館である。ここに戦前戦後住んでいたという。
それだけではない。
この工場内の建物の配置、グリーンの計画が無秩序でなく非常に素晴らしい設計となっている。
これには驚いた。プロの仕事だ。この蒸溜所内は予想以上に素晴らしい空間だった。
試飲コーナーでは、高級酒「鶴」や「余市」の試飲までできる。
ニッカはずいぶんと気前がいい。
自分は運転だったので入場時に「酒は飲めないというシール」をもらってウーロン茶だったけど、酒好きにはたまらない場所だと思う。
高級酒「鶴」は9650円で売っていたけど、銀座だと一本3万以上だよね
(上の写真は銀座のクラブでのショット)
昼食はラムシャブ組とジンギスカンに分かれて食事する。
肉の量も多い。実にコストパフォーマンスが高い。これにも驚く。食べ応えがあった。
めずらしく得した気分になった。いい期待外れだった。
小樽へ向かう。
まずは昔祖父や父が住んだ家を探すことから始める。
自分が初めて小樽へ行ったのが小学校1年の時、その時初めて羽田から飛行機に乗った。祖父と祖母と一緒に行き、10日間くらい滞在したと思う。小樽に長くいたが、石狩の方も行き最後は登別温泉にも泊った。
高校1年の北海道旅行では小樽へは寄っていない。
大学生の時、親戚の葬式があり父といった。夏のまっ盛りで飛行機の予約ができなかった。それなので車で行った。まだ青函連絡船で渡ったころである。父と交代で運転したが、東北自動車道は盛岡までしか完成していなかった。残りの国道4号、5号線も長くて凄い旅路だった。
その時に父から自分が住んだ家がここだと教えられた気がするが自信がない。その時気づいたのは、小学校1年の時に行ったときも、15年位たって大学生のころ行った時も街並みに変化がなかったということだ。でも今は明らかに変わっていた。
住所をたどってその家に向かう。花園町の色街の方である。観光客が飲みによろうとは思わないような古い飲み屋が近くに並ぶところだ。特定できなかった。やはりもう少し準備すべきだったろう。
そのあとでいわゆる美観地区へ向かう。
ぶらぶら歩くが、すし屋が妙に増えた。どうもぼったくり店のようだ。
普通の店を覗くと、値札の値段が高い。10数年前に行った時、すでに小樽運河が脚光を浴びていた。観光地化していたがこれほどまでではなかった。
昨年行った飛騨高山、地元埼玉の川越どこもみんな同じようなものである。
違うのはウォール街といわれる銀行の建物群か。
北のウォール街と言っている銀行の古い建物はどれも趣がある。
なぜか戦災の影響を受けていないのもラッキーだった。
戦前は札幌よりも小樽の方が商業的に栄えていた。樺太も満州も自分たちの領土だったころは貿易港としての重要性は高かった。日銀ばかりでなく大手銀行の支店はすべて小樽にあった。その時の遺産がいまだ残っている。そんな時代に祖父はいた。そして父が生まれ、昭和10年代半ばまでいた。父と同じ年の石原都知事も船会社の支店長の息子として小樽にいた。隣の幼稚園だったようだ。
上海の川沿いに外灘というレトロな建物が立ち並ぶエリアがある。比べるのは酷だが、建物のテイストは同じである。でも自分の小さい頃までは銀行というとこういう建物が残っていたものだ。
運河通り近くのぼったくり店に嫌気がさして、レトロ建物を改装した店「小樽バイン」に入ったらこれが当たりだった。
旧北海道銀行を改装したという。
内装の雰囲気もよいが、ケーキセット630円とリーズナブルだ。しかもおいしい。
でも小樽の美観エリアに何度も来たいという感じじゃないなあ。
自分のルーツを探しに来る旅には関心があるけど。。。
夜はススキノへ行く。
日本を代表する繁華街を見て、初めてみた家人と娘はびっくりだ。
ラーメン横丁をすぎながら、お勧めといわれたみそラーメン屋Kにはいる。
かなりの行列人気店といわれ期待して行ったが普通だった。
父が亡くなって4年がたつ。父が亡くなった時、戸籍を小学校1年までいた小樽から取り寄せた。
そこに記せられているルーツをたどると、余市と古平につながることがわかった。
余市は行ったことがあるけれど、古平は行ったことがない。
車で札幌から古平を目指した。
札幌から高速に乗ると、かなり高い所を走って小樽に向かう。
そこから見る札幌の街は広い。海が見える。雄大だ。
列車で小樽へ向かうときは海に近いところを走る。それなのでこのルートは初めてだ。
高速を抜けて、小樽の街をみる。ずいぶんと変わったなあ!
運河の横を抜けて5号線を走る。
東京ロマンチカの名曲「小樽のひとよ」に塩谷の浜辺という歌詞が出てくる。
その浜辺に近いことろは波が荒い。
余市を抜けて、積丹半島のベイラインを運転し古平町に入る。
漁村のある田舎町だ。
ルーツをたどるのに役場に入る。建物も古い。
役場の職員も首都圏の役所と違って暇そうで、親切だ。
国定公園になっているだけあって、海辺に奇岩が多い。
ペンシルみたいな岩だ。
他にもこういうのがいくつもある。実にきれいだ。
積丹半島には縁がなかった。用がないと思っていたのが、思いがけず縁があり来た。
美しいエリアだと思う。
余市へ向かう。
余市の道の駅でトイレ休憩をしたら、近くにニッカウイスキーの蒸溜所がある。
余市といえばニッカだが、今まで縁がなかった。
工場の前で記念撮影だけしようとしたら、どうも中に無料で入れるみたいだ。
タダなら入ってみようか。そんな不純な動機だったけどこれが抜群に良かった。
蒸溜所の見学だけでなく、ニッカウィスキーの歴史を教えてくれるウィスキー館で創業者竹鶴政孝氏とスコットランド人の妻リタさんとの触れ合い話などがよくわかった。
竹鶴社長の旧宅は素敵な洋館である。ここに戦前戦後住んでいたという。
それだけではない。
この工場内の建物の配置、グリーンの計画が無秩序でなく非常に素晴らしい設計となっている。
これには驚いた。プロの仕事だ。この蒸溜所内は予想以上に素晴らしい空間だった。
試飲コーナーでは、高級酒「鶴」や「余市」の試飲までできる。
ニッカはずいぶんと気前がいい。
自分は運転だったので入場時に「酒は飲めないというシール」をもらってウーロン茶だったけど、酒好きにはたまらない場所だと思う。
高級酒「鶴」は9650円で売っていたけど、銀座だと一本3万以上だよね
(上の写真は銀座のクラブでのショット)
昼食はラムシャブ組とジンギスカンに分かれて食事する。
肉の量も多い。実にコストパフォーマンスが高い。これにも驚く。食べ応えがあった。
めずらしく得した気分になった。いい期待外れだった。
小樽へ向かう。
まずは昔祖父や父が住んだ家を探すことから始める。
自分が初めて小樽へ行ったのが小学校1年の時、その時初めて羽田から飛行機に乗った。祖父と祖母と一緒に行き、10日間くらい滞在したと思う。小樽に長くいたが、石狩の方も行き最後は登別温泉にも泊った。
高校1年の北海道旅行では小樽へは寄っていない。
大学生の時、親戚の葬式があり父といった。夏のまっ盛りで飛行機の予約ができなかった。それなので車で行った。まだ青函連絡船で渡ったころである。父と交代で運転したが、東北自動車道は盛岡までしか完成していなかった。残りの国道4号、5号線も長くて凄い旅路だった。
その時に父から自分が住んだ家がここだと教えられた気がするが自信がない。その時気づいたのは、小学校1年の時に行ったときも、15年位たって大学生のころ行った時も街並みに変化がなかったということだ。でも今は明らかに変わっていた。
住所をたどってその家に向かう。花園町の色街の方である。観光客が飲みによろうとは思わないような古い飲み屋が近くに並ぶところだ。特定できなかった。やはりもう少し準備すべきだったろう。
そのあとでいわゆる美観地区へ向かう。
ぶらぶら歩くが、すし屋が妙に増えた。どうもぼったくり店のようだ。
普通の店を覗くと、値札の値段が高い。10数年前に行った時、すでに小樽運河が脚光を浴びていた。観光地化していたがこれほどまでではなかった。
昨年行った飛騨高山、地元埼玉の川越どこもみんな同じようなものである。
違うのはウォール街といわれる銀行の建物群か。
北のウォール街と言っている銀行の古い建物はどれも趣がある。
なぜか戦災の影響を受けていないのもラッキーだった。
戦前は札幌よりも小樽の方が商業的に栄えていた。樺太も満州も自分たちの領土だったころは貿易港としての重要性は高かった。日銀ばかりでなく大手銀行の支店はすべて小樽にあった。その時の遺産がいまだ残っている。そんな時代に祖父はいた。そして父が生まれ、昭和10年代半ばまでいた。父と同じ年の石原都知事も船会社の支店長の息子として小樽にいた。隣の幼稚園だったようだ。
上海の川沿いに外灘というレトロな建物が立ち並ぶエリアがある。比べるのは酷だが、建物のテイストは同じである。でも自分の小さい頃までは銀行というとこういう建物が残っていたものだ。
運河通り近くのぼったくり店に嫌気がさして、レトロ建物を改装した店「小樽バイン」に入ったらこれが当たりだった。
旧北海道銀行を改装したという。
内装の雰囲気もよいが、ケーキセット630円とリーズナブルだ。しかもおいしい。
でも小樽の美観エリアに何度も来たいという感じじゃないなあ。
自分のルーツを探しに来る旅には関心があるけど。。。
夜はススキノへ行く。
日本を代表する繁華街を見て、初めてみた家人と娘はびっくりだ。
ラーメン横丁をすぎながら、お勧めといわれたみそラーメン屋Kにはいる。
かなりの行列人気店といわれ期待して行ったが普通だった。