「ハラがコレなんで」は「川の底からこんにちは」で才能を発揮した新鋭石井裕也監督の作品だ。
下町に唯一残る長屋に繰り広げられる人情コメディだ。ここのところ女優としての才能を発揮している仲里依紗が主演だ。ニの線ばかりでなく、三の線がうまい。「モテキ」での存在感もあったが、ここでは彼女のワンマンショーという感じだ。
主人公光子(仲里依紗)はアメリカ人と結婚するつもりで妊娠、本来はめでたしなのに別れて一人住まいだった。預金も底がついてきてあてもなく、小さいころ暮らした東京のはずれの下町の長屋に向かう。そこには昔お世話になった大家のおばさんが暮らしているはずだった。着くと彼女は寝たきり状態だった。
そこで場面は彼女の小さいころにフラッシュバックする。
主人公の父母は事業がうまくいかず、夜逃げ同然でこの長屋へやってきた。長屋に来ると、歓迎され驚く。
そこでは住人たちがワイガヤまるで住居の垣根がないが如くに暮らしていた。
大家のおばさんは揉め事も含め、すべてを取り仕切っていた。気風のよさがあり、うまくいっていないうちの家賃をまけてあげたりした。そこの住人に食堂を経営している父(石橋凌)子がいた。実際には実子ではなかった。その息子と主人公は仲良くなったが、景気がもどり主人公親子は引っ越すことになった。
戻った時長屋からは住人はほとんどいなくなっていた。食堂のおじさんと息子はまだ住んでいた。食堂にいくと、客は少なく閑古鳥だった。
厨房でボーとしている姿を見て、主人公はいても他ってもいられない気分になった。私が面倒を見るというばかりに食堂に客を引っ張るようになった。店には以前にまして客足が戻ってきたのであるが。。。。
先だって見たあしたのジョー実写版で出てきた長屋と同じような、一昔前の長屋が舞台だ。
そこの仲間内での人情ものと思しき映画だが、実際には近代化の中に取り残されている長屋からは人はいなくなり、下町的人情はなくなっている。そこに戻ってきた主人公が奮闘する。しかも、彼女は妊娠9ヶ月だ。
映画が始まっての場面で、主人公が引越しをしてきた隣人の女性に対して、うっとうしく世話をやく場面が出てくる。タクアンどうですか?と隣の家を訪ねて、勝手に上がりこみ話し込もうとする。隣人からはいい迷惑だ。
でもこういうのが、小さいころの生活から学んだものだということが映画を見てわかっていく。
主人公が育った長屋では、隣と自分の家の境目もない状態、お互いに食べ物をあげたりして、世話をやきやっている。逆に喧嘩も絶えない。
主人公はこの下町長屋で気風のよさということを学んだ。
こういうのが粋なんだよと、自分の行動を粋かどうかで判断する。
OK! これは粋だ という主人公のセリフが脳裏に焼きつく。
主人公が食堂に連れてくるのは、リストラにあって会社から干されている男たちが多い。
金もなさそうな連中に粋とばかりに、全部自分のおごりだとまで言ってしまう。
店に客が増えたのであるが、売上がちっとも変わらない。
サクセスストーリーではないのだ。そこが肝だ。
品川の実家も近くに商店街があり、割と近い生活を見てきた。だから親近感はある。
うちの母も町内会の役員をずっとやってきて、お互いに助け合いなんてこともよく言った。
朝から晩まで町会事務所に入りびたりだった。地元の小学校にもボランティアで行っていた。
後でお返しが来るからとずいぶんと母も気前がよかったが、大して良いこともなかったのかもしれない。
でも父や母が死んだときには、大行列ができるくらいに葬式に人が来た。
区から偉い人まで来た。母との最後の会話は赤十字社からの感謝状が来ているかどうかだったなあ。
うちの母はこの主人公と同じように粋を貫いてよかったと思ったのかもしれない。
母を思い出してしまう映画であった。
下町に唯一残る長屋に繰り広げられる人情コメディだ。ここのところ女優としての才能を発揮している仲里依紗が主演だ。ニの線ばかりでなく、三の線がうまい。「モテキ」での存在感もあったが、ここでは彼女のワンマンショーという感じだ。
主人公光子(仲里依紗)はアメリカ人と結婚するつもりで妊娠、本来はめでたしなのに別れて一人住まいだった。預金も底がついてきてあてもなく、小さいころ暮らした東京のはずれの下町の長屋に向かう。そこには昔お世話になった大家のおばさんが暮らしているはずだった。着くと彼女は寝たきり状態だった。
そこで場面は彼女の小さいころにフラッシュバックする。
主人公の父母は事業がうまくいかず、夜逃げ同然でこの長屋へやってきた。長屋に来ると、歓迎され驚く。
そこでは住人たちがワイガヤまるで住居の垣根がないが如くに暮らしていた。
大家のおばさんは揉め事も含め、すべてを取り仕切っていた。気風のよさがあり、うまくいっていないうちの家賃をまけてあげたりした。そこの住人に食堂を経営している父(石橋凌)子がいた。実際には実子ではなかった。その息子と主人公は仲良くなったが、景気がもどり主人公親子は引っ越すことになった。
戻った時長屋からは住人はほとんどいなくなっていた。食堂のおじさんと息子はまだ住んでいた。食堂にいくと、客は少なく閑古鳥だった。
厨房でボーとしている姿を見て、主人公はいても他ってもいられない気分になった。私が面倒を見るというばかりに食堂に客を引っ張るようになった。店には以前にまして客足が戻ってきたのであるが。。。。
先だって見たあしたのジョー実写版で出てきた長屋と同じような、一昔前の長屋が舞台だ。
そこの仲間内での人情ものと思しき映画だが、実際には近代化の中に取り残されている長屋からは人はいなくなり、下町的人情はなくなっている。そこに戻ってきた主人公が奮闘する。しかも、彼女は妊娠9ヶ月だ。
映画が始まっての場面で、主人公が引越しをしてきた隣人の女性に対して、うっとうしく世話をやく場面が出てくる。タクアンどうですか?と隣の家を訪ねて、勝手に上がりこみ話し込もうとする。隣人からはいい迷惑だ。
でもこういうのが、小さいころの生活から学んだものだということが映画を見てわかっていく。
主人公が育った長屋では、隣と自分の家の境目もない状態、お互いに食べ物をあげたりして、世話をやきやっている。逆に喧嘩も絶えない。
主人公はこの下町長屋で気風のよさということを学んだ。
こういうのが粋なんだよと、自分の行動を粋かどうかで判断する。
OK! これは粋だ という主人公のセリフが脳裏に焼きつく。
主人公が食堂に連れてくるのは、リストラにあって会社から干されている男たちが多い。
金もなさそうな連中に粋とばかりに、全部自分のおごりだとまで言ってしまう。
店に客が増えたのであるが、売上がちっとも変わらない。
サクセスストーリーではないのだ。そこが肝だ。
品川の実家も近くに商店街があり、割と近い生活を見てきた。だから親近感はある。
うちの母も町内会の役員をずっとやってきて、お互いに助け合いなんてこともよく言った。
朝から晩まで町会事務所に入りびたりだった。地元の小学校にもボランティアで行っていた。
後でお返しが来るからとずいぶんと母も気前がよかったが、大して良いこともなかったのかもしれない。
でも父や母が死んだときには、大行列ができるくらいに葬式に人が来た。
区から偉い人まで来た。母との最後の会話は赤十字社からの感謝状が来ているかどうかだったなあ。
うちの母はこの主人公と同じように粋を貫いてよかったと思ったのかもしれない。
母を思い出してしまう映画であった。