8月に入って月初の行事を早々終了させて夏休みに入った。
7月は自分の部署の成績は抜群によく気楽だ。
サマータイムはやらないので、会社も今年は定休のほかに6日間休みを取れという。今日16日も全休となった。
休みに入った後、妻と娘が妻の田舎から帰ってきた。
オープンキャンパスの宿題は学習院で終了しているが、いくつか大学へ行くことになった。
まずは早稲田に行った。高田馬場の駅に着いて、バスに乗ろうとしたら乗りそこない、地下鉄に乗ることにした。駅で降りてキャンパスへいく。久々だ。
大隈講堂の前で記念撮影したあと、大隈重信候の銅像の前で再度記念撮影
これでやることは終了、学習院で学食食べそこなったので学食へ向かう。
カツカレーを食べた。娘も同様。こういう形式で食べるのも久しぶりだ。でも何???って感じだ。
妻に言わせると、いわゆる昔の食堂に出るカレーという感じで懐かしいという。早稲田の学生は割と食に無頓着な学生が多いせいなのか?これで満足してしまうのは??普通だとありえない。確かに会社の早稲田出身者には、極めて例外を除くと美食家はいない気がする。まずいものでも平気な奴が多い。早稲田マンの奥さんはどんなものを出しても平気だから楽だろう。
昭和30年代にタイムスリップしたような食事だが、食べる場所はハイカラだ。天井が高く全体的に吹きぬけになっているような近代建築だ。さすが、「意匠の早稲田」と言われる建築学科がある大学という感じだ。こういう落差がいかにも早稲田らしい気もした。あとは夫婦子供づれで食事していたアジア人が多い。これはどういうことかな?たまたまかもしれないが。。。
慶応は日吉に行こうといっていたが、三田でいいということになり山手線で田町に向かう。
品川の自宅からだと都営地下鉄で行けるのでいつも三田で降りるので、妻も勝手がわからず「田町から何に乗り換える」のだという。田町イコール三田だよというと「あ、そう。」
中央通りの商店街を通って、幻の門に向かう。去年キャンパスに行った時、正門から入れなかったのであえてそうした。キャンパスには人は少ない。図書館と福沢諭吉先生の銅像の前で記念撮影した。この娘の記念写真を家に飾ったら、2年後うまくいくのであろうか?
教授たちがいるビルを一瞥した後、中心部にいく。新しい校舎は出来ていた。リクルートの服を着ている女子学生が数人目立った。今年も就職は厳しいのであろうか?とかく今の学生さんはかわいそうだ。学食はもう終了していた。山食はあともう少しで終わりという時間だった。食堂のふんいき自体は早稲田の方がきれいだ。
一度話題にしようかと思うけど、今の日経新聞私の履歴書の連載は日本画の小泉淳作氏である。彼は幼稚舎あがりの慶応出身だが大学は東京芸大だ。これが実におもしろい。先週日経新聞の夕刊は裏面に歌舞伎の中村翫雀氏、中にデザイナーの山本耀司氏の連載だった。夕刊連載の2人も慶応出身で、芸術の道に入った3人が日経新聞の連載だった。
小泉氏も中村翫雀こと林智太郎氏も幼稚舎出身者だ。2人とも6年一緒の恩師を紹介している。その気持ちはよくわかる。自分は大学からだが、大変お世話になった幼稚舎の先生がいた。人間の器が違っていた。福沢諭吉先生、小泉信三先生の素晴らしさと美食三昧、本物を見る目を教えてくれた。先日亡くなった歌舞伎の中村富十郎さんがその先生のことを私の履歴書で紹介していた。昔先生が亡くなった時葬儀の受付にいたが、政財界の大物が大多数来るのでアッと驚いた。
そのあと久々に横浜へ行く。石川町で降りて元町へ行く。キタムラ、フクゾー、ミハマという主要どころに入ったりするが、何も買い物しない。まだ娘には早いのであろうか?関心がなさそうだ。ユニオンのスーパーは新装開店となっていた。改装でもしたのであろうか?外人墓地の方へ石畳を上がろうとして、途中で挫折して中華街へ
中華街では急に妻が肉まんを食べたいという。注文してしばらく経ったら娘が桃まんといいだす。そこでケンカになって調子が出ない。時間が中途半端で「海員閣」にいったがまだやっていない。広東料理「楽園」へ行く。自分が好きな店だが、お客は少ない。自分の大好物の巻き揚げと野菜炒めと餃子を頼んだらおなかいっぱいになる。蒸し魚やもつ料理は断念。直前に肉まんたべているからね。妙にみんなと波長が合わず、中途半端に消化不良になりながら石川町から電車に乗った。
7月は自分の部署の成績は抜群によく気楽だ。
サマータイムはやらないので、会社も今年は定休のほかに6日間休みを取れという。今日16日も全休となった。
休みに入った後、妻と娘が妻の田舎から帰ってきた。
オープンキャンパスの宿題は学習院で終了しているが、いくつか大学へ行くことになった。
まずは早稲田に行った。高田馬場の駅に着いて、バスに乗ろうとしたら乗りそこない、地下鉄に乗ることにした。駅で降りてキャンパスへいく。久々だ。
大隈講堂の前で記念撮影したあと、大隈重信候の銅像の前で再度記念撮影
これでやることは終了、学習院で学食食べそこなったので学食へ向かう。
カツカレーを食べた。娘も同様。こういう形式で食べるのも久しぶりだ。でも何???って感じだ。
妻に言わせると、いわゆる昔の食堂に出るカレーという感じで懐かしいという。早稲田の学生は割と食に無頓着な学生が多いせいなのか?これで満足してしまうのは??普通だとありえない。確かに会社の早稲田出身者には、極めて例外を除くと美食家はいない気がする。まずいものでも平気な奴が多い。早稲田マンの奥さんはどんなものを出しても平気だから楽だろう。
昭和30年代にタイムスリップしたような食事だが、食べる場所はハイカラだ。天井が高く全体的に吹きぬけになっているような近代建築だ。さすが、「意匠の早稲田」と言われる建築学科がある大学という感じだ。こういう落差がいかにも早稲田らしい気もした。あとは夫婦子供づれで食事していたアジア人が多い。これはどういうことかな?たまたまかもしれないが。。。
慶応は日吉に行こうといっていたが、三田でいいということになり山手線で田町に向かう。
品川の自宅からだと都営地下鉄で行けるのでいつも三田で降りるので、妻も勝手がわからず「田町から何に乗り換える」のだという。田町イコール三田だよというと「あ、そう。」
中央通りの商店街を通って、幻の門に向かう。去年キャンパスに行った時、正門から入れなかったのであえてそうした。キャンパスには人は少ない。図書館と福沢諭吉先生の銅像の前で記念撮影した。この娘の記念写真を家に飾ったら、2年後うまくいくのであろうか?
教授たちがいるビルを一瞥した後、中心部にいく。新しい校舎は出来ていた。リクルートの服を着ている女子学生が数人目立った。今年も就職は厳しいのであろうか?とかく今の学生さんはかわいそうだ。学食はもう終了していた。山食はあともう少しで終わりという時間だった。食堂のふんいき自体は早稲田の方がきれいだ。
一度話題にしようかと思うけど、今の日経新聞私の履歴書の連載は日本画の小泉淳作氏である。彼は幼稚舎あがりの慶応出身だが大学は東京芸大だ。これが実におもしろい。先週日経新聞の夕刊は裏面に歌舞伎の中村翫雀氏、中にデザイナーの山本耀司氏の連載だった。夕刊連載の2人も慶応出身で、芸術の道に入った3人が日経新聞の連載だった。
小泉氏も中村翫雀こと林智太郎氏も幼稚舎出身者だ。2人とも6年一緒の恩師を紹介している。その気持ちはよくわかる。自分は大学からだが、大変お世話になった幼稚舎の先生がいた。人間の器が違っていた。福沢諭吉先生、小泉信三先生の素晴らしさと美食三昧、本物を見る目を教えてくれた。先日亡くなった歌舞伎の中村富十郎さんがその先生のことを私の履歴書で紹介していた。昔先生が亡くなった時葬儀の受付にいたが、政財界の大物が大多数来るのでアッと驚いた。
そのあと久々に横浜へ行く。石川町で降りて元町へ行く。キタムラ、フクゾー、ミハマという主要どころに入ったりするが、何も買い物しない。まだ娘には早いのであろうか?関心がなさそうだ。ユニオンのスーパーは新装開店となっていた。改装でもしたのであろうか?外人墓地の方へ石畳を上がろうとして、途中で挫折して中華街へ
中華街では急に妻が肉まんを食べたいという。注文してしばらく経ったら娘が桃まんといいだす。そこでケンカになって調子が出ない。時間が中途半端で「海員閣」にいったがまだやっていない。広東料理「楽園」へ行く。自分が好きな店だが、お客は少ない。自分の大好物の巻き揚げと野菜炒めと餃子を頼んだらおなかいっぱいになる。蒸し魚やもつ料理は断念。直前に肉まんたべているからね。妙にみんなと波長が合わず、中途半端に消化不良になりながら石川町から電車に乗った。