わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

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祈りはきかれる

2010-10-25 12:30:45 | 癒し
祈りは

きかれる

といいます

これは

本当なんです


ところが

ちっとも祈りが

きかれない

よくなっていかない

五井先生

どうなってるんですか

五井先生助けて

下さい

という声が

毎日のように

きかれるんですよね


そこで今日は

祈りが

きかれるということは

どういうことかということについて

少しお話してみたいと思います


この世もあの世も

つらぬいて

およそ人間の住む世界というものは

その人の想念どおりの

世界になっていく

ということは

これは

ひとつの厳然たる

法則なんです


たとえば

何がなんでもお金が欲しい

人の道に外れたって

何したって

とにかく

一億二億というお金を

かき集めたい


お金に対する執着ですよね

念です

そうするとその念でもって

一応金は集まって

くるんです

くることはくるけれども

それは

自分の念で集めたお金なんで

つまり

自我欲望ですよね

それでもって入ってきたお金というのは

重たいんですよ

祈りじゃなく入ってきますからね

それで

身につかないで

また出て行ってしまう

こういう

いうことをきかせるというのは

祈りじゃないですよね


祈りというのは

私はこれだけ辛い

だからできるならこうして欲しい

けれど

みこころのままに

っていうんで

預けちゃうんです

ゆだねてしまう


神様の方も

それが

まごころから

でてきたものか

そうじゃないかって

いうのは

よくみてますからね

こちらの都合ばっかり

いってるようだと

それはきかれないし

また

そういうのを

祈り

とはいわないんです


祈りがきかれる

きかれないというのは

それによって

その人の本心が

本当にひらかれ

その人自身が

みがかれてゆくかどうか

ということを

守護霊や守護神が

みていて

それでよし

となったら

きかれたり

きかれなかったりする

だから

祈りというのは

あなたまかせなんですよ


ただね

私心(わたくしごころ)ではなくって

自分の身に代えても

子どもを救って欲しいとかね

そういう

身命を賭した祈りの場合には

きかれることがありますが

本来

祈りというものは

神からわかれてきた

分生命分霊としての

自分に出会って

そして

神に感謝してゆく

というものですから

すべてを感謝してゆくなかで

その人に今

必要でないものは

与えられないわけなんです

守護霊守護神や

神様というのは

その人にとって何が必要で

必要でないのか

ということを

長距離ランナーの助走者のように

よくみているわけです


ですから

その人が

どうしても行きたい場所がある

ここに転勤したい

と思ってても

一番嫌な一番行きたくないところに

行かされたりする

そうすると

肉体人間というのは

すぐ

神も仏もあるものか

とおもったりして

そういうわけで

私なんかも

うんと恨み言しょってるんですけど

まったくこれを光にかえてくというのは

なかなかホネの折れることでね

これは冗談ですけど


そんな風に

今この人を

望みどおりに動かすと

この人の魂の成長にはならない

本心がひらきにくいって

むこうが判断したときには

これはてこでも動かないんだね

それで

祈りがきかれたきかれない

ということになるんです


人間が

その持っている想念どおりの

世界をつくってゆくというのは

そのとおりですけれども

心境というのは

微妙にかわるでしょう

一日のうちに

地獄に行ったり極楽に行ったりね

人間というのは

いそがしいんです

それで

移ろいやすい肉体人間の心を

祈りでもってしっかり浄化しながら

少しでも高い所へとみちびきたい

というのが

守護霊さんの愛念ですよ


この世で

そりゃあ色々なことがあります

だけど

人生の苦労というものを

味わって

人の苦労をしてね

その上で

それを

世界平和の祈りのなかに

投げ込んで

みんな消えてゆく姿だ

守護霊さん守護神さん

ありがとうございます

とかえしていったら

絶対悪くなりっこないんです

それだけ

光になってゆくんですから


祈りというものの

真実のすがたを

求めながら

世界平和の祈りを

唱えつづけてゆくとき

本心がひらき

そして

一人びとりに

もっとも必要なものが

与えられると同時に

しっかりと

私どもは

神の愛に

抱かれているのであります