わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

病院の職員からの質問(5)

2015-12-31 07:00:05 | 癒し
 (質問) じゃあーうちの病院から二人
来てますが…?

 
 (答) 患者さんも、家族の人も、職員の人も
全部来ている。その病院が建つまでの土地の
縁もあるでしょう。
 例えば、その病院に、もし呪縛霊的な執着が
あって離れられないというようなものがあった
とすると、それも全部浄められてゆくわけです。
 だから、あなた方が来るということだけで、
あなた方が動くだけでパァーッと浄められて
ゆく。だから何も考えなくてもいいんです。
 力まなくてもいいんです。神様がして下さる。
 そういうものなんです。ですから、成就
するんだ、大丈夫だと思ってやること。自信を
持ってやること。

 しかし、肉体人間の私がやろうと思っちゃあ
だめです。そういう力みが入ったら、汚れ、
にごって、苦しくて、業しか来ない。私が
背負いましょうとね(笑)、私が何か
しましょうと思うとね、それはものすごく
しんどいんです。肉体だからすごくしんどい。
 受けなきゃならない人もあるけれど、
みんながみんなそれをやる必要はない。みんな
それぞれの持ち場で、何ごとかを分担して
やっているわけでしょう。

 ですから、みんながそんなもの背負って、
十字架を背負ってやることはない。その為に
私が来たのだから。
 五井先生と呼べばいい、神様って呼べば
いいし、守護霊様、守護神様って呼べば
いいんです。それでみんなつながって
行くんだから。何もこれをやらなくちゃっと
思ってやる必要はない。何をしたって、目標を
定めてどうだこうだと思ってやる必要は全く
ない。時期が来たら、それは成る。

 300、ここに有るとしたら、ここで撒か
れる為にある、どこかで、その時期にまかれる
為に300ある。300をどうしよう、なんて
思うと捌(は)けませんよ(笑)
 500どうしようと思ったって捌けません。
 1000来てどうするなんて思ったら、
こりゃ捌けませんよ(笑)ね。成るように
成っているから成るんです。たとえそれが
計算違いのようにみえても、来るようになって
いるから来る。(笑)だから、それを待って
いればいいのね。祈りながら待っていれば
絶対そのようになる。力んでする必要は
ないんです。

 その為に四次元の光を降ろしたんです。
 それで、光が通りやすくなってる。例えば、
普及活動というのは、入会をすすめることでは
なくて、人間がこういう風に生きて行ったら、
光の生命になりますよ、みんなそうなるん
ですよということを広めてゆくということ
でしょう。一つの宗教が大きくなるために
普及活動するのであれば、そんなものは解散
した方がいい。それは神様のみ心の中に
入らない。

 神様のみ心というものは、大宇宙の大調和
であり大愛である。その光が人間の心の中に
ふり注がれて、人間の本来の生命へ帰るために、
世界平和の祈りというものが宣り出されて
こちらへ来たんだから、そこへ帰って行く
ための運動でなければいけない。
 一つの宗教なんて、役目が終われば解散
されていいわけです。世界人類というものが
神様につながっていて、神様から分けられて
来た生命であるということを喜び合える、
その為の援助として我々が祈りの先達として、
パイオニアとして新しい世界の先達として、
ここに居るんだという、ただそれだけの話。

 しかし、他の人に比べて偉いとか、他の
人達は心境が低いとか、そんなことを思う
権利は誰にもない。みんな平等な神様の愛児
なんだからね。先程も申し上げましたように、
これからは、人間対人間、国対国とかいう
レベルではなくて、この地球の、宇宙すべての
ものが神様の息によって造られている、愛に
よって造られているのだから、みんなが等しく
それぞれ分かれて来た生命だというところへ
思いを致して行くと言うことが、本当の意味で、
世界平和を来たらせることになるわけです。
 ですから、この先生がこう言ったあの先生が
こう言ったとか、そんな小さなことに思い煩う
ことはない。放っとけばよい。
 肉体人間ですから、時に間違うこともあるし、
時にややこしい中に巻き込まれることもある。
 色々なことがありますよ。しかし、それも、
神様の大きな目から見たら、朗らかなもので、
それ自体はかわいいものです。
 何を忘れてはいけないかというと、祈りを
忘れてはいけないという事です。それだけです。
 非常に単純なことです。ですからその単純な
ことを日々実行して下さい。

WPPC(World Peace Prayer Ceremony)について

2015-12-30 07:51:03 | 癒し
 (質問) WPPCについて、今はこれが中心
となっていますが…。


 (答) WPPCというのは、形式的な説明
から始めれば、世界平和の祈りを世界の人達に
広めようということなんですけれど。

 実際は、世界人類というものは、その
世界平和の祈りというものを本体では
知っていて、一緒に祈るというそういう時期を
皆が待ち望んでいる。それは会に入る入らない
にかかわらず、その人の魂が知っている。本体が
知っている。だからその先がけとして、ある一団
の人達が祈っているけれども、縁として、その
時期々々に一緒に共に祈って来たけれども、今や
世界のみんなが共に祈ってやってゆく時期に
突入して来ている。

 ただし、我々は毎日毎日祈り込んで来て
いますから、他の人よりは身体が微妙に
なっている。同じ肉体を持っているけれど、より
感じやすく受けやすくなっている。波動が細かく
なってるんですね。

 色々な人たち、様々な信条、思想を持った
人たちが参加して来ますが、世界平和の
ものすごい平和の光を浴びると、
一時(いちどき)に波動が細かくなる。すると
粗いものがフヮーッと出る。その粗いものを
あなた方が受ける、そして洗濯をするのね。
 洗濯石鹸の粉ですよ、あなた達はね。色々な
汚いものが出てくる。それを洗濯してあげる。
 WPPCとは、そういうものね。
 洗濯されてきれいになって、気持ちが
よくなったなあーとね。

 それぞれの人々の本心の中に、世界平和の
祈りの種がまかれて発芽してゆく。その時に
一緒に一回でも二回でも共に祈ったことに
よって、その人の奥深く魂が覚醒されてゆく。
 それから先、もし一生祈らなかったと
してもね、世界平和の祈りの光明は、その人の
生命をつき動かしてゆき、その持ち場持ち場で、
神様が愛行をその人になさしめようという、
そういうものなんです。ですから、例え参加
して祈って、その後忘れて通り過ぎても、
それでもいいんです。
 ある家族の一人が来て祈ると、他の家族は
知らなくても、魂的に見れば、霊的に見れば、
他の家族も一緒に引き連れて一緒に祈っている。
 本体は全部わかっている。だから来ようと
来まいとどっちでもいいんです。一人の人が
つながったということは、その家族全部が
つながったということ。会に入る入らないは
全然問題じゃない。もし全員を会員にしようと
思ったら、戦争しなくちゃならないね。(笑)
 今、ソ連だってユーゴだって、民族問題で
あれだけやってるということは、長年の積年の
恨みだとか色々なものが吹き出してきて、もう
自分達でやりたいという、民族自立の思いが
吹き出して来ているから、ああなって
いるんでしょう。

 ところが、世界平和の祈りというのは、
それを全部一つにしてね、統一するというん
じゃなくて、我々は神と共なる生命だから
一緒に祈りませんか、という、そういう
ことですよ。ですから、それぞれが違っていい、
だけれども一つになりましょう。神によって
一つになりましょう。神の愛によって一つに
なりましょう。それが世界平和の祈りです。
 だから参加人数は問題じゃない。その人の
過去世の縁によって、ある一人の人が
結ばれると、その人の縁につながるすべての
人の魂が、霊体がそこへ来るのね。霊体で
参加して、ネズミ算式に増えてゆく。こういう
ネズミ講はいいんです。とってもいい。(笑)

病院の職員からの質問(4)

2015-12-29 08:31:30 | 癒し
 (質問) 心構えとしては、何も来ないという
信念みたいな、善念を起こすということですか…。


 (答) 念じゃだめ。念ではなくて、やっぱり
信仰を持つこと。信念ではなく信仰を持つ。
 自分が祈る時に、自分を強くして下さいと。
 強くやさしくして下さいと祈る。何があっても
強くたくましく岩のようにと祈ると、ただ強い
自分だけが出て来て片寄ってしまうけれど、強く
やさしくという祈りだと、そこにやわらぎの心が
出てくるでしょう。やわらぎは平和ということ
ですからね。

 やわらぎを忘れて、ただ平らかになるという
ことだけが平和ではありません。ブルドーザーで
いくらでも道は平らに出来る。だけど、それで
草木をなぎ倒して、生命を根こそぎにすることが
神様のみ心ではない。人間だけが生きればいい
というものじゃないでしょうね。すべてが神様の
息づきの中にある生命なのだから、人間だけが
救われればいいというのでは本当に平和に
ならない。動物も植物も海も山も空気も、すべて
神様のものであって、我々人間もそこに共に
生きる生命であるから、共存して行かないと
いけませんでしょ。
 神様と共なる生命なんだけれど、神様と共なる
生命は、神様対人間だけじゃあない。
 全部がそう。全部が生きている。そういう
地点に立ってやってゆくと、平和にならざるを
得ないですね。やわらぎを持たざるを得ない
ですね。人間がって思うから、私がって思うから
大変になり変なことが起こってくる。

 斎藤秀雄さんがここで書いたでしょ、「俺が
俺がの我を捨てて、おかげおかげの下(げ)で
暮らせ」とね。みんなが生かされている。みんな
というのは人間だけではなくて、天地のすべて
万物が宇宙そのものが生命であり、それがみんな
鳴り響いていて、その宇宙全体の中に、世界平和
の祈りが鳴り響いていて、我々はその響きの中の
一つの粒子として、個性を持って生きている、
生き通しの生命だということを忘れてはいけない。
 そういう風に思える時に、そういう風に信じ
れる時に、人間というものは本当に解放されて、
本当に朗らかになってゆける。人間の本当の
真性(神性)、朗らかな真性(神性)という
ものがそこに現れて来る筈です。

 何度も言いますけれど、人間というのは、
チャチなものではない。天地、万物、宇宙、極天、
極地、全部を貫くーそれ位の存在なのです。
 だけれど今は、この地球という所にいて地上に
いて、肉体というものをまとい、飲んだり
食べたりしゃべったりしている。この小さな
ことも愛するようにならないと、生活という
ものも大事にしてゆくようにしないと、同時に
天地を貫いてゆく宇宙を貫いてゆく、タテにも
ヨコにも縦横無尽に朗らかに現れてゆく自分が、
その生命だということがなかなか思えなくなる。
 だから、小さなことを大事にしないと
いけません。ささやかなことを大事にしないと
いけません。謙虚であって欲しいし、感謝を
忘れないで欲しい。そういう思いで世界平和の
祈りをしてゆくと、スーッとエレベーターに
昇ってゆく。感じなくても、天界の霊人と一緒に
祈りをすることになりますね。

病院の職員からの質問(3)

2015-12-28 08:39:12 | 癒し
 (質問) いつも霊光写真を痛いところへ
当てて、世界人類がーとやっていますが…。

 (答) 世界人類がーでいいんですよ。


 (質問) 投げ出したつもりでも、やっぱり
半分は恐かったり、治してもらおうという
気持ちが強くてー

 (答) それでもいいから、世界平和の祈りを
したり、霊光写真も持っていれば、いい加減な
ところは消してくれますからね。
 人間というのは、いっぺんに強くなれない
けれども、本当は強いんですね。その強さを自覚
して欲しいのです。強くなって来たなという
のではなくて、すでに強いんですよ。すでに
たくましいんですよ。
 元々人間は神様の器ですから、肉体なんていう
チャチなものではなくて、その奥に大変なもの
霊妙なものが存在している訳でしょう。そういう
存在なんですよ、だからりきまなくて
いいんですよ。フワーッとしていればいいんです。
 それが私の教えですよね。ですから何でも
出来る。不幸も来ないということでね。でも、
やっぱり自分が迷ったり悩んだりするのね。

病院の職員からの質問(2)

2015-12-27 10:32:44 | 癒し
 (質問) 例えば、毒性のものが体内に入った
場合、祈り心でもって流したらいいんですか。


 (答) いいんです。何も気にする必要ない。
 天と地をつなぐ者に書いたでしょう。結核の
膿(うみ)をさわったその手のままで食べても
何ともならなかったと。あれは、自分がもし
神様の御用を何もしなくていいんだったら、
そこで、死んでもいいし、生かして下さるん
だったら、まだ生かして下さるだろうと思う
つもりで治療してるから、何にもならないのね。
 恐いとか、どうしようとか、そういうものが
有ると、つけ入られるんです。

 どういう風にしようと、たとえ無菌室で
仕事をしていようと、そこで自分の中にふっと
迷い心なんか出て来ると、それが細菌という形
をとって中へ入って来ます。これだけの事が
あったのに、なんで私は神様に守られなかっ
たんだろうと。でもそうじゃないんですね。
 やっぱり迷ったところに乗じて何かがふっと
取りつく。そういう時に、肉体がふっと
弱まる時、弱まらない為には、やっぱり祈って
ゆく。どうなっても構わないと投げ出す。