わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

神というもの祈りというもの

2012-02-29 09:13:01 | 癒し
神が
公平な
方であるのは
これはもう
うたがいがありません
実に平等
実に公平

どういう風に
公平かというと
とにかく
前の世の中での
借金を
守護霊や
守護神に手伝わせて
全部かえさせちゃう
ね、
これは
一人のこらず
そうさせて
みんなを
きれいな
からだにするんです
何も
イレズミなんか
消さないけどさ
すっきりとした
光そのものの
いのちにして
いつも
この世に生きていることを
少々辛いことがあっても
ああありがたいな
ありがたいなと
おもえるように
するんです
そして
もともと
人間はみんな
光なんだから
その自分のなかの光に
目がゆくようにするんです

そんなこといっても先生
うちは災難つづき
不幸つづき
つまずいてばっかり
いて
そんな
すっきりした生命
なんてもんじゃない
いつも
つっかえ
つっかえ歩いてる
前世の
借金返しなんか
どうでもいいから
今を楽にして下さい
という人がよくいるけど
なかなか
神様という問屋は
そうはいかないんだ

転んだ
つまずいた
けがをした
ってのは
それは
私がいつもいっている
消えてゆく姿でね
とらわれていると
業なんざ
いくらでも飛び込んでくる
払っても払っても来る
実にしっこいものなんです
だけど
神様の愛とゆるしの方が
もっとつよくて
とにかく、どんな業があっても
それを全部
消してしまうんだね

ただ
人間は
この地球上で
肉体をまとって
生活する内に
とらわれたり
不安がったりする自分を
自分だと
おもっちゃってからの
時間がながいですからね
もともと
人はみんな光だ
霊だっていっても
ピンとこないんですね
そんなピントの外れた話より
金がもうかる話をきかせてくれ
なんて
今の人は大概みんな
そういっちゃうでしょ
いやほんとうに
だからもう
ただ口で言葉で
説明したって
とっても追いつかないですよ
そこで
祈りというものが必要になってくるんです

祈りというのは
いのちを宣り出すということで
簡単にいえば
自分の肉体をはじめとして
自分というものを
生かして下さっている
いのちの元の光を
自分の奥にかがやいている
本心のなかにたずねて
そこで
自分のふるさとを確認する
ということですけれどね
ですから
祈りっていうのは
自分自身のすがた
その本体を確認するってことですけれどさ
自分で自分をおがむ
っていってもいいんだね
だけどみんな
迷ったり不安になったりしている自分を
自分だとおもってるから
そんな頼りない
こんな不確実な
自分なんかおがめない
とおもっちゃう
ね、そうおもう

だけど私のいってるのは
釈迦やキリストがいったのは
そうじゃない
この私というものを
生かしめているものをずっとたどってゆく

神の息吹き
神の光になる
それをおがめ、なぜならあなた方は
仏子、光の子なんだから
といったんですね

で、
祈りというものは
今は
思いわずらいとか
業とかにおおわれてはばまれて
すっかり
姿を消したかに
みえる
その光を
引き出して
祈ってくうちに
そうだ
自分のなかに
こんなしずかで
おちついた
世界があったんだ
光にみちた
世界があったんだという
そういう
真実の
自分自身との
出合いの場なんです

そうして
祈ってゆくことによって
みなさんそれぞれの
霊性というものが
みがかれてゆく
なぜなら
祈りに入ったとたん
それはものすごい
円光が
白光が 
あなた方をつつんで
平和の祈りのなかで
ずっと高い世界にまでのぼって
いのちのせんたくをして
そうして又
おりてくるんだから
何べんも何べんも祈ってるうちに
たましいがすっかり
きれいに
そうじをされてゆくんです
気をかえて
そうして
朗らかに
生きてみようかなと
おもうようになる
それはもう
実に不思議なくらい
そうですね

だけど
神様ってのは
とにかく
一人のこらず
みんなを
救うんです
とりあえずそうじするための
その入口として 
平和の祈りがあるとみんな
おもうでしょう
だけど
死んでみりゃあわかるけどさ
みんな
とにかく
ずっと祈り放しなんです

人間というものは
肉体を脱いで
幽界をとおって
そして
霊体になって
霊身になって
そこでも
いろんな
自分を
すなおにするための
修行場があって 
だんだん
だんだん
微妙な
からだになっていって
すきとおっていって
でも
最後まで
私たちは
祈ってる
世界人類が平和でありますように
とやってるんです
ここで
おわりって世界じゃない
なぜなら
祈りは
神からおろされた
愛のエレベーターで 
その
神の愛は
はいこれでおわりって
もんじゃないでしょ
無始無終ですよ
ずーーっと永遠に愛愛愛で
ゆるしの光を
放ちつづけているんです
そうすると
人というのは
神様から分かれてきたもんだから
だから
これでおわりってことはあり得ない
製造元がおんなじなんですからね

だから
祈りっていうのは
世界平和の祈りっていうのは
神が
わが子を
いちんちもはやく
自分の生まれたところへつれてきて
お前さんはここで生まれたんだ
そして
ここまで道案内してきた
私はあなたたちの
親なんだってことですね
そういう
ことが
わかるように
出来てるんだね

だから
なんにも
心配せずに
全部あずけて
一生懸命
神様を
おもって
祈ってゆけば
みんなそれぞれ
ああ私は
生かされてるんだなあ
という
よろこびが
おのずと
湧いてきますよ
それも
一人一人にあった
経験をさせて
そのなかで
みんなが
ああそうか
ああそうか
って
登れるように
登りの階段
光の階段を
上ってゆけるように
神様は
ちゃんと
何もかも
用意して下さって
いるんです

だからね
だから
なんにも心配することは
ないの
何にも
心配しないで
五井先生を
呼んで
世界平和の祈りを
して下さい
毎日毎日
ねてもさめても
とにかく
気がついたら
祈ってください
私を呼んで下さい
私が
みんなを
光の世界へ
つれてゆきますから
愛の世界へ連れてゆきますから
 
いいですね
それではどうも
ありがとうございました
           平成2年1月6日
 

世界平和の祈りは ゆるしの大光明

2012-02-28 12:50:40 | 癒し
祈りというものの
不思議さ
人は
祈りのなかで
光につつまれ
歎きや
苦しみや
いかりや
もろもろの
わずらいを
しずめられる

沈黙し
祈りのなかで
守護霊をよび
守護神をよび
神をよんでゆくうちに
いつのまにか人は
きよめられるのだ
もともとの光明が
おのずから
かがやき出すのである

人は
祈りのなかで
すべてを語り
すべてを
ゆるされてゆく
ゆるしの光が
あなたがた
一人一人を
とらえて
はなさない
それが
神の愛
みずから
誰をも
あざむくことのない
深い深い


すべての人は
神からわかれてきた生命
光のすえである
あなた方を
神があざむく
筈がない

神はいつも
あなた方に
ゆるしの光を
放って
大愛という
宇宙の大元の光に
至らせようと
懸命なのだ

世界平和の祈りは
このゆるしの大光明
大愛へと
むすばれてゆく
祈り
神とともに
私とともに
平和の祈りを祈るとき
そこに
愛と智と
真善美の
世界
すべてを
愛でむすび
すべては
愛で結ばれている
真理が
あらわれずには
おかないのだ
          平成2年1月6日

一人として救いにもれる人はおりません

2012-02-26 11:26:56 | 癒し
ゆるし
ゆるされる
というのではなく
はじめから
朗らかに
神様に抱かれている
生命
というものについての
礼拝(らいはい)を
おこなうのが
祈りなのです

肉体にまつわる
おもいはそのままに
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様守護神様
ありがとうございます
という
世界平和の祈りのなかに溶け込んでゆくと
そこはもう
自在心の世界なのです

あらわれの世界では
覚知し得ない
霊妙な波動が
あなた方をとらえ
あなた方の
霊身を
すっかり浄めてゆく
守護の神霊の
愛念と
慈しみの波とが
光となって
あなた方のなかに
ながれ込むのです

人は
そのとき
ひとりでに
自覚せざる霊人となり
宇宙としての人間の真性を
発揮させてゆくのであります
一人として
この救いにもれる人はおりません
それは
ゆるされない罪というものが
存在しないからであります

本来
神の分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)である人間は
その七極の光を
直霊よりとり
世界(宇宙)
にむかって
その光を
ふりまいているのであります
金星をはじめとする
先輩星達の
霊人は
みな
神智神愛の霊光によってつつまれ
生かされている生命であることを

地球人類に語りつぐとともに
その崇高な
光を
私どもに
なげて
一挙に
地球と
地球に生きる
人類の進化を
成し遂げようと
世界平和の祈りのひびきのなか
たえまなく
愛の手を
差しのべ
私達一人ひとりを
支えているのであります

自覚せざる霊人から
自覚せる霊人へ
世界平和の祈りという
すべての
神々が
愛のうちに働かれる
この祈りを
はしらとして
私達は
彼らとともに
地球の平和を今
にないつつあるのであります

すべての不思議は
神の愛によって溶かされ
あらそいはやみ
業想念を消え去らせる祈り
世界平和の祈り言をささげつつ
私達は
私達のいのちをそのままに
生かしめ
いつくしみ
遂に光一元となってゆくみちを
間違いのないみちを
歩いているのであります

世界平和は成る
かならず成る
人類の調和と
宇宙の星々との
愛の連けいのなかで
世界平和は
成ってゆきます
この地球が
宇宙の一つの星として
白光をかがやかし
神の愛のなかに
ながれ入る
一すじのみちを
歩き出した
世界平和の祈りは単に
地球一個の平和を祈るいのりのすがたを脱いで
宇宙の平和と調和を祈る
絶えざる
宇宙人類一人びとりの
進化をはかる祈りへと
その本質を
あらわしはじめたのです
それは
あなた方の
絶えざる
祈りが
そうさせたのですよ
おめでとう
よく祈ってくれました

益々 
私どもは
光一元のみちを
平和の祈りとともに
歩んでまいりたいものであります
世界人類が平和でありますように
          平成元年12月15日 夜

ゆるしについて 序

2012-02-25 10:30:57 | 癒し
 ゆるしは神の愛であり、人間は
この愛によって生かされていること、
そして、このゆるしというものの
奥深さについて私は語ったつもりである。

     平成2年1月6日
            五井 昌久