わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

みんな光の子ども(11)

2018-05-31 08:42:26 | 癒し
       (前日から続く)
 例えば、私こんなふうに見えるようになった、
聞こえるようになった人、さわって治療
出来るようになった、そんな人が確かに
これから増えるでしょうが、そうそんなには
増えないでしょう。バランスが大事ですからね。
 普通に御飯が炊けて、普通に子供を愛し、
学校に行く子供もいれば先生もいる。会社に
行く人もいないとこの世の中、成り立って
いかないでしょう。だから、それぞれの役目
というか、そういう当たり前のことをしながら、
少しずつ皆んながその力を蓄えて、いざという
時には、皆んながパワフルになって、心身共に
全開になって、宇宙のエネルギーと一つになり、
この地上を宇宙と一緒に平和にしていく。
 そういう大きな働きが出来るように、
その先駆けになる人達が何人かいる。私も
そうだったし、先覚者の人たちもそうでした。
           (翌日へ続く)

みんな光の子ども(10)

2018-05-30 08:04:49 | 癒し
       (前日から続く)
 そのくらい強烈な波動だから、それを少しずつ
少しずつ、肉体の死がないように、あなた方の
体が壊れないようにしながら、でも五井先生
と同じように成れるように、今霊界神界で
やっていることはそれなんです。
 そのために、あなた方が世界平和の祈りを
唱えて下さると、それはものすごくやりやすく
なる。こちら側でやりやすくなるんです。
 何故かというと、神様のみ心から出てきた
世界平和の祈りだから、我というものが
無いし、業も無い、ただただ輝き渡っている。
 真理の光に満ちている。愛と平和に満ちて
いる。そういう世界平和の祈りを唱えて
下さると、こちら側での作業が非常にしやすく
なるんです。
            (翌日へ続く)

みんな光の子ども(9)

2018-05-29 09:10:37 | 癒し
       (前日から続く)
 そして事実、明るい方へスイッチをひねって
ゆけば、どんどん神様の方に切り換わって行き、
宇宙神の方へ切り換わって行ってる。
 何もあなた方が、死んでわざわざ向こうへ
行かなくても、今ここにいて向こうとつながる
ような、そういうからだにみんながそれぞれ
少しずつ変わっていっているんです。目に
見えないけれども。それが何故
緩慢(かんまん)にしかゆるやかにしか
現われてこないかというと、本当に霊波動
というのは苦しいものなんです。死ぬような
苦しみが来るし、心臓は止まるし、そういう
ものですね。それがみんなに今強烈におそい
かかったら、この世の中で生きていくことが
出来る人は本当にわずかしか残らない。
          (翌日へ続く)

みんな光の子ども(8)

2018-05-28 10:41:11 | 癒し
      (前日から続く)
 聖ヶ丘統一会に行かなくても、「ああ
聖ヶ丘 五井先生」と思えば、あなた方の奥の
からだはもう聖ヶ丘へ行ってる。統一会に
出てると同じことなんです。それだけの
信仰心を持つということが大事です。統一会や
錬成会に出ないと駄目なんじゃないかと
思う必要はないので、神様は人間をそんな
チャチには造ってないんです。ましてや、
これから生まれて来る人達は、今生きてる
あなた方も、そういう把われやこだわりを
無くして、いかに自分が朗らかになるか、
周りを朗らかにするか、明るくするか、素直に
するか、誰よりも自分が素直になっていくか、
神様に素直になっていくか、そのことの
修行のために生きているようなものです。
         (翌日へ続く)

みんな光の子ども(7)

2018-05-27 08:50:13 | 癒し
       (前日から続く)
 この世の中は全部循環になってましてね、
その人の一生、何百生もある中の一生
なんだけど、その一生が今度はキチンと神様に
つながって、神様の働きを喜んでするように、
そういう計画のもとに、皆が生きたり
死んだりね、入れ替わったり又生まれて来たり
しているんですね。

 今からの世界というのは、もう骨肉
相食(あいは)むという状態ではないところへ
進んで行くんです。それは、人間の我だとか
想念だとかに任せていたら、もとへ戻って
しまうけれど、我々だけじゃなくて、宇宙の
星々からもいろんな援助がある。目に見えない
世界から高い援助がある。その高い援助の
中で、我々が共に祈って共に光を降ろして
いく、祈るということは、この地上に光を
降ろすということなんですね。一回祈ると
本当にものすごい範囲の中に光がポーンと
降りる。そして目には見えないけれども、
光の子供の自分がいろんな所へ行って
浄めたり祈ったりする。
          (翌日へ続く)