わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

80年90年のいのちが何なのですか

2012-01-31 10:16:56 | 癒し
神様の
世界には
誰がどうしたとか
こうしたとかいう
思いわずらいは
ありません
みんな
子どもなんですから
ただ
ひたすらに
神様の
光を
受ける器
神様の
愛を
受ける器として
その人が
空っぽに
なっているか
どうか
それだけ
なんです

私なんか
ずっとずっと
空っぽ
何にも
ありゃしない
智恵も力も
必要に
応じて
その時々に
神様が
下さるもの

私はただね
自分を
働きの
場として
いつもいつも
色々なことが
受けられるように
何がはいってきても
大丈夫なように
自分のうちを
きれいにしてね
何もかも
なくして
おく
そのために
祈りつづけて
いるんです
本当ですよ

世の中の
富や
地位が
この
魂の
何の
役に立つんですか
そりゃ
人間ですもの
いいものを
食べたい
いいところにいたい
尊敬されたい
そりゃあそうです
居心地がいいものね
そういう気持ちを
いたずらに
否定するんじゃないんです
だけど
神様の御用にたたなきゃなんない
人間は
本当をいえば
この肉の身が
滅しないだけの
ものを喰べて
飲んで
そうして
神様の
みこころを
そのままに
素直に
うつしてゆく
そういう
愛の
働きを
なしてゆくものなのです

80年
90年の
いのちが
何なのですか
それは
肉のいのちです
人間は
ずっとずっと
明るいいのちを
生きつづける
永生の存在
なのです

だから
こだわりや
とらわれを
すてて
とにかく
神様に
今の
この
自分の
身に
受けて
いる
いのちを
感謝して
世界平和の祈り
のなかに
あなたのいのちを
かえして
いって下さい

やさしい
こころは
すべてを
とかして
いきます
やさしさは
神の愛
だからです
人間は
この
神からの
贈り物である
やさしい
こころを
みんな
持っているのです

もっと
もっと
自分を愛し
いたわって
やさしい
こころを
やさしい
こころの
なかにある
神の光を
ふりまいて
下さい

神が君のいのちを必要としていらっしゃるのだ

2012-01-29 10:36:44 | 癒し
君よ
神の
よぶ声が
きこえないか
大きな声ではない
ささやくような
声だ
しかし
確かに
君を
呼んでいらっしゃる
声が
きこえないか

神が
君のいのちを
必要と
していらっしゃるのだ

起て
さあ
ゆこう
神の
み前に
この
いのちを
ささげるために
            昭和62年2月2日

こころにおりたあなたよ・・・

2012-01-28 09:40:51 | 癒し
あなたの
こころに
たずねよ
何が
正しくて
何が
よこしまな
ことであるかを
迷い出でなば
ただちに
こころに
おりよ
こころに
おりてゆくほどに
こころは
光の世界である
ことが
わかるだろう

しずかに
しずかに
神の前に
ひたすらなる
祈りを
ささげている
あなた自身に
出合うだろう
そのからだは
光にみちて
一点の
迷いも
惑いもなく
ただ
神への感謝と
とこしえの
いのちの流れへの
深い
祈りが
あるばかり
ちっぽけな
おもいは
光の
あなたの
前に
うちくだかれて
しまう

あなたよ
こころに
おりた
あなたよ
正しきものも
よこしまなるものも
そうした
一切の
とらわれや
人の
おもいを
超えた
愛とゆるし
こそが
大調和という
神のみこころの
源では
なかったのか
こだわり
とらわるる
肉の身の
おもいを
捨てよ
そして
そのまま
世界平和の祈りを
行じてゆこう

あなたは
今日から
私とともに
光かがやく
いのちと
なるのだ
     昭和62年2月2日

愛し愛されるよろこびを知るものが人間なのです

2012-01-27 11:55:55 | 癒し
人が
人を
愛すると
いうことは
心と心
本心

本心

あわせて
自分のなかに
ある
また
相手の
なかにある
さわりのない
ひかりそのものの
いのちを
愛する
ということなのです

神は
人間を
愛するように
つくられている
のです
愛し
愛される
よろこびを
知るもの
それが
人間なのです

心は
本心は
いのちの
本源から
放射される
かがやくばかりの
神の人間に
対する
愛念を
送って
人の
愛の
おもい
愛の
はたらきを
つよめ
たすけるので
あります
愛することが
仕事
なのです

辛いことも
ある
怒りに
ふるえる
ことも
ある
けれど
それらは
みな
愛する
こころ
愛される
よろこびが
つよめられるための
過ぎゆき
消えてゆく
姿なのです

本当に
自分を愛し
人を愛するには
人は
大いに
傷つき
傷つけられ
血をながさなければ
なりません
そうすることに
よって
真実に
よわさを
持った
人のこころを
身に沁みさせる
ことができるからで
あります

誰も
傷つきたいと
おもう
人は
一人も
いないけれど
傷つくことに
よって
傷つくことの
かなしみを
傷つけられる
ことの
寂しみを
深く知ることが
できるのであります
人に
また
人の心というものに
やさしくなる
ことができるのであります

傷つき
傷つけられる
ことを
おそれて
ただ
自分を
高みにおき
神を
よびつづける
というのは
それは
おかしな話です
魂の
進化に対する
うえかわきに
目を閉じて
ゆくことになるのです

こころを
深くすること
どこまでも
どこまでも
朗らかな
本心の光を
たずね求める
旅を
消えてゆく
姿と
世界平和の祈り
を行じつつ
おこなう

日々の
一瞬一瞬の
自らの
気持ちの
移りかわりにも
やさしく
目をそそぎながら
いかなる
苦をも
いかなる
いたみをも
ただ
神様
ありがとうございます
という
感謝の
祈りに
かえて
自分を
人を
自らの
魂を
したいよる
人々の
魂を
ともに
神の愛に
ゆだねて
祈りのうちに
歩いて
ゆくこと

愛し
愛されるよろこびを
そこから
感じ切り
また観じ切って
日々を
生きてゆくこと
これこそが
祈りの光に
てらされた
私どもの
また
すべての
人々の
真性であり
本来の
姿なのであります

ともに
神の愛と
神への愛という
二つながらの
光を
受けつつ
すすんで
参りましょう
           昭和62年2月2日