わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

人間 神の子論が暗示にならないように(2)

2022-08-31 09:16:37 | 癒し
      (前日からの続き)
人間神の子、人間神の子、確かにね、
そう言ってれば、何か落ち着くようなことを
感じる人もいるかもしれないけれども、自分の
生活は落ち着いていないし、性格もイライラして
良くないし、こんなのどこが神の子なのかなあ
と思う。
でもそれは自覚が足りないからだという。
それだけじゃあ駄目なの。
それだけじゃあ、やっぱり〇〇さんが
言うようにね、暗示になっちゃう。

そこが説明が足りないと言ったのは、
さっきも申しましたように、世界人類が平和で
ありますようにという中へ、私たちの想いも
願いも、足らないという想いもね、いろいろな
苦しみも悲しみも、全部放り投げて、そして
光になっていく。
光のエレベーターである、世界人類が平和で
ありますようにというこの祈りを、我々は
持ってる訳でしょ。
ね、教義も持ってる訳ですよ。
で、いざとなったら、五井先生という
呼びかけを持っている。
それは、伝家の宝刀(ほうとう)じゃ
ないけども、その祈りを土台にして、そこを
土台にして、私たちが神の子なんだと
思うことは、決して暗示になって
いかないんですね。

その時に、我々は本当に、この世の中の
現われが良いものであるにしろ悪いものである
にしろ、みんな消えてゆくものなんです。
過去世からのものが消えてゆく、悪いものも
消えてゆく、良いものも消えてゆく。
そして、本当にただ一つのもの、神様の愛、
それだけが残る。
そして、その神様の愛が私たちを生かしている。
その信仰と言いますか、想いと言いますか、
光の言葉と言いますか、そういうものだけが
残るんですよ。
本当のことを言えばそうなんです。

だけど、そこへ行くにはなかなかね、人間は
肉体を持ってますと、なかなか行けませんよ。
〇〇さんが言ったようにね、いろいろなことを
思ってしまうし、いろんな悩みを持ってる人が
あるね。
先程の話じゃないけど、交通事故にあう人もある。
その時に、人間神の子のことを思えと言ったって、
なかなか思えないです。
それだけでは強迫になっちゃうし、強制に
なっちゃいますよ。

そうじゃなくてね、人間は本来神の分霊である
というあの教義ね、そして、消えてゆく姿という、
一番の消しゴムを持ってる、人類の業を消す
消しゴムを持ってる、あの教義と祈りという
ものを根っこにしていく。
私たちの肉体はそうは思えないけど、我々の
真性は、本当のところは神の子なんだと。
そうらしいと。
だから、五井先生がそうおっしゃるんだから、
昌美がそう言われるんだから、一回、自分の
中を統一してみよう、祈ってみよう、ね、
五井先生の口笛に柏手に、その想いを流れに
乗ってみようとね。
その想いを呼び寄せてみよう。
すると、そこの家人になるんです。
         (つづく)

人間 神の子論が暗示にならないように(1)

2022-08-30 10:44:14 | 癒し
これは、非常に大事なことなので申し上げ
ますけど、人間神の子論ですがねえ、これは、
私が生前から言ってますようにね、人間神の子
というと、それをお題目のように唱えて、
いやそりゃあ本当なんですよ。
人間は神の子なんですもの。
人間は分霊(わけみたま)で
分生命(わけいのち)で来てるんだから、
神の子なんだけど。

例えば、それだけを追って、ずっと言って、
それが出来ないのは、お前の心が悪いんだ、
お前の心がけが何とかという風になっちゃうと、
それが責めることになる。
人間の今の現実の状況といいますか、
人間の心の状態、有りのままの自然な状態、
それを認めないことになる。

だから、私はそこに、人間神の子だけじゃなくて、
世界人類が平和でありますようにという、あの
世界平和の祈りを出したし、神様のお約束によって、
祈りと教義を出した訳ですよ。

それでね、〇〇さんが言ったのは、神の子の
自覚が足りないと。
あの人もまだ足りないんでね。
何が足りないかというと、説明がもう一つ、
こういう事が加わらないと駄目なんです。

つまり、神の子として、みんなが自覚をし
深めなきゃあいけないというのは、私が
先程から申しましたように、この世界の
空気の流れというものが、もう本当に
切羽詰まって来て、平和の方へ転換して
行かないといけない。
その為の空気づくりをしないといけない。
だから、人間の中に、そんなこと
出来るかしらという業を抱いてしまう自分
と同時に、人間の神性がある。
光り輝く自分がある。
それを自覚して欲しいということを、白光が
言ってるんだと。

それだけじゃなくてね、もう一つ言わなきゃ
いけないのは、世界人類が平和でありますように、
日本が平和でありますように、私達の天命が完う
されますように、守護霊様守護神様ありがとう
ございます、というあの世界平和の祈り、そして、
あの教義ですよね。
あれが、人間神の子の自覚の根底になかったら
駄目なんです。
祈りというものが根底になかったら、人間
神の子は単なる暗示になっちゃう。
        (つづく)

五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(7)

2022-08-29 08:42:31 | 癒し
      (前日からの続き)
その後というのは、やっぱり皆の想いぐせ
ですよね、いつも私が言う。
私なんてどうせとか、私がやったって
こんなことはなりっこないとか。
ね、それから、変に責任感じたりとかね。
いろんなその人の性格のね、個性といいますか、
その現われ方によって、何か苦しみがそこへ
生まれてきちゃう。
それが業になってくる。
だから、業というのはね、消すのは
大変なんですよ。
本当に消すのは大変なんだけども、つくるのは
本当にすぐ出来てしまう。

だからね、皆そういう弱い自分の、人間の
体と、本来の人間の奥深い、神様の光に
満たされた神性の体と、両方持っていて、
そうして、今はその神性の方の体を自覚せよ
と言っている。
何も現実の部分を軽視する訳じゃないんだけど、
そっちの想いの方よりも、むしろ、
この世の中の空気を明るくしてゆく為に、
あなた方の想いを光にかえてやっていく
という事が、今大事なんで、その為に白光が、
いろいろ言ってるんだということを理解して
いただいて、そうして、それでもやっぱり
悩みは悩みですから、それは軽蔑しないで、
私はちっとも軽蔑しないから。

そんなこと言ったって、私はくだらない
ことしか想えないし、今こんな事がしんどい、
あんなことが辛いんだというのは、そのまま
出せばいいじゃないですか。
そのまま私が光に変えますよ。
ね、自分の中に神の子なんか思えないとか、
神のことは思えないとかね、その
決めつけだって把われなんです。
業なんですよ。

だからね、そんなことはないんだから、
そういういろんな想い一切、良い想いも
悪い想いもね、湧いてくる想いというものは
一旦認めて、うん、よしよしとしてやって、
残るものは残して下さい、消すものは消して
下さい。
消えてゆく姿でよろしくお願いします、
五井先生よろしくお願いしますと
言ってしまうと、残るべきものが残ってね、
働くべきところへあなた方がちゃんと
働くように、こちらの方で、コースは
ちゃんと指定が出来るようになって
いるんです。
この人にこういう所でやってほしい、
働いてほしい、行ってほしいというのは
ある訳なんですよ。

だから、そういう神霊が、皆さん方の為に
用意している人生の、この生命の永生の
コースを、ちりがあまり積もらないように、
自分の中の想いをもう一度見渡して、
そうして、いろんなものがあっても
構いませんから、それをすっきりと、
もう一度私に渡し直して、そうして、
自分の中の弱い部分もたくましい部分も
全部認めて、その上で、人間の真実の
本来の生命にむかって進んで行けるように、
祈りを重ねていって欲しいと思います。
    昭和63年7月22日

五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(6)

2022-08-28 12:12:58 | 癒し
     (前日からの続き)
人間というのは、そのいろんな所へ光を
ふりまく、明るい想いをふりまいて、自分も
人も尊敬して、生命を尊んで、この世界を
平和にしてというのが人間の真性ですから、
そっちの方を磨いていく、見つめていく
という事が大事なんです。
それは何も、現実の苦しみ、悩みだとか、
自分の子どものことで死ぬ程私は悩んで
いるのに、その悩みを無視するんですかって、
そうじゃないんですよ。

さっき申しましたように、その悩み
であろうと苦しみであろうとね、神様
というのは、守護霊さん守護神さんという
のは、それを必ず向こうで良いように
使って下さるわけ。
だから、皆が把われているのを放っておく
というのではなく、必ずね、この世の中で
使って下さる。
この世の中で良いように使って下さる。
この世の中で駄目だったら、次の世の中で
使って下さる訳なんです。

だから、その事をね、きっちりと自分の中へ
たたき込んで、そうして、自分は生き通しの
明るい神様によって守られてる生命なんだ、
だから、その明るいすっきりとした生命に
なる人間が多くなるように、多くなって
ゆくように、五井先生が肉体を離れる時に、
皆さんの業というものは皆持って行って、
洗い浄めて、今燃えかすしか残ってない
というのは、それはその通りなんですよ。
その時みんな業を持ってっちゃったんですよ。
だから、その業というものはね、
もうふり返らなくていいんです。
確かにそうなんです。
           (つづく)

五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(5)

2022-08-27 04:55:51 | 癒し
      (前日からの続き)
私なんか先生、私なんか役に立ちますか、
私なんかお役に立ちませんから、どうぞ
他の人を求めて下さい。
私なんかって、そんな引っ込んじゃあ
駄目なんですね。
何故かというと、皆平等に公平にそれを
持ってるんですよ。
あなただけが持ってるんじゃない。
皆持ってるんです。
肉体の力量というか才能というかね、
そういう所だけでみちゃうと、そんなに
輝いてるものがあるなんて言ったって、
肉体の人間の我から観れば、そんなの
私の中にある筈ないと思っちゃうから、
否定してしまうけども。
否定しきれないというのはね、
ほらあなた生きてるじゃないですか。

生きているその根元は何かというと、神様
からの光ですよ。
その光が来て、あなたはその光に養われて
生きてるわけ。
だから、その光の元をあなたが体の中に
持ってるとしか、私は言いようがない訳ね。
皆それ持ってるんです。

だから、その持ってるということを
ありがたく思ってね、そして、その用い方、
用いられ方というものをね。
自分がどうしょうとか、こうしょうとか、
こんなものもらっちゃってとか、私に
もらったってどうしょうもないとかね、
そんなこと思わないで、一旦
もらっちゃったんだから、あるんだから、
謹んで受けて、そうして、それをどう使って
下さるかというのはね、これは、我々は
神様によって生かされてる生命なんだから、
それを一旦神様にお返しして、何も生命を
とるというんじゃないんですよ。
その使い方を神様の方で、どういう風に
生きた方がこの人はいいか、どういう風に
進んで行った方がいいか、ここで結婚
させちゃった方がいいとか、ここで
結婚させないで独身を通してね、芸術家に
なった方がいいとか、この辺でデザイナーに
なった方がいいとか、そういう事というのは
向こうの方で決めるんです。

だからね、いろんなものをもらっちゃって、
私こんなものもらっちゃって分不相応で
なんて、言ってる場合じゃないんです。
場合じゃないっていうことをね、今、
白光真宏会は皆に伝えたくてね、
心あまって言葉足らずと言いますかね。

しかしね、人間の中には、苦に把われるね、
昔ながらの我をつくっちゃう、どうしようも
ない肉体想念といいますか、そういう想念の
世界、我の世界、業をつくりかねない世界も
あるけれども、一方で、あなた方は、肉体を
持ったまんま、自在にいろんな所へ
自分の光を、実際にふりまいている。
そういう力を持っている。
          (つづく)