神のひびきというものは霊妙である。我々のおもいも、肉体も、
すべては波動から出来上っているが、神のひびき、神様のひびきは、
おもいをはるかに超えた愛そのものなのだ。我々は、そのひびきを、
この身にも、心にも受けて生きているのである。
本当のことをいえば、我々一人一人のなかに、愛である神のひびき
(生命の流れ、神のこころ)は流れ込んでいるのである。
このひびきに気付くには、世界平和の祈りを祈り抜くことである。
祈る内に、自分の本心があらわれ、守護霊、守護神と一体の自分を
感じられるようになる。
そして、祈っていることも忘れて、いつの間にか神様を呼んでいる─
という真の祈りに入る時、神とともにいる自分、神のひびき、大愛の
なかにつつまれている自分を、観じることが出来るのである。
神のひびきは、あなたがたの中にすでにあるのであって、心を
すみ切らせ、そのひびきと一体になる為の助力を、守護霊様、守護神様が
して下さるのである。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
という世界平和の祈りは、神のひびき、愛と調和のなかに、あなた方が
そのまま溶け込む祈りなのである。
心を澄ませて、それぞれに、神のひびきのままなる生活へと入って
ゆきたいものである。
五井 昌久
すべては波動から出来上っているが、神のひびき、神様のひびきは、
おもいをはるかに超えた愛そのものなのだ。我々は、そのひびきを、
この身にも、心にも受けて生きているのである。
本当のことをいえば、我々一人一人のなかに、愛である神のひびき
(生命の流れ、神のこころ)は流れ込んでいるのである。
このひびきに気付くには、世界平和の祈りを祈り抜くことである。
祈る内に、自分の本心があらわれ、守護霊、守護神と一体の自分を
感じられるようになる。
そして、祈っていることも忘れて、いつの間にか神様を呼んでいる─
という真の祈りに入る時、神とともにいる自分、神のひびき、大愛の
なかにつつまれている自分を、観じることが出来るのである。
神のひびきは、あなたがたの中にすでにあるのであって、心を
すみ切らせ、そのひびきと一体になる為の助力を、守護霊様、守護神様が
して下さるのである。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
という世界平和の祈りは、神のひびき、愛と調和のなかに、あなた方が
そのまま溶け込む祈りなのである。
心を澄ませて、それぞれに、神のひびきのままなる生活へと入って
ゆきたいものである。
五井 昌久