わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

無 題

2010-10-01 11:36:15 | 癒し
 逝く河の流れは絶えずして、しかも元の水にはあらず・・・

というのは、今、中学、高校の教科書にも載っている有名な

言葉ですが、これが、大勢の子どもにも、大人にも目新しく

毎年毎年見せられているというのは実は、深い神様の方の

神はからいがあるわけなんですね、で、このことを話す前に、

一寸考えてみますと、たとえば、人と人が会うということでも、

時間を決めて会うということもあるけれども、その前の段階

では、必ず、会いたいという思いが湧くとか、会わされるとか、

お互いがお互いを呼んでいるわけで、気になっていたら、

手紙が来たとか、電話がかかってきたとかいうのは、光を交換

しているわけです。

 元々、人間というのは光ですからね、ここから見てると、

うちは闇の夫婦だというような顔をしている人もいるけれども、

みんな、人間神の子、光の子なんですよ。

 そこで、光というのは、我々いのちのみなもと━神の

息吹きなわけですね。ここまでいいですか?

 すると、光というのはたえず、自分が必要なところにとんで、

あかりをともしているわけです。変化する。

 
 たとえばテレビをみたいと思ってつける、それから暗いので

電燈をつける━これは全くちがう光の役割だけれど、それは、

こちらのテレビをみたい、あかりをつけたいという欲求に

応じて変化したものです。


 これが最大限に変化したのが生命なんです。

 いのちというのは、たえず新しい。一日一日、一瞬一瞬

新しい。着物を一枚一枚脱ぐように、木々が芽ぶくように、

生命は新しいものなんです。


 この新しいという意味には二つあります。一人一人の

新しさと、人類全体、あるいは、個々人のもっているいのちの

新しさと。


 これを、今からお話ししたいと思います。

 一日一日、一瞬一瞬、私たちの生命は新しくなっている

わけですが、それは、いわゆる大神様、守護神様、守護霊様が、

みなさんを霊界の方へ、神界の方へと導いてゆく、わかりやすく

いえば、この世で定められた運命の修正でね、プラス、

マイナスの運命修正が働くわけだけれども、守護神、守護霊の

愛念はプラスの方へみなさん一人一人の運命修正を毎日毎日して、

生れてから、死ぬまで、そして、霊界神界へ行って修正をして、

何十生何百生の修行が完成するまでの瞬々刻々を、丁度、

さなぎが、ちょうになるまでに、何回かカラをぬぐように、守り

つづけて、生命を新たにしてゆくわけなのです。


 ですから、わたくしがここで生命と申し上げているのは、

この世だけの、我々肉体人間の記憶にある一生限りの、たかだか

百年にもみたないいのちではなくって、ずっとひとつづきに

永遠の宇宙神のみこころにとけ入る迄のいのちのあたらしさを

いうのです。


 前にも申し上げたかも知れませんが、聖書の中に、

「あなたがたは、神の作品なのだ。」という使徒パウロの言葉が

あります。この作品は、我々人間の一人一人の神から分けいのち

としてのそれであって、永遠の真理に向かって運動をつづけてゆく

我々一人一人の状態をいうのであります。

 いのちが新しくされるとは我々が、つねに「常ならぬ」状態に

いるということであって、目には見えなくても、一瞬一瞬変化を

している━神から与えられたいのちを朗らかに生かすために

日々を生きること、生きてゆくことをいうのであります。

 こうした哲理、生命の真理というものが、実は、我々一人一人、

個人の日常には、奥深くかくされて働いている。だから、我々が、

人に会いたくなって手紙を書き、会いに出かけるという時は、

我々の中の奥深いいのち、私の言葉でいえば、我々を支配

している霊体が自らプラスの変化、プラスの運命修正を求め

守護神、守護霊に働きかけて、自らのいのちの充実のために働く

のであります。こうした個々の運動が、人類に拡がる時、人類の

一員である、我々一人一人は、守護霊、守護神をとおして法則の

神、宇宙神、愛なる神へとつながってゆくのであります。


 逝く河のながれはたえずしてしかも元の水にはあらずという

あの有名なことばは、この個人、人類のいのちの変遷、無情━

つねに新しいプラスの運命修正へと我々人類と宇宙人類を

みちびいてやまない真理の言葉をいうのであります。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたくし達の天命が完うされますように

守護霊様

守護神様

五井先生ありがとうございます

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