わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

宝について(7)

2022-12-31 09:00:35 | 癒し
      (前日からの続き)
人間というのは何が大事かというと、休養
なんですね。
休養を得るには、やはり自分を見つめる心が
大事なんです。
ところがみんな自分というものがわからなく
なってる訳ですよ。
 悩む自分、惑う自分、苦しい自分というのを
自分だというふうにつかみ間違えてしまうと、
執着の方へ行ってしまう、苦の方へ行ってしまう。
しかし、自分というのは本当はそういうもん
じゃない。
自分というのは、空っぽになって本当に朗らかに
なった時に、その小さい人間の智恵なんてものは
止まって、神様の方から、「こういうふうにすれば
いいんだよ」と、何も思わなくても、その
ように運命というものは作られてゆく。
それは支配されてゆくという事ではなくて、
本当に神様と一つになった時に、朗らかな生命に
変わってゆくわけですね。
ですから、その朗らかな生命というものを、皆が
心の奥に持っているんだということを、ちゃんと
自覚をしてね、その上に立って世界平和の祈りを
する。
守護霊守護神に祈りを捧げる。
そういう中で、人間とはこういうものなんだと、
私は人間に生まれて今は辛いけれど、元々私という
のは朗らかな生命そのものなんだと、そういう
ところへ守護霊守護神が導いて下さるんだと、
神様の導きがあるというところへ心を向けて
やってゆけば、人間というのは楽に生きることが
出来るのです。
                「宝もの」了

宝について(6)

2022-12-30 09:57:58 | 癒し
     (前日からの続き)
合気道の植芝先生は、自分が宇宙だって
言ったんですね。
私も宇宙だって、あの先生に返したんです。
ということは、宇宙というのは競争者が
いないんです。
そして、人間というものは誰一人として例外
なく、この宇宙なんですね。
本当に誰とも競争しない、誰とも競合しない。
それはもう厳然としてそこに在る。
存在そのものだとね。
誰にも冒されない誰も冒していかない。
それでいてそこにキッチリ立っていて
光り輝いている。
一人一人がそういう存在なんですね。
その人間の本質に気が付いてゆくと、楽に
なるんです。
苦しまなくていいわけですよ。
苦しんでしまうと、無用な競争をしたり、
嫉妬心が起こったり、独占欲が出たりして、
そこで競争して疲れてしまって、ああ私は何で
出来ないんだろう、なんで私はこんなに
生まれついたんだろう─と思ってしまう。
だけれども、それはなんていうか、徒労
なんですね。
悩むことも一つの勉強だけれども、
そのことで振り廻されるほど人間はそんなに
小さく出来ていないんですね。
本当は、もっともっと人間というのは朗らか
なんです。
そりゃあ人の中に入れば、気を使わない
わけにはいけないけれど、気を使い過ぎて
クタクタになって、くたびれ切って、もう明日
から仕事するのはいやだ、生きるのはいやだ
という事になってしまうのも困るんですね。
          (つづく)

宝について(5)

2022-12-29 10:25:16 | 癒し
       (前日からの続き)
自分自身、こうやりたい、ああしたいとかいう
意気込みは大事だけれど、我(が)を出して
競争心が過剰になると、欲と二人連れになってね、
そのことによって執着が生まれ、その執着から
把われが出て来て、その把われがその人を離さ
なくなった時に、これが苦になっていく訳ですから、
その苦にならないためには、大事なことは、
その時に、守護霊さん守護神さんよろしくお願い
します、私頑張りますが御心にお任せします─
というような気持ちで頑張ってゆくと、これが
執着にも苦にもならない。

ところが、やっぱり人間ですから、いろいろ
頑張ったのに、あっちの方が成績が良くて、
私の方が成績が悪かったというようなことに
把われてくると、純粋に頑張っていても、
だんだんと頑張れなくなってきて、夜も眠れなく
なってきてしまう。
次の日に仕事に行くのに、すごい顔して
行かなくちゃならないとか、そういうことに
なってくるでしょ。
それは結局何かというと、自分の気持ちの中で
頑張ればいいものを、私とあの人とか、相手と
競争しようとするからです。
              (つづく)

宝について(4)

2022-12-28 08:15:27 | 癒し
      (前日からの続き)
自分が体験してくるとね、神様の智恵
というのは私一人じゃなくね、いろんな人に
いろんなかたちで分けられている。
その分けられているものを、皆がそれぞれ
自分自身をいとおしんで、自分自身を
いたわって生きていく。
神様から与えられたその宝物が出て来る。
自分がその宝物を引き出すのではなくて、
その宝物の方から、その人自身を導いてくれて、
その人が本当に生き生きと生きてゆけるような
所まで連れていってくれる訳ですよ。
          (つづく)

宝について(3)

2022-12-27 08:19:10 | 癒し
       (前日からの続き)
自分が無くなるということは、自分らしさが
なくなってしまうということではないんですね。
つまり、自分自身が本当に神様というものに
生命を返してしまう、朗(ほが)らかに生命を
返してしまうと、そこから新しい自分が現われて、
そのことによって自分が生き生きと生きていく
ことが出来る。
そういう事が私の身の上に起こったわけですね。
これは何も私だけの特別な事ではなくて、
私の場合は、何がそうなったのか、そのスイッチは
何だったのかというと、私は神様に対して素直
であった。
その事だけなんです。
それと、世界人類のために私の生命を使って
下さい─そういうお祈りをずーっとしてきたわけ
です。
主の祈りの後にそういうことをずーっとつけ加えて
祈っていたんです。
どういうわけか、自分の存在を投げ出して、永遠者
というものに対して、そうやって祈ってた訳です。
そうすると、私が計(はか)らって何かが
起こった訳ではなくて、神様の方で計らって、
そうして、お前の生命はもらった、覚悟はいいか!
と聞こえた時に、私はハイと言えたんですね。
ハイと言った時に、一人の平凡な青年だった者が、
運命がコロッと変わってね、今こういうふうに
なって、今もこうやって説き続けているわけ
です。
             (つづく)