わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

人間は 永遠に進化してゆく存在

2020-12-31 12:13:00 | 癒し
気はやさしくて
力持ち
という言葉があるけれど
気というのは
たしかに
やさしいんです

気を
ずっとこうして
みていくと
細かいこまかい
光の粒
光の流れになるんです

光というのは
神からながれていて
人間のいのちの
大元(おおもと)
ですけれど
その光は
いいかえれば
神の愛
ですから
やさしくて
当然です

けれど
光というのは
ただただ
ベタベタと
甘いというもんじゃない
いうなら
慈愛です
みまもりですよね
じっとみている

たとえば
あなた方ならあなた方が
苦しくて
うめき声を上げるのを
みている
すぐ助けりゃいいようなもんだけど
助けちゃ何にもならないんです

それだけ
真実に
神をよんで
祈って
そして霊性を進化させていく

人間というのは
永遠に進化してゆく存在ですからね
苦しんでいるあなた方以上に
守護霊や守護神は
涙をながしながら
じっと
出てゆく時期(機)を
待っているんです
みまもるやさしさってのも
だから大変ですよ

やさしさってのは
へなへなしたもんじゃないですね
いくつもいくつも
どうしてだろう
なぜだろう
というところを
通り越して
涙もながして
つよくなってさ
そういう
人生の苦労というものを
味わった末に
本当のやさしさってものは
出てくるんですよ

神様の
やさしさだって
そうです
わざと
人を辛い目に
あわしたりなんかする
だけど
しっかりと
根本のところでは
支えてるんですよ
そうして
どこまで
つよくなれるか
本当にやさしくなれるか
本当の人間になれるか
みてるんですよ

人間ってのは
光にかえってゆく存在ですからね
自分が光であること
光を放っていることをしって
そして
それにもとらわれずに
祈ってゆく

そういうのが人間の姿ですから
本心本体
光そのままの
自分自身を
この肉体にもあらわしていって
人間が何も束縛されない
神の愛のなかで
自由に生きつづけてゆくものだ
ということを
世界平和の祈りのなかで
しるとき
人類と個人とは
完き平和を完成してゆくのであります
     平成2年2月2日 記

すべてをゆだねる

2020-12-30 05:38:20 | 癒し
祈るということは
大いなる生命(いのち)に
すべてをゆだねる
ということです

祈りに入ったとき
人は光明につつまれます
奥の奥のすきとおった本心の光と
天界の霊人
守護霊守護神とが
ともに
大愛の
まばゆい
円光から
光をながし
光を受け
それらが
交叉しつづけるのです
そのとき人は
何も
気付いてはいません
ただ祈りが深ければ
深いほど
その心は
波のようにしずかに
おだやかになり
おのずから
光明が
辺りを照らすのです

かがやいているとか
いないとか
そんなことは
一向かまわずに
ひたすら
世界平和の祈りのなかに入って
ゆきますと
ただもう
気持ちがよくなって
丁度日向ぼっこをしながら
いねむりをするように
スーッと気持ちがよくなります

眠りに入るとき
そして
寝入ったとき
人は
無防備です
何のおそれも
かなしみも
その上をおそいません
ゆだね切った姿が
そこにはあります
そのように
深い祈りは
何も思わず
何も考えず
母の胸に抱かれるように
ふんわりと気持ちのよい
ものなのです
電車のなかで
祈りながら眠ってしまう
というのはもっとも深い
統一のひとつでしょう

自分も人もなく
ただふんわりと任せている
そうすると
おのずから
光が放たれ
光が流れてきて
光につつまれた人を
みることになるのです
意識する
しないにかかわらず
人は
こういう存在です

本心の光を
明るく照らして
祈っている
それが人間なのです
人間の真実の
姿なのです
    平成2年1月31日 記

宇宙の中心へと帰一する

2020-12-29 05:44:11 | 癒し
みこころを
地上になさしめ給え
というのが
本来の
人間の祈りなんですね

神様から分かれてきた生命
霊としての人間が
おおもとであるところの
神の愛を
この世に具現しようとする
というのは
これは至極自然なことなんです

みこころというのは
この世を
愛と
平和と
調和
真善美の世界にしよう
ということですからね

神様のこころというのは
極みのない愛で
その愛から分かれて
世界はできたんだけれど
永年
地球に住んでる間に
人間はこの大愛
つまり中心にかえる
帰一するってことを
忘れたんですね

神にかえってこそ
私たちのいのちは
本当に自由に
朗らかに
天地をつらぬいて
生きることが
できるんだけれども
それを
肉体人間は忘れてしまった
しかし
肉体を含めて
もっと精妙な霊妙な
本体としての人間というものがあって
本心本体は
自分が神からわかれてきた
光から分かれてきたってことは
わかってるわけですよ

みこころのままになさしめ給え
っていうのは
神に隷属する祈りなんかじゃないんです
こう祈ることによって
自分が本当に明るく朗らかになってゆく
元の元を照らすんですからね
世界平和の祈りは
このみこころのままに

さらにやさしくいいあらわした祈りです

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様
ありがとうございます
守護神様
ありがとうございます

世界人類という大河のなかに
自分を入れて
徹底した感謝をささげ
この地上と世界人類の平和を祈り
天命を祈ってゆく
ここには
感謝と同時に
お任せの心があります
ありがたいとおもって任せてゆくこと
それはみこころのままに
というのと同じです

神仏の光が地上におろされますように
そして
神の分生命(わけいのち)であり
分霊(わけみたま)である
私たち一人びとりは
この世界平和の祈りを
祈ることによって
真善美の世界
神の大愛の世界
宇宙の中心へと帰一し
真実に生きることができるのであります

神と倶にあって
本当の人間としての姿を
あらわしてゆくことが
できるのであります

祈りは 久遠の世界への水先案内人

2020-12-28 08:02:00 | 癒し
人間というものの
無限さを
しってもらうこと
世界平和の祈りのよろこびを
しって
もらうこと
それが
私の役目

すなおになれば
神は
みえる
神は
いつも
私たちと
ともにある

光は
私たちを
久遠の世界へと
みちびく

祈りは
その
水先案内人

やがて
みんな
神のもとへと
かえってゆく
     1月31日 記