わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(7)

2018-04-30 08:49:56 | 癒し
      (前日から続く)
 仕組みというのはそうなってる。だから
秩序というのは上から下へ流れて行く。
 もうこれは変えられないと思うかも
知れませんけれども、確かに法則という
ものは変えられないんだけれども、しかし、
法則と癒(いや)しというものがあって、
その癒しというのはヨコの働きなんです。
 法則というのはタテの働きなんです。この
タテとヨコが両方混じり合って、そうして
法則がゆるがないように、その法則を
本当の意味で法則たらしめるものが愛、調和、
あるいは真善美なんだということ。これを
人類に知らしめてゆく。
            (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(6)

2018-04-29 08:22:07 | 癒し
     (前日から続く)
 ところが、元々混じり合うもなにも人間
というのは光一元だから、その光一元の
ところへ還していこう、元へ元へというのが
我々のやっていることなんです。それには
さっき申し上げたように、人類愛というものと、
自己完成というものが離れたものじゃ
ないんだということ。
 自然があって空気があって緑があって、
この地上に生きてるということの喜びを
感じるのは、私という人間一人じゃない。
 いろんな国に分かれているいろんな民族の人が、
朝目覚めて太陽を見れば、やっぱり素晴らしいと
思うし、青空見ればそこに神様の心があると思う。
 それが原稿にも書きましたけど、大空という
ものが、自然というものが、神様のみ心を
映しているものだからそう思う。我々がそこから
分かれて来たものだからそう思うんです。
 或いは我々が、金星からこの地上に
降り立って来た魂だから、そういう宇宙の援助を
今してもらっている。星々の兄弟の非常に高い
霊性というものを宇宙から受ける。そうして、
宇宙神のみ心の奥の奥の大奥の所へ直結
させてもらえるようにー。
             (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(5)

2018-04-28 09:37:44 | 癒し
       (前日から続く)
 なんにしろ、神様によらないものというのは
全くないんですね。すべてが神様の愛によって
造られて来ている。ところが、そんなものあるか、
そういうことはないんだ、というこれも人間の
想いですね。これは地上にずっと生活して来て、
それなりのいろんなしんどい事や辛いことが
あると、絶対プラスに行かないんだというように
固く信じ込んでしまう。そして何百年も何千年も、
そういう想いで人間というものは暮らして
来てますから、そうするとその想いの波、念
というのは非常に強いんですね。光の方へ
行かせまいとする闇の思想というのがあって、
光の思想というのがあって…
 それはむずかしく考えなくても、例えば、朝
目覚めた時には非常にすっきりして
いるんですね。朝の思想というような言葉が
あるようで… 夜になったらロクなこと考えない
とかいいますけども、普通我々の中にも、
その夜と昼がある。光と闇があって、これが
こう混じり合っている。
           (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(4)

2018-04-27 12:55:49 | 癒し
       (前日から続く)
 だから、私どもに援助をして来て下すって
いる、いろいろな宇宙の天使達、それから兄弟達、
この人達は皆んな自分が宇宙神とつながっ
ていて、一つであって、そこの愛念によって、
自分達の生命が滔々(とうとう)と流れている
ということを、身をもって知っているんです。
 そういう光明というか、その光というか、
そういう愛念を、この地球世界に降ろして、
地上に降ろしてその現実の肉体生活そのものの
波動も、だんだんに整えられていく。かといって
その地上生活を破壊しようというのではなくて、
この地上も住みやすいようにする。

 この地上だけの三次元だけの世界じゃなくて、
四次元五次元六次元、もっともっと高次の
世界がある。その高次の世界になればなる程、
愛と調和でもって、みんな秩序というものが
保たれている。秩序というのは、これはタテヨコ
十字に神様の愛によって保たれている。これが
本当の秩序なんです。
          (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(3)

2018-04-26 10:52:42 | 癒し
       (前日から続く)
 その習慣を解き放っていくものは何かというと、
やっぱり祈りであって、いつも言いますように、
祈りというものは、自分の生命を宣り出してゆく、
本当の生命を宣り出してゆく、そういう
ものですね。だから、痛いとか苦しいとか
辛いとか、痛がっている自分がある、肉体の
自分がある。だけども元々の自分は痛みも
しなきゃ辛がりもしない自分がある。どうかして
そこへ自分の想いを届かせたい。だけど
それを焦って苦しんで背伸びをして、そこへ
行かなくちゃ行かなくちゃって思うと、これ又
駄目で、これはやっぱり自己完成にも
何にもならない。

 自己完成というのは人類愛から始まる
というのは、つまり私共の世界平和の祈り、
世界人類が平和でありますようにという、
自分(個人)を思うと同時に人類を思う、人類の
中の一人としての自分、人類とつながっている
自分を思う。そのことが即ち、宇宙とつながる、
宇宙の本源の生命、宇宙神の生命、宇宙神から
分かれて来た生命、そことつながる。それが
本来の人間の姿ですね。
           (翌日へ続く)