1年ぶりに映画をみた。去年の12月に山崎豊子原作の「沈まぬ太陽」を見て以来である。バイクで15分ばかりのところのイオンモール筑紫野の3Fにワーナー・マイカル・シネマズ筑紫野というシネコンがある。毎週1本みて映画評論を書いても面白そうだが今年はどういうわけか足が遠のいていた。シニア料金で1000円でみることができる。いままでは免許証の提示など求められたが最近は見た目でわかるのかフリーパスだ。雪まじりの寒い日だったが見る映画が池宮彰一郎原作の「最後の忠臣蔵」だからというわけではないが寒風を体感しながら劇場に駆けつけた。
テレビなどの前宣伝で「今年最後に泣いてください、ポプコーンなど食べながら見れる映画ではありません」と言っていたし、もともと赤穂浪士の討ち入り、忠臣蔵といえば毎年12月ともなればキャストもかえて放映され日本人の涙をながさせたものだ。わが小青年期の大石内蔵助といえば長谷川一夫か片岡千恵蔵であった。
池宮忠臣蔵は「47人目の浪士」で今までとは違う視点で赤穂浪士をえがき話題を集めた。大石内蔵助以下47士による吉良亭討ち入り、本懐をとげて切腹という形で終わったのではなく、切腹の列に加わることを許されず「生き証人として後世に討ちいりの真実を伝えよ」と内蔵助(片岡仁左衛門)より密命をうけた寺坂吉衛門(佐藤浩市)が16年の歳月をかけて残された浪士家族にその真実をつたえるという切腹より過酷な生きよという使命を果たしてゆく物語。ところが過酷な使命を与えられ討ち入り前夜に姿をけした浪士が一人いた。それが吉衛門と親友であった瀬尾孫左衛門(役所広司)で内蔵助から隠し子・可音(桜庭ななみ)の面倒をみてほしいと懇願され、裏切り者の汚名をうけながら、京都の奥深い竹林で武士の身分をすて商人としてひたすら可音を育て仕える。可音も16歳の年ごろになり、育ての親にいつしか恋心が芽生える。奥深い竹林のなかに咲いた一輪の花のごとき桜庭ななみの可憐さ、忠義と一抹の恋情に揺れ動く役所広司の信義の男の苦しみが大画面に加古隆の哀切の旋律とともに描きだされ見る者の心をうつ。
さらに映画では当時上方ではやっていた人形浄瑠璃のだしもの「曽根崎心中」がかなわぬ恋のせつなさをいやがうえにもかきたて、この舞台が可音と豪商茶屋四朗次郎のあととり、修一郎(山本耕史)との出会い、さらには16年ぶりの吉衛門と孫左衛門の再会が実現する。そして一切の誤解がとけ、可音は茶屋家に嫁いでゆく。祝言の夜、づっとともに可音を育て教え、自分の面倒をみてくれたゆう(安田成美)と一緒に暮らすことを「私は武士でござる」といって断り、切腹して果てる。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」と葉隠にあるが現代人には理解しがたい生き方ではある。数年前にみた「ラストサムライ」を思い出したが、二時間半ばかりの映画が終わってもしばらくシートに座ったまま考えさせらた。