ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

190818 陸軍幼年学校という恐ろしい学校があったらしい。アワー写真展スタート!写真でしか表現できなものとは何か?

2019年08月18日 | アフターセブンティ

 昨夜、テレビで半藤一利さん原作の「日本の一番長い日」という映画をTVでみた。原爆が広島、長崎に投下され、誰が見ても敗戦まじかというときに2000万人が特攻すればまだ活路が見いだせるというバカげた考えをもつ陸軍の下士官がおったということ。原爆の恐ろしさが新型爆弾というだけの認知のされ方があったということ。大本営に国民も軍幹部も騙され続けたという恐ろしい事実。その中で阿南陸軍大臣が天皇の終戦、ポツダム宣言受諾の意思を鑑み、自ら自決することで血迷う陸軍100万人を抑え込んだ。8月15日12時の天皇自らの終戦宣言、玉音放送にいたる緊迫の「日本の一番長い日」という映画。情報統制ほど恐ろしいものはないね。

 たまたま図書館で「戦後70年、日本人の証言」という文芸春秋の文庫本をみる。高倉健の最後の手記なども載っているが作家西村京太郎が敗戦の年の将校生徒という記事で、陸軍幼年学校というエリート軍人養成学校の話が載っている。幼年学校の上は士官学校、その上は陸軍大学。ここを出ないと軍人は大将になれない。学校は授業料はなく反対に報酬がでて、食べ物にも全く困らない、10万平米の学校敷地があり倉庫の中には潤沢な衣食がストックされている。S19年当時普通の学生は軍需工場で働かされ、わずかな配給で飢餓の状況にある。

そんな時に、戦局に一喜一憂せず、地方人(普通の国民)とは接触したらダメで、午前は英語や数学など一般教養の勉強を、午後は軍事教練。白いご飯をたべて悠々とすごしていたらしい。1億総玉砕などといっても一般人は戦いにおいて役に立たない。そんな時、幼年学校の生徒は頼りになり、上等兵以下には敬礼をする必要がなく生徒にしてすでに将校ということになる。こんな別世界があったらしい。沖縄などで一般人を見殺しにするなどへとも思っていなかったということになる。敗戦間際、満州や朝鮮に置き去りにされた日本人。これは幼年学校から陸軍大学にいたる陸軍のエリート教育のたまものなのである。一体どんな家庭のこどもが幼年学校に入学したのか定かではないがおそろしい話ですね。現代においても、われわれ一般国民がしらない恐ろしいたくらみが進行してるのか知れない。

 17日から地元の生涯学習センターでわれわれの写真展が始まった。高齢化で設営が大変になってくる。照明など脚立に乗る作業は要注意だ。設営後30点の作品を各人説明、相互に学ぶ。

翌日の今日、日曜日ボラ仲間のKさんが見にきてくれた。マンツーマンでじっくり説明。撮影者が何に感動し、それをどう作品として具現化し、見る人に同じ感動を共感してもらうか。この具現化能力に撮り手の技量や意識の差が出る

Kさん曰く、あまり合成した写真はきらいですね。写真でしか表現できないような作品がみたいですね。なあ通常の人間の目では見れないようなもの。渓谷の流れも低速シャッターでとれば糸状のシルクタッチになる。マクロレンズなどで見せてくれるようなのが見たいらしい。まあ写真とはなにか、あらためて考えてみる機会をKさんは与えてくれたのかもしれないね。来展者のきたんないアンケート意見など楽しみだ・・・・・


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