3年ぶりに大分県立美術館での九州国画写真展に応募。福岡支部長のTさんの勧めで再開。今日は作品の搬入日。Tさんと所属する写真愛好会代表のYさんが大分までもっていってくれる。お二方とも後期高齢者だがお元気。とはいえ道中事故なきよう祈りつつ写真を託す。明日審査で12日展示、13日から18日まで写真展。結果は水曜日にはわかるだろう。
国画会というのはパソコンで検索してみると概略以下の通り紹介されており歴史のある芸術団体ではある。福岡県展などと比べると審査の傾向はやや特異。創作の自由性が問われる。
・・・1918年(大正7年)に日本画家の小野竹喬、土田麦僊、村上華岳、野長瀬晩花、榊原紫峰の5名の京都の新進気鋭の画家達により、「創作の自由を尊重するヲ持って第一義となす」の理念のもとに「国画創作協会」が創設された。
明治末期から大正初期にかけては、文化は西欧の影響が大きくなったが、京都では日本画と洋画の垣根なく、学者・画家がともに絵画を論じ研究するグループがあった。それは西欧の画風を取り入れようとする日本画の確立と日本の風土に根差した洋画の確立を目指すという共通の課題を持ち、渡欧し西欧の芸術について研鑽し、かつ共同の展覧会を開くという清新な風潮であった。
第5回展(1930年)に、絵画の中に含まれていた版画も平塚運一の会員推薦により版画部を新設し、翌年から独立した。そして第14回展(1939年)において福原信三、野島康三の下に写真部を新設しここに5部からなる総合美術団体となり現在の礎となった。
戦後、芸術の分野は個性的にして様々な発想、技法、様式が拡散普遍化したのに伴い、国画会も創作の自由を尊重するのを第一義とした創立精神に基づき、世界的視野に立った創造的にして個性的な作品発表の場として、実に多様にして広角的な作品を抱合する内容となっている。それは絵画・版画・彫刻・工芸・写真の5部それぞれに日本を代表する作家を多数輩出し続けていることでもうなずけるのではなかろうか。・・・・・・と解説されている。
5年ばかり愛用したコンデジ、ルミックスFZ200を下取りに出してバージョンアップされたFZ300を購入。メインはペンタックスのK3やK20Dだがサブ機でFZ200を愛用。特徴はライカのレンズを使っており25~600mmまで通しでF2.8の明るさ。このサブ機でもコンテストで数回入選しているからコンデジといってもすぐれもの。
ただファインダーの視認度が悪かったので鳥など追っかけるのが大変だった。
300になって格段に見やすくなった。それに防塵防滴で4K撮影、秒間30コマの連写が可能で野鳥の飛び出しシーンや雷の稲光などチャレンジできそう
梅の樹木の質感などもよく出ている。
天満宮の心字池に人に慣れた雀が数羽飛び回っていたので試写。プリ連写を使えば飛び出し前の1秒とその後の1秒の連写でベストショットがとれるといううたい文句だがやはり慣れが必要。帰りイングリッシュガーデンによってカモの飛び出しを連写。
まあまあというところか。いつもリビングの前の庭先にきてくれるメジロとヒヨドリをモデルにトライ&エラーをかさねることにしよう・・・